草むらの少女たち
夏の暑い日差しが差す。痛い。ひりひりする。
そんな日に友人のリノアは外に出ようと誘ってきた。
彼女は草むらをかき分ける。水色のボーダーのスカートが汚れないようにしっかり抑えてかがむ。歩いたり止まったり、中々進まない。
「て、手伝う?」
ハラハラと道から覗きこむ。それしか出来ないのが申し訳なかった。
「でも、アンはどれが必要か分からないでしょ?」
「うん……わからない」
上から見ても下から見ても、リノアが何をやりたいのかも分かっていない。草の中をまるで蛇のように這いずってるようにも見える。あの綺麗な物好きで、汚れ仕事が大っ嫌いな彼女が必死なのだからよっぽどなのだろう。
「ううーん、無いわ。今日あたり咲いてるかと思ったのに」
リノアはぐいっと汗を手の甲で拭う。その動作で泥が顔に広がった。
「汚れちゃうよ」
エプロンのきれいな部分を使って拭いてあげた。リノアの肌は白くてすべすべて、羨ましい。アンはこの友人にうっとりと見惚れてしまいそうになった。
リノアはお嬢様だ。貴族ではないけれど、褒賞を何度も貰っている家の娘だ。たまに王都から偉い人が来ると、大抵リノアの家に滞在することになる。他に偉い人をもてなせるような場所が無いのだ。
そして、その身分に相応しい美貌。性格は大雑把で怒りっぽい。なのに挨拶する時はびっくりするほど優雅で、育ちの違いを感じた。
偶然同じ地域に住んでて。そのおかげで同じ礼拝堂に通った。そこで幼い子供に読み書きと神の話をしてくれるのだ。
「ま、仕方がないわ。今日の所は勘弁してあげる」
「誰に言ってるの、リノア」
リノアがふふんと鼻を鳴らす。ふんぞり返った体勢を解き、アンの手を取る。
「行きましょ」
木陰の下で人心地つけると、リノアはやっと説明した。
「一昨日のことなんだけどね」
いたずらの罰として倉庫に閉じ込められたらしい。いくら声をかけても開けてもらえない。
そこで、リノアは倉庫の中を探検することにした。生の芋だとか、使わなくなった農具だとかおもしろみのないものが多かった。
「でもね、おばあさまのお姉さまの遺品を見つけたの。これくらいの箱に入っててね」
リノアは両手を広げる。アンでは一人で持ち上げるのは難しそうだ。
「中にはいくつかの服と、櫛と、日記と、布に包まれた像があったの」
リノアの祖母の姉という人物は何でも奇妙な死に方をした人らしい。リノア自身も詳しく知らないようだった。が、日記はともかく貴重な服までしまい込んでいた。それは何か滅多なことがあった事を裏付けている気がした。
その女性の遺品。
アンだったら気がついた時点で恐ろしくなってしまうだろう。もしかすると泣いてしまうかもしれない。
しかし、リノアは違う。持ち前の度胸をこんな時にも発揮した。
迷わず包みをほどき、日記を読む。
旅芸人の男性との恋愛。村で流行った病。村に来た花嫁の美しさ。日々の事が書き込まれていた。
そして、最後にできうる限りのもったいをつけてリノアは語る。
「おばあさまのお姉さまは『橋渡しの王』を信仰していたらしいの」
「大洪水を起こしたあの神さま?」
「その通り!!」
頭のなかでパラパラと頁をめくる。橋渡しの王、はしわたし、おう、おうさま。
自分の力を示すために大洪水を起こした神さま。思い上がった古の王国を滅ぼした神さま。落ちないように橋の始まりに石碑が置かれている神さま。
いくつも思い浮かんだエピソードはどれも恐ろしいものばかり。挿絵で見たその姿は四対の脚がある虫だった。とてもじゃないけれど、好きになれない神さまだ。
そんな像が形見として残されたら。仕舞いこんでしまう気持ちがより分かった。捨てるのも出来ないし、飾るのも嫌だ。それに奇妙な死に方と言うのも気になる。
「ねえ、リノアはその像触ったの?」
彼女は心底不思議そうな顔をした。そして「じゃないと取り出せないから」という。
本当に、この友人はアンとは違う。
