調査(19) 黒い森より
「おい、ジェシカ?どうした?」
電話越しに何度も呼びかけているうちに自分の馬鹿さ加減に気がついた。
――通話が切れているのに聞こえるわけないだろ。
番号をプッシュして再び電話をかける。だが、コール音が虚しく鳴り響くだけで一向に返事がなかった。
――何があった?
僕はエレベーターホールの前に立ち、ボタンを押す。やがて扉が開き中に入ると最上階のボタンを押した。
扉が閉じ、ガタンと一度揺れるエレベーターはそのまま上昇する。その間も何度か電話で呼びかけてみたが、誰も応じてくれなかった。
最上階の扉が開き、外に出る。そこは薄暗いホールで、グリーン色の非常灯が唯一の光源であった。
非常灯には白く輝く文字が浮かんでおり、そこに『非情階段』があることを示していた。
――階段もあるのか。
衛星電話を片手にふとそんなことを考えていると、突然電話口から『ダニエルさん、なんで突然電話切っちゃうんですかッ!』とけたたましいジェシカの声がした。
僕はホールを抜けて外に出る。そこは快晴が広がる屋上で、電波の具合も良さそうだった。
「お、やっと通じた。焦らせるなよ」
『それはこっちのセリフですよ?なんで急に電話切るんですか?』
――ぐす、と小さくむせび泣く声が聞こえた。
「あ?何言ってる?切ったのはそっちだろ?だいたい何回も電話したのに無視するんじゃねえよ」
『あば??そっちこそ何言ってるんですか??私、ずっとリダイヤルしましたよ。出なかったのはダニエルさんですッ!』
――話が噛み合わないな?電波でも乱れてるのか?それに、あばって何だ?
「わかった、一旦落ち着けよ」
『もう、一人にしないでくださいよぉ~』
「悪かったよ」
――なんで僕が謝っているんだ?
僕はカバンを地面におろし、そのまま壁にもたれかかりながら座り込んだ。
空を見上げるとまっさらな青い空が見える。どうやら警備員と随分長く話し込んでいたらしい。いつの間にか快晴になっていた。12月の外の空気はいまだに冷たく肌に突き刺さる。だが、太陽の日差しはこの上なく気持ちよかった。
「それで?写真は撮れたのか?」
『あ、えーっと、その~、実はですね~』
ジェシカはひどく言いにくそうに答えをはぐらかした。
「なんだよ?」
『う、その、ごめんなさい。カメラ、壊しちゃいました』
「はあ?」
――マジで?
『その、ここに来る前まではちゃんと動いていたんですよ?何回か試し撮りしてみたからそれは間違いありません』
「へえ、そうなんだー。で、よく撮れてた?」
「はい、もうバッチリ可愛く撮れましたよッ!』
――試し撮りっていうか自撮りじゃねえか。
『でも、家の中を撮影した途端、カメラから煙が出て、フィルムが焼けちゃったんです』
――びっくりしちゃいました、とジェシカは危機感のない声で言うので余計に腹が立った。
「じゃあ、予備のフィルムと交換したら?」
『もうないですよ』
「なんでだよ、沢山渡したろ!」
『だってもう、それで撮っちゃったんですもん』
……もうヤダな、イヤになるよ。
『あ、でもでも、大丈夫です。デジカメの方はちゃんと機能していましたから!』
「……本当かよ?」
『あ~、疑ってる~!ひどいなあ、少しは私のこと信用してくださいッ!』
できるかッ!と思いつつも、信じるしか道がない今の状況に嫌気が差した。
「わかったわかった。信じるよ。で、その家の中はどうなってた?」
『それがですね、ダニエルさん。ここ、すっごい汚いんですよッ!』ジェシカは妙に張り切った口調で言う。『なかはごちゃごちゃしてるし、埃まみれだし、蜘蛛の巣は張り放題だし、とてもこんなところで住めませんッ!』
ジェシカの話を聞く限り、そこはきっと無人の家なのだろう。
クラウディアが封筒を受け取ってグリムベルドに入国したのはつい先月の話。ほんのひと月ふた月でそこまでひどくなるとは思えなかった。
――いや、あんな可愛い顔して実は片付けられない女なのかもな。
「ジェシカ」僕は衛星電話越しに呼びかける。「そこは人が住めそうか?」
『無理無理、絶対無理ですよ。埃が多すぎて、こんなところに住んだら窒息死しちゃいます!』
ということは、クラウディアが片付けられない女かどうかに関係なくこの家はクラウディアの実家というわけではなさそうだ。
――事件とは無関係か?
それはわからなかった。
「今は家の中にいるのか?」
僕がジェシカにそう聞くと、『いいえ、今は外です』と答えが返ってきた。
『こんな場所、一秒だっていたくないですよ~。カメラは焼けちゃうし、蜘蛛の巣は頭にひっつくし、目は痛いしで散々です。おまけにダニエルさんは電話に出てくれないし~』
――むー、と威嚇するような声がする。直接見なくてもふくれっ面を浮かべているジェシカの姿が容易に想像できた。
「またその話かよ。しつこいな。いいじゃねえか、つながったんだから」
『あ、ひっどい!私がどれだけ怖い思いをして家の中を散策したのかわからないんですかッ!』
「はいはい。わかったよ」
『外に出るまですごく寂しかったんですよ。もっと早く電話に出てくださいよッ!』
「だから――」
――外に出るまで?
「なあ、電話が通じたのは外に出てからなのか?」
『そうですよ?それがどうかしました?』
――電話が切れたのは、家に入ってからだった。
確かに携帯などの電波を妨害する通信機能抑止装置があれば、通話を遮ることが可能だ。
でも、こんな人里離れた未開の土地でそんな最先端の機器が置いてあるのだろうか?ましてや電気も水もガスもない場所でだぞ?
インフラが一切存在しない場所で電波を妨害する方法は、ないわけでもない。
――魔法を使用すれば、不可能でもないか。
魔法使いの中には電波を妨害する魔術に長けている者もいるらしい。低出力の電波であれば簡単に妨害できる魔法道具は多く販売されている。
もちろん、出力の高い電波を妨害しようとするのならそれ相応の魔力が必要になる。
携帯電話の電波程度ならばそれほど苦労せず電波を妨害できるだろう。だが、高出力の衛星電話の電波を妨害するとなると相当強力な魔力を消費することになるはずだ。
一体誰がそんなことをしたのだろう?ただの古びた廃屋同然の家屋によほど知られたくない秘密でもあるのか?
俄然興味が沸いた。
「ジェシカ」
『なんです?』
「そこを徹底的に調べてくれ』
僕の言葉にジェシカの嫌そうな声が聞こえたが、最後には了承、渋々『わかりましたよ~』と答えた。




