サマンサ博士の鑑定実験(1)
「魔法は……残留します」
酸欠でも起こしているのか、ぜえぜえと呼吸を荒くしながらサマンサ主査は紫色の唇を動かして言う。
「実をいうと、私たちの世界において魔法というものはいまだに解明されていない未知の領域です。……さる宗教家の言葉を借りれば魔法は神からの恩寵であるそうです」
――ふぅ、疲れるとサマンサ主査は面倒臭そうに愚痴った。
それでも研究者としてのプロ意識からか髪をかきあげると、ため息混じりに続けた。
「私たちがわかるのは魔法の原理原則のみです。魔法の使い方を知っていても魔法とは何かについては答えられません」
「つまり、何もわかってないと?」
僕はあまりにも汚いラボの奥へ行くのを諦め、壁に背もたれながら質問する。「そんなものを日用品として使用するなんて危険では?」
「それを言ったら、電化製品を使用するのだって危険ですし、飛行機に乗るのだって危険です」
サマンサ主査は僕の質問に淀みなく答える。もしかしたら同じような質問をされたことがあるのかもしれない。
「人類は電気がプラスからマイナスに流れることは知っていても電気とは何か、それはどこからやってきたのかには答えられません。飛行機の飛ばし方は知っていても、なぜあんな鉄の塊が浮いているのか、その理由までは解明されていません」
「え?」
ジェシカが引きつるような声を出した。そういえばつい昨日、飛行機に乗ってましたね、ジェシカさん。
「物理の法則はとても単純で明快です」サマンサはジェシカの驚きには特に関心を払わず、そのまま続ける。「ですが、なぜその法則が働くのか、その理由はいまだ謎のままです。科学といっても解明されていない分野はまだ多いのが現状です」
「ハードディスクに情報を記録する原理はわかるのに、なぜ人の細胞に情報が保存されるのか、記憶の仕組みも謎ばかりです。人体が抱える闇の奥は深い。魔法はより深淵で、謎ばかりです。……魔法というのはオカルト〈隠された科学〉なんです」
サマンサ主査はずずーとビーカーに口をつけてコーヒーを飲む。黒い液体は彼女の紫色の唇から喉の奥へと流れ込んでいく。
全部飲み干すと再びビーカーにコーヒーを注ぐ。ただでさえ死にそうなほど不健康な顔をしているのに、どんだけコーヒーが好きなんだろう?
「魔法解析はそんなオカルトな分野に科学のメスを入れることができる唯一の鑑定法になります。魔法解析によってわかることは多いです。特定の事象に対して魔法解析を行うことで、それが従来の科学で説明がつくことなのか、それとも魔法に属する現象なのかがまずわかります」
「それはつまり……」よくわからなかった。だからなんて質問していいのかわからない。
大きなクマのある眼を細め、サマンサ主査は続ける。「魔法のような現象が起きたからといって必ずしも魔法によって引き起こされた現象とは限らないということです」
サマンサはぎょろりと視線を動かして、ジェシカを見ながら言った。
「例えば、そこのお嬢さんが所有する剣。見たところ炎剣フランベルジュのようですが……」
「ふにゃ……え、私ですか!えへへへ、なんでしょう?」
突然指名されて驚いたのか、寝ぼけ眼をハッと目覚めさせてジェシカは背筋をピンと伸ばした。
「それは5年ほど昔に流行った騙し武器です。その剣で何かを燃やすことは絶対できませんので、あまり剣の力に依存しないように」
「え、ええ!嘘ですよ、だってだって、私見ましたもん!伝説の魔法剣士さんがこの剣で大木を燃やしたところを!」
「それは古典的な詐欺の一つです」
ずずーとビーカーからコーヒーを飲む。もしかしたらこれは会話を途中で遮り、体を休ませるための彼女流のパフォーマンスなのかもしれない。
「おそらくですが、その燃えた大木って森の中で生えているようなものではなくて、既に伐採されたものではありませんか?」
「え、あの……はい」
「実は5年ほど昔、ある詐欺が流行りました。その名も『燃えるんです詐欺』」
僕はなんといっていいのかよくわからない気分になった。おそらくその名前は警察庁の誰かがつけたのだろうが、なんというのだろう、馬鹿丸出しである。
「『燃えるんです詐欺』の手口はとても簡単です。まず、火薬を仕込んだ大木を用意します。それを沢山の人がいる中に置いておき、詐欺師はなんの変哲もない剣で大木を斬ります。すると大木から出火、火薬に引火して大炎上、最後には黒い炭となって燃え尽きます。聴衆を驚かせた詐欺師は彼らに語りかけます。『この摩訶不思議な炎剣フランベルジュを今なら5人まで限定で販売しますよ!』……と」
「……え、なんで知ってるんですか?」
ジェシカの素っ頓狂な声に僕は思わず顔を背け、彼女に見えないように配慮しながら笑った。
「斬りつけたものはなんでも燃やす魔法武器。そんな珍しいものならば大枚叩いてでも買おうと考えた人が随分いたようです。この『燃えるんです詐欺』で一体どれだけのばか……被害者がでたことか」
サマンサ主査は説明している最中、チラリとジェシカの方を見ると言葉を区切り、『ばか』から『被害者』に訂正した。もっとも、火に油を注いだだけのようだが。
「で、でもでも!以前、私が斬ったもの、ちょっと焦げ目がついてましたよ!」
「それ、近くに剣の売人がいませんでした?」
「いました!なんで知ってるんですか!」
……僕はジェシカが少し哀れに思えてきた。もうそれ以上喋るな。見ていて痛々しい。
「『燃えるんです詐欺』の詐欺師のちょっと賢いところはちゃんと騙されたばか……被害者のフォローをするところにあります」
サマンサ主査はまるでフォローになっていないことを言った。
「実はこの詐欺師。発火系の魔法ができる魔法使いだったそうで。火薬に火をつけるときも魔法を使用したのです。詐欺師はお客さんが斬ったものを影に隠れてこっそり着火させて、焦げ目を残すんです」
「へえ、じゃあ魔法は剣じゃなくて人が使用したんですね」
「その通りです。半年ほど前、被害者が魔法解析の鑑定依頼を申し出ました。ちょうどそこのお嬢さんが持っているのと同じ剣を魔法解析したところ、剣からは一切の魔法粒子が検出されませんでした。ですが、現場にあった大木の燃えカスからは発火系の魔法を使用した痕跡が残留していました」
サマンサはぜえぜえと肩を動かし、コーヒーを飲む。そのコーヒー、変な薬でも入っているのか?
「大木から検出された魔法粒子と逮捕した詐欺師の血液より採取した魔法粒子の配列パターンが一致。裁判ではそれが決め手となり、詐欺師は今では犯罪者として刑務所暮らしです」
がっくりと項垂れるジェシカは「私の奨学金……」と小さく呟いた。
お前は奨学金を何だと思っているんだと心の中でぼやきつつ、僕はサマンサ主査を見る。
「その鑑定は私がしました。不安は払拭されましたか、ロックハート弁護士さん?」
――もちろん、と僕は彼女に伝えた。