「『橋渡しの王』はね、何でもお願い聞いてくれるのよ? 凄い。おばあさまのお姉さまが信仰したくなるのも分かるわ! だってあたし、お願いしたいこといっぱいあるのだもの!」
「……わたしは……なんかやだな。怖い」
控えめに発言する。なんかやだ、じゃなくてすごく嫌だった。
しかし、その思いはリノアに届かない。
「大丈夫、あたしが居るから。二人一緒なら無敵よ。アン、ちゃんとお願いごと考えておくのよ」
結局リノアは押し切った。そして、アンは『橋渡しの王』に捧げる供物を探す手伝いをすることになったのだ。
***
朝起きてヤギの世話をする。太陽の強い時間は出来るだけ室内の仕事をして、午後になれば礼拝堂に行く。
その帰り道、あるいは元々礼拝学校がない日に二人は草むらに入る。虫に刺されながら供物に必要だという花を探す。
「何をお願いする?」無邪気な質問はアンを悩ませた。リノアにも言ってない秘密が思い出される。
好きな人が居るのだ。礼拝堂でお祈りのたびに見かけるリチャードと言う少年だ。となり村から来ているので普段は何をしているのか知らない。が、彼が着ている服も靴も継ぎ目がない。きっと良い家の人間なのだろう。アンとは違って、リノアと同じ。
リチャードの目に止まりたい。
もし願い事をするとしたら?
リチャードの事を願う?
それとも、この性格を何とかしてもらおうか。
相変わらず『橋渡しの王』と言う存在には不安を抱いていた。けれども、リノアと草むらに入り花を探し、調度良い器を用意していると恐怖は薄れた。二人で秘密の遊びをするのがすごく楽しかった。
***
家に帰ろうとした時だ。ふと礼拝堂の中を見渡せばリノアがいない。一緒に帰りたかったのに、先に一人で帰ってしまったのだろうか?
アンも勝手に帰れば良いのだが、名残惜しくてうろうろとリノアを探した。
外に出て、建物をぐるっと歩く。礼拝堂の裏、角の所。それは聞こえた。
「へー、リノアって面白い事してるね」
直ぐ様それが誰の声か分かった。リチャードだ。リチャードがそこに居る。そしてリノアと話している。
数歩で越えられる、歩いて角をまがれない。
なにか、嫌な気がする。
(リノアがしている面白いことって……)
「で、その像は見つからないようにベッドの下に隠しているの。布に包んで、麻の袋に入れて。 ただであんな暗い倉庫に閉じ込められちゃやってられないわ!」
「って、そもそもお仕置きだったんだろ」
「そうだったかもね」
あはは、と二人の笑い声が重なる。軽やかな響き。
それに対してアンの心は重かった。
(だって、他の人に見つからないように、一緒に隠して。あの像は、秘密ねって。二人の秘密じゃなかったの? それに、リノア……リチャードと……)
アンはリノアから逃げた。
走って家の裏に隠れた。
「リノアなんて、リノアなんてっ……!」
二人だけの秘密だって言ったのに。
リノアなんて居なければいいのに。
あんなに綺麗で、頭が良くて、立派なお家で暮らしていて。リチャードが好きにならないわけない。
何も勝てるところがない。
辛い。
「……リノアのせいにしちゃ駄目だ、よ」
だってリノアは悪くない。
リノア好きだよ……
二人が幸せになりますように。
そう願って集めた花にお祈りをした。
***
次の日、私は具合が悪くて家に引きこもった。泣きすぎて頭が痛い。
また次の日は起き上がった。でも、リノアに会いたくなくてずっとヤギや牛の世話をしていた。糸紡ぎもした。
更に次の日も前日と同様に過ごした。礼拝堂の学校の時間は殊更忙しくしてやり過ごした。
夕日が落ち始めて今日が終わる。ほっとして室内に入ろうとした。
道の向こうから人がやってくる。リノアだ。遠目で見てもその真っ黒の長い髪が目立っている。すぐさま分かった。
どうしよう、と立ち止まる。中に入ろうか、話しかけようか。そう考えている内にあっという間にリノアは目の前まで走ってきた。
「なんだ、大丈夫そうだった」
