サマンサ博士の鑑定実験(2)
「事前にお預かりした鑑定物についてですが――」
サマンサ主査は黒いデスクの上に置いてあるビニール袋をつまみ上げた。その中には僕が警察本部の受付窓口で渡した証拠品があった。
「まず、このフィルム式カメラ。ほとんど破壊されていて使用はできません。修理をすれば復元できるかもしれませんが、どうされます?」
「いや、結構です」
僕は丁重にお断りする。別にカメラを修理して欲しくて鑑定に出したわけではないのだ。
「そうですか。ではまずこのフィルム式カメラの鑑定結果から報告させていただきます」
「あれ、もう鑑定は終わっているのですか?」
僕は意外に思った。先ほど受付で証拠品を渡してからそれほど時間は経っていない。
「簡単な鑑定だけならば、それほど時間はかかりません」サマンサは白衣のポケットに両手を突っ込み、寝ぼけ眼をこちらに向けながら言う。「より詳しい鑑定結果を知りたければ一週間ほど時間を要しますが……それだと裁判に間に合いません。それでも構いませんか?」
「いえ、早急にお願いします」
僕は思わず苦笑いを浮かべた。他人のことなどまるで眼中になさそうなサマンサ主査だが、どうやら彼女は彼女でちゃんと周囲のことを考えているらしい。
「そうですか。では早速本題に入りますが……このカメラには微量ながら魔法粒子が検出されました」
「微量、ですか?」
「微量です。別に珍しいことではありません。微量だろうが少量だろうが、魔法の行使にそれほど大きな影響はありません。それにお話を聞いた限り、爆発といっても小規模なものだったらしいし」
――そんなことないですよ、すごかったですとジェシカが騒いだが放置しておいた。
「ただ、気になるのはカメラよりもフィルムに残っていた粒子。こちらの配列パターンはカメラに残っていた魔法粒子の配列パターンと不一致でした」
「?」
「?」
僕もジェシカもわからないといった表情を浮かべていたのだろう、サマンサ主査は一度深々とため息をつくと、「要するに」と続ける。
「カメラが爆発したとき、フィルムに対して爆発とは別の種類の魔法が使用された痕跡がある、ということです」
サマンサはビーカーをデスクの上に置くとそのままホワイトボードの近くまで立ち寄り、青ペンを片手に何かを書き始めた。
「ところで、勉強するなら赤ペンよりも青ペンの方がオススメですよ。記憶の定着が早いので」
サマンサはホワイトボードから一度顔を背けると何の脈絡もないことを突然言い始めた。
――もしかして冗談を言ったのだろうか?笑うべきか?
僕がそんなことで悩んでいる間にサマンサ主査はホワイトボードに大きく『A+B』と『B+C』という単語を書いた。
「本当はもっと複雑な計算式になるのですが、今はわかりやすくこの二つの式を使用して説明します。A+Bが爆発系の魔法の配列パターンだとすると、フィルムに残っていた粒子の配列パターンはB+Cになるということです」
「つまり代数みたいなものということですか?」
「そう捉えてもらって構いません。ここでいうBは魔法を使用した人もしくは物を指します」
「ああー、えーと、つまり二つの魔法は種類こそ違うけど使用した人物は同じということで?」
「その通りです。魔法解析からわかることはその魔法の種類と使用した対象です。ただし、あくまでわかるのは配列パターンだけですので、それがどのような魔法であるのか、どのような人物かまでは推測するしかありません」
「推測というと?」
サマンサ主査はホワイトボードから移動し、デスクの上で唯一綺麗に掃除してあるデスクトップ型のパソコンの上に手を置く。
「このパソコンには今まで警察が集めたあらゆるサンプルの配列があります。この中で一致する配列があれば、それが検出した魔法粒子の正体になります」
「ほう」
面白いな、と思った。そしておそらくだが、ジェシカは混乱しているな、と思った。
