夜明け(2) 寝静まる闇の中で
赤い夕日が沈んだ。空はすっかり闇色に染まる。
黒いカラスはどこへいったのだろう?闇色に染まる彼らを夜見かけることができないのは、彼らもまた人間と同じように寝静まっているからなのか……
それとも、闇と同化してしまったのか?
普段は人で賑わっている大通りも、今夜はなぜか人が少なかった。
――その方が都合がいい。俺にとっても、それ以外にとっても。
大通りを脇に逸れて、さらに人気のない街路に突き進むと、やがて所在なさげにたたずむ一人の少女を見つけた。
少女は黄色いコートを羽織っている。その腰元には身長に似合わない巨大な剣がある。
炎剣フランベルジュだ。もっとも本物ではない。あれは偽物だ。
緑色の髪をした少女はこちらに気づくと、寂しそうな顔に満面の笑みを浮かべる。そしてこちらに手を振った
「あ、やっときた!もう遅いですよ!何してたんですか?」
俺は彼女に手を振った。
「悪いな、ジェシカ」
「ぶぅぶぅ。こんな薄気味悪いところで待ち合わせなんてどうかしてますよ!」
ジェシカは小走りに駆け寄ってくる。そして言う。「今回の仕事、ほんと大変だったよ」
「そうなのか?」
俺はわざと驚いたフリをした。事の成り行きはだいたい想像がついていたのだが、知らないフリをした方が面白そうだったから。
「そうだよ!そもそも、元をただせばあなたが悪いんだよ!安全で誰でもできる簡単な仕事だって聞いたからすぐにクライアントに連絡したのに、全然違うんだもん!」
「そんなこと言ったか?」
俺はすっとぼけた。
「言ったもん!もんもん!罰として晩ご飯を奢りなさい!」
――しょうがないな、と俺が言うと、ジェシカは「やった!」と喜びの顔を見せた。
「それより、どんな仕事だったんだ?なにか面白いものは見つけなかったか?」
俺の質問に、「えへへへ」とジェシカは照れくさそうな笑みを浮かべた。
「実は、クライアントさんに内緒で良い物を見つけちゃいました!」
じゃじゃーんと効果音をつけつつ、ジェシカはポケットから手のひらほどの大きさの水晶玉を見せた。
それを見て、俺は自分の動機が早鐘をうつのがわかった。
――まずい、感情が乱れている。平静を装わないと。
「どうしたんだ、それ?」
「うん。実は仕事中に見つけちゃって。すごい綺麗だから持ってきちゃった!クライアントには内緒だよ。こんなことバレちゃったら報酬払ってもらえないかもしれないし」
「はは、ったく、悪い子だな、君は」
――予想以上の収穫だった。
あの弁護士。目立った経歴もなければこれといった噂も聞かない三流弁護士のはずだった。
おまけに金のために雇われるような国選弁護士だ。信念の欠片もない輩というのは決まってやる気も気概もないクズばかり。
それに比べて検事はとても優秀だった。経歴も実績も申し分ない。徹底的に被告をなぶるあの姿は惚れ惚れするくらいだ。
優秀な検事に三流の弁護士。証拠は揃っている。勝敗は火を見るよりも明らかだった。
だから、あの裁判は本来、もっと早く終わるはずだった。
なのに、結果は違った。
――イライラするぜ。
これ以上裁判を先伸ばしするのは癪だった。あの森の中には俺に関するものがいろいろとある。余計なものを持ち帰られて、余計な詮索をされるのは面倒だった。
だから、この無能な女をわざわざ弁護士に紹介した。この役立たずの傭兵ならば、きっと何もできずにモンスターに喰われて終わるだろう。
弁護士は何も発見できず、結局証拠不足で被告は敗訴する。
それでいい。それで終わる。そうなるはずだった。
だが、期待は裏切られた。とても良い意味で。
「見せてくれよ」
俺はジェシカに言う。ジェシカは一瞬悩んだような表情を浮かべつつ、「うん、いいよ」と返事をして水晶玉を手渡した。
――ああ、間違いない。この輝き、本物だ。
琥珀色の水晶玉。手に入って良かった。
「ねえ、すごく綺麗だと思わない?」
「ああ、思うよ」
俺は思う。水晶玉は三つ。一つはもうない。だから残りは二つ。一つ足りない。だが、一つあれば十分だ。
「ありがとう」
「え?」
ジェシカは疑問の表情を浮かべ、こちらが何かを言うの待っているような仕草をした。だが、それ以上何かを語るつもりはなかった。
この女はもう消えていい。
ブシュッ。俺は左手で手刀をつくると、そのままジェシカの腹に突き刺した。
彼女の肉と内蔵の感触が腕に染みる。たった一突きで俺の手刀は彼女の腹をぶちぬき、そのまま背中から突き抜けた。
血と肉片が飛び散り、壁にあたる。まるで水風船が割れ、中身が弾けたような音がした。
ジェシカは大きく眼を見開き、なにか言いたそうにしていた。苦悶の表情を浮かべる彼女の口から出たのは言葉ではなく、大量の血液だった。
ゲロを吐くように血を口からぶちまける。おかげで顔に血がついた。
「きったねえ」
俺は腕を振るい、ジェシカを地面にむけてぶん投げた。
ブシュという耳障りの音がした。貫通した左腕が抜けると、指先まで真っ赤に血で染まっていた。よく見るとなんだか肉片のようなものもこびりついている。
地面の上にはぴくぴくと蠢くジェシカの姿があった。
俺はそれに目もくれず、ただ水晶玉を見つめるだけだった。
水晶玉を口につける。鉄の味がした。俺は水晶玉をそのまま口の中に含み、そしてごくりと飲み込んだ。
冷たい感触が喉を這う。はあ、準備完了だ。
暗い街路を抜けると、暗い夜空の向こうが少しだけ紫色に変色していた。
もうそろそろ夜明けか。
――裁判が始まるな。




