調査(10) ホテル
事務所に戻ると、何もないスペースにざっくばらんと資料を撒き散らした。
あのバックラーのせいで今の事務所はだだっ広いだけの空間になってしまった。机も椅子も何もない。だから床に資料を撒き散らしたものの、これだと僕が座れるスペースがなかった。
――片付けるか。
といっても全てを片付けるのは億劫だったので自分が座れるスペースだけ確保すると、そこに腰を下ろして調査を再開した。
ホテルに滞在できない以上、調査をするのなら他のホテルを探した方がいいかもしれないと思い、散々探してみた結果――
『申し訳ございませんが、当ホテルは既に満室でございます』
とつれない返事ばかりだったため、現地に向かうのは翌日にすることにした。
――日帰りだな。
ウェストミンスターホテルの住所は事務所からそう遠くない。電車で二時間といったところだ。
――ちゃんと調べるのなら時間は沢山あった方がいい。
そう思い、今日の調査はそこで終了することにした。事務所の外を見ると雨が上がったため空気が澄んでおり、夕日のせいで空が赤く染まっていた。
いつもよりも赤々とした夕焼けに目が眩む。事務所の床の上に並べた資料を一枚一枚手にとった。
図書館で調べた資料もあったため、いつの間にか資料はだいぶ増えていた。その中にはウェストミンスターホテルの外観を撮影したらしい写真もあった。
ウェストミンスターホテルは外観だけ見ると頑健な古城に見える。黒いレンガが敷き詰められた壁には幾年にもわたってその城を守り続けてきたような面影さえあった。
――きっとわざとこういうデザインにしたのだろう。
どれほど外観を取り繕ったところで、その実態は最新のセキュリティ設備と多様な娯楽施設のある観光ホテルなのだから。
僕は必要な資料をカバンにいれて部屋に戻ることにした。
なんだか今日はひどく疲れていた。部屋に戻った時刻はまだ19時頃であったが、そのままベッドに倒れるとすぐに眠ってしまった。
その翌日。目覚まし時計が鳴るよりも早くに目を覚ました僕はシャワーを浴びてスーツに着替えると、カバンを持って現場に向かった。
早朝の電車は空いていた。イスに座って二時間ほど揺られているとやがて目的の駅についた。
ホームを降り、自動改札口を抜けた時、カバンがブルブルと震えた。
――なんだ?
一瞬爆弾でも入れていたかと思ったが、そういえばカバンの中には連絡用の衛星電話があったことを思い出し、急いで取り出した。
「もしも――」
『おっはよーございますッ!ダニエルさんッ!』
たまにザーザーと雑音が混じっていたが、衛星電話の音声はクリアに聞こえた。ただ単にジェシカの声が馬鹿でかいだけなのかもしれないが……
「おはよう。今どこだ?」
『えーとですね、実はもう空港に到着していて、これからダークフォレストに向かうところなんですけど……』
ジェシカは含みのある言い方をする。
――なんだ?嫌な予感がした。
『え、えへへへ、怒らないで聞いてくださいね。実はあの後、私すぐに空港に向かったんです』
「うん。それで?」
『え、えへへへ。そ、それでですね、航空券を持ってそのまま飛行船に乗ったんですが……』
「なんだ?パスポートでも忘れたのか?」
僕がそう突っ込むと、『それは大丈夫です。忘れたのは財布です』と朗らかに答えた。
『ダニエルさん。私、昨日から何も食べてないんです。お腹ペコペコなんです。ヘルプミ~』
……(##゜Д゜)
……落ち着け。むしろ良かったじゃないか、この程度の問題で。
前向きに考えろ。事態は思ったほど悪くない。
僕ははらわたが煮えくり返るのを必死に抑え、とにかく解決策を考えた。
「わかった。とりあえず送金するから待ってろ。空港の窓口で待機しておけ」
『あ、ありがとうございますぅ』
衛星電話から『うぅー、お腹すいたよぉー』という哀れみのこもった声が聞こえると、僕は通話を切った。
僕は駅前にあった銀行で海外送金の手続きを済ます。まあ5万Gゴールドもあればいいか。ついでにサドム共和国の通貨に両替した後、送金した。
そうこうしているうちにいつの間にかお昼になっていた。
――あのアホ娘がッ。余計な時間を食った。
ウェストミンスターホテルにはバスで行くことになりそうなので、停留所でバスが来るのを待つ間に衛星電話でジェシカに電話した。ワンコール目ですぐに電話に出た。
『ダニエルさんッ!お金、届きました!ありがとうッ!』
ズルズルと何かを咀嚼する音が聞こえる。もう何か食べてる。
――人選間違えたかな?どうしてもその疑惑は消えなかった。
『でもダニエルさん。これ、受け取るときに手数料として2000Sゴールドかかっちゃいましたけど、大丈夫ですか?』
「はは、気にするな」
僕は言う。そして思う。――依頼料から引いてやるよ。必要経費だ。
「そんなことより」僕は話題を本題に移す。「ダークフォレストの場所はわかったか?」
『はいッ!それはもうバッチリですッ!店員のおじさんにいろいろ教えてもらいましたッ!え、ビールですか、はい飲みますッ!』
「おい、店員のジジイとそれ以上仲良くなるな。仕事しろ」
ジェシカはしゅんとした声を出す。『ごめんなさい』
「わかればいい。飯食べたらさっさと仕事にかかってくれ」
『ハーイッ!ダニエルさんもいってらっしゃーいッ!』
「……ああ、いってきます」
電話を切ると同時にバスがやってきた。目の前でプシューと音をたてて扉が開く。
――いくか。
僕はバスに搭乗し、目的地に向かった。