息を弾ませている。
「う、ん」
「で、忙しかった? 具合悪かった? リノアがいないと寂しくてやってられないわ」
寂しくてやってられないと言う言葉が胸に響いた。単純にうれしい。でも、直ぐ様その気持ちを追い払う。
じわり、と涙が溜まってきた。
ばれないように押しとどめた。が、バレバレである。アンの目は水でいっぱいだ。
「ちょっと、どうしたの、アン! 誰かにいじめられた? 辛いことがあった? なんでも言って? ね、ね? ああ、もう」
「わ、私……リノアが……リチャードと幸せになれるように……だけど」
底まで行って我慢しきれなった。涙が溢れる。後はもう言葉ではなかった。
「でも、つらっ、……みしいの。でも、やっぱり」
「ああ、もう大丈夫大丈夫。泣かないで?」
エプロンのきれいな所でリノアが顔を拭いてくれた。
「ほらほら、ね?」
「うん……」
このまま家に帰れない。
二人でポツポツと道を歩いた。そうしていると最近習慣になっってしまった貢物探しが捗る。
「あ、見て。あそこ!」
リノアが指をさす。白い丸い花が咲いている。それは小指の先くらいのおおきさで、高さはアンの膝よりも高い。
「お願い、聞いてもらえるかな」
「決まったの?」
「うん……聞いて、くれる?」
「むしろ聞かせて」
すうと息を吸う。これを話したらもう後戻りはできない。アンは応援者にならないといけないのだ。
「あのね、リノアとリチャードの事、お願いする」
リノアが丸く口を開けた。
数秒。
そしてリノアは頬を真っ赤にした。アンに詰め寄り二の腕をつかむ。
「馬鹿!!!!!!!!! あんた馬鹿でしょ!」
突然怒られた。
「な、なんで」
「だってアン、リチャードを好きなのはアンでしょ? それくらい分かるわよ」
「でもそれがいいのだもの」
「バカ!!!!!!! アタマが悪いと思ってたけれど、ホントにわかってないわね! バカバカバカ!」
「ば、バカだなんて……そんなに言わなくてもいいじゃない。確かに私はリノアと違って文字を読むのもやっとだし。手を使わずに計算も難しいし、後、全然美人じゃないし。手だってガサガサなんだもん」
「ええ、そうね! あんたは馬鹿なのよっ!」
親友と思ってた人物からのあまりの良いように胸が潰れそうだった。じわりと目に涙が滲む。
「泣くんじゃない!」
「リノアにはわからないのよっ」
「うるさいっ! むしろ分かってないのはアンの方じゃない!!」
リノアの目に涙が浮かんだ。
「あたし、アンみたいになりたかった」
「え……?」
「だって、アンは誰かに悪く言われてる所見たことがないし、あたし、ついつい駄目だって思ってても頭がカッとなっちゃうし。ホントはお嬢様なんて向いてないのわかってるの。何度アンみたいないい子だったらって思ったか……」
「そんな事考えてるとアンが嫌になってくるし。でも、アンに嫌われたら私他にお喋りできる人なんて居ないし。ってかそもそもアンに嫌われるのが嫌なのよ!」
「うそ!」
「嘘じゃないもの!!」
「だってあたし……アンが好きなのだもの。リチャードだって……アンが好きだから……やだったの……ほんとは、二人をくっつけようとして、でも嫌だった。アンとリチャードが仲良くなって、あたしがいらなくなるの嫌だった」
「ダメだって思ったの。アンは幸せにならないと。だからリチャードがアンを好きになるようにお願いしたのだもの」
「……そうなんだ」
へなへなと力が抜けた。
「本当、なのね。ふふ、私達二人共馬鹿みたい」
「馬鹿なのはあなただけよ、アン。と言いたいところだけれども、今回に限りわたしも一緒に馬鹿になってあげるわ」
リノアが手を握る。アンは反射的に握り返す。リノアの体温が伝わってきて、冷えた体を温めた。
「あったかい」
ぐすん。鼻をすすった。涙が引っ込む。
逆にリノアの目から涙が零れた。
「当たり前でしょ? さあ、帰りましょ」
手を固く握って夕焼けの中を歩くのだった。