「魔法使いの中にはこの配列コードを意図的に組み替えてオリジナルの魔法を使用する者もいます。ただ、そこまでいくと神の領域といっていいでしょう。一般的な魔法使いが使用する魔法の情報はこのデータベースの中に存在します」
「特に」とサマンサは続ける「過去に犯罪を犯した魔法使いもしくは魔女から検出された魔法粒子の配列パターンはすべて保管されています。魔法による再犯はほぼ確実に捕まると考えて良いでしょう」
僕は疑問に思ったことを口にする。「それでは、カメラに残っていた魔法粒子の配列パターンは?」
「もちろん、ありました。まずカメラを爆発した魔法ですが、これは古典的な爆発魔法です。一定の条件が揃った場合、特定のものを破壊する爆発魔法で、今でもたまに使用されることがあります」
「魔法使いでなくてもできる?」
「それ専用の魔法武器があれば。ですが、我が国では不可能です。法律で規制されていますので。ただ規制の緩い国ならば、一般人でも使用可能な魔法武器を入手できます」
ダークフォレストは無国籍地帯。だから何者かがあの家に魔法武器をしかけ、カメラを爆発させることは可能、ということか。
「ですが、もう一つの魔法はそうとも限りません」
サマンサ主査はもう一つのビニール袋、フィルムが入っている方をつまみあげた。
「こちらのフィルムには撮影を妨害する特殊な魔法がかけられています。カメラが爆発したか否かに関わらず、このフィルムで写真を撮るのは不可能です」
「本当に!よかった、じゃあ撮影できなかったのは私のせいじゃないんですね?」
ジェシカはホッと安堵の表情を浮かべた。だから言ってやった。
「ああそうだよ、全部魔法のせいだ。もっとも予備のフィルムも勝手に使用したのも魔法のせいだといいけどな」
「うっ……博士、私、たぶん催眠系の魔法がかけられている思います。さっきから眠くて眠くて……Zzz」
「寝るな」
ジェシカの額を叩いた。思ったより良い音がでた。「はうッ!痛い!」
「お嬢さんにも魔法が?ぜひ後で人体実験をしましょう」
「あの、それより続きを教えて欲しいのですが」
突然の申し出に顔面蒼白のジェシカを尻目に僕はサマンサを促す。
「え?ああフィルムの方ですね。こちらから検出された魔法粒子の配列パターンを調べたら、昔流行った魔法の配列パターンと一致しました」
「へえ?昔っていつですか?」
「そうですね。およそ50年ほど昔ですか?」
――ん?偶然かな?ちょうど魔王が死んだ頃だ。
「100年前の科学革命以降、世の中の潮流としては魔法よりも科学を重視する傾向に走るようになりました。魔法は確かに便利で役立ちますが、使えるのは一部の人間だけ。でも科学は違います。力のない人間でも使用できるように量産化された様々な産業製品は魔法の衰退を招くのと同時に人類のさらなる発展に貢献しました」
――大衆はより便利なものを望みますとサマンサは言う。
「魔法を使えないものにとって魔法は不要の代物。それよりも誰でも使用できる産業製品の方が大衆にとっては価値があります。ですが、それだと困る人たちもいます。もちろん、魔法使いですよ」
「科学技術が発達すると魔法使いが困るの?」
ジェシカはきょとんとした顔をして質問する。サマンサは答える。「もちろんです」
「魔法使いが崇められるのは彼らが一般人にはない特異な力を持っているからです。しかし、科学技術が発達するにつれて魔法の価値は低下しました。需要のないものはいずれ廃れてしまいます。そのような頃に科学に対抗するための魔法が生まれるようになりました」
――これもその過程で生まれた魔法の一つです、とサマンサはフィルムを見せる。
「このフィルムに使用された魔法は、ただX線を放射してフィルムを使用不可能にするという、日常生活を送るにあたっていたって不要な魔法でした。ですが、科学技術の発展を妨害するにはちょうどよい魔法です。これと似たような魔法が科学革命の始まりと同時に大量に生まれるようになりました」
――かつては栄光の象徴であった魔法使いもこうなると見るも影もありません、さもしい連中ですとサマンサ主査はため息まじりに答えた。




