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面会(8)

「それで……」


 シャワー後の濡れたブロンドヘアをタオルで拭きながら、ナターシャ所長はイスに座った。背後からの日差しのせいで、表情はよく見えなかった。


 僕は資料を全て所長の机に戻し、応接用のソファに座っている。


「今日は何の用?」


 生臭さはもうなかった。むしろ、甘ったるい香りがする。


「単刀直入に言いますと、仕事ください」

「仕事?でもうち、刑事事件専門だよ。そういう仕事、ダンくん嫌がってなかったっけ?」


 人差し指を色素の薄い唇にあてながらナターシャは言う。相変わらず眉間にしわが寄って、目は鋭いから、パッと見ると不機嫌なのかもしれないと思ってしまうが、僕は知っている。


 こういう顔をするときはだいたい、機嫌が良いのだ。


 ――本当に機嫌が悪いとき、この女所長は無表情になる。むしろ、そちらの方が怖い。


「別になんでもいいんです。ちょっと今お金に困っているので、できれば誰でも簡単に稼げる楽な仕事ください」

「なんでそんなニート思考なの?うーん、簡単に稼げる仕事かー」


 ナターシャ所長はちらりと視線を落とした。


 ――何を見ている? 


 視線の先を見ると、先ほど机の上に戻した資料があった。


「実は今、仕事を二つ抱えているの」


 ナターシャは言う。


「一つは少し長引きそうだけど、確実にお金にはなる仕事。もう一つは早く終わるけど、お金にはならない仕事。私は後者の仕事を優先させたいの」


 要するに、金になる仕事とそうでない仕事か。

 思うに、あの机の上にある浮浪者の事件が、そのどちらかになるのだろう。

 

 さて、どうするべきか。

 正直な話、僕は刑事事件はあまり好きではない。報酬はあまりよくないし、事件も長期化しやすい。それに、この国の警察組織は優秀だ。


 起訴される仕事のほとんどは有罪判決が確定しているものばかり。無罪判決を勝ち取れる可能性もほとんどない。


 もっと言ってしまえば、クライアント側にも問題がある。金のあるクライアントというのは基本的に優秀な顧問弁護士を擁しているものだ。


 だから僕のような新米のコネなし人脈なし金もないの三拍子が揃っている弁護士がやる刑事事件の多くは金のない貧乏人が起こした事件ばかりになる。


 昔、この所長のもとで働いてたときは、そういう金のない犯罪者ばかりを弁護していた。

 そのときに学んだ。弱者は助ける必要がない。


 どいつもこいつも改心するチャンスは今までに何度もあった。いや、もっといってしまえば犯罪に手を出す必要すらなかった。


 もっと他に良い方法はいくらでもあるにも関わらず、自分の欲を満たすためだけに犯罪をしている。


 正義はない。救う価値もない。助ける価値はもっとない。助かりたければ自分でなんとかしたらいい。


 先ほどの写真の、どこの誰ともしれない女もきっと、他の奴と大差はないのだろう。


 だからできれば、この事件はやりたくなかった。


 あの風貌、それに経歴。あの写真にいた被告人が弁護士を雇えるほどの費用を払えるだけの大金を持っているようには見えないからだ。


 そして――僕は所長用の大きなイスに座っているナターシャを見る。


 この人は、ああいう輩を助けることに生き甲斐を感じているお人好しだ。


 きっと、この人が今取り掛かっている仕事というのは、あの住所不定の女が起こした殺人事件だろう。

 すぐに終わるけれど金にならない事件とはきっとそちらだ。


 だったら、それとは別の長引きそうだけれど金になる仕事を引き受ければいい。

 僕は腹をくくった。


「わかりました。所長には所長の仕事がありますし、僕はそちらの長引きそうな仕事を手伝いますよ」

「本当に?助かるわ。実は今、兄の仕事で手一杯なの」


 ――ん?兄の仕事?


 僕は記憶を辿る。この人のお兄さんは確か、この国でもっとも成功してる会社の経営者だ。


「あの、一つお尋ねしますが……」

「あら、なに?」

「所長はどんな仕事をしているのですか?」

「んー、どうしようかな。一応クライアントの情報だから口外法度が原則なんだけど、まっ、いいか。実はね、とても恥ずかしいお話なのだけれど、うちの兄、訴えられたのよ」

「はあ?」

「ほら、知っているでしょ?うちの兄って昔から変なのよ」

「はあ……」

「でね、その変な趣味の一つに女性の下着を着ると落ち着くというものがあるの」

「はあ?」

「ダンくん、さっきからはあしか言ってないよ?他に何か言うことないの?」

「的確な反応でしょ。どこの世界にそんな変態趣味のある一流企業の社長がいるんですか?」

「それは誤解よ」

「そうでしょうね」

「一流企業の社長のほとんどは変態よ」

「そういう誤解かよ!」

 なんか頭が痛くなってきた。この国、終わってる。

「あ、信じてない。本当なのにッ!」


 ぷぅ、と頬を膨らませるナターシャ所長は続ける。


「とにかく、あの兄は今、セクハラの罪で訴えられているのよ」

「具体的に何をしたんです」

「メイドのパンツを盗んだ」

「馬鹿じゃねーの」

「私に言わないでよ。私はその兄の弁護をするのよ」

「それに盗んだって。なんで盗むんですか。頼めばくれるでしょ。仮にも金持ちでしょ。お金を払ってからもらおうとか考えなかったんですか?」


 まあ、それはそれで問題のある話ではあるのだが。


「兄が言うには、盗んだ方が興奮するらしい」

「真性の変態でしたか」

「変態に仮性もないでしょ。変態は皆、真性よ」


 ナターシャはため息をつく。


「とにかく、私は忙しいの。これからさっちゃんに事情を伺いにいくのだから」

「さっちゃんって誰ですか?」

「うちのメイドよ。うちの実家でもう5年くらい働いてる、とても可愛い女の子よ」

「そのさっちゃんがどうしたんですか?」

「そのさっちゃんのパンツを盗んだのよ」


 ナターシャは嘆息をした。「さっちゃん、どうして今回に限って訴えたのかしら?今までは笑って許してくれたのに……示談にできるからしら?」


「初犯じゃないんですね」

「当たり前じゃない。兄は昔からの変態なのよ。私も子供のころ、よく盗まれたわ。今じゃいい思い出よ」


 ――こっちの事件を担当しなくて良かったかもしれない。


 僕は所長に言う。「わかりました。もういいです。では、僕が担当する事件について教えてもらえますか?」

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