調査(4) 黒い森
ダークフォレスト、通称『黒い森』は総面積10000平方キロメートル以上の広大な森林だ。
その大部分を木々が密集しており、その80パーセントは背の高い針葉樹で、一旦足を踏み入れると陽の光を遮ってしまうため、たとえ昼のよく晴れた日であっても森の中は暗く、闇が潜んでいる。
一本一本は輝かしい黄緑色の木々なのだが、これがひと度密集してしまうと色素が濃くなって黒く染め上がってしまうことから、周囲に住む人たちは黒い森と呼んでいる。
ただし、低地になると質の良い広葉樹が群生しているため、家具や楽器の素材を求めてたまにハンターや木樵が足を踏み入れる。
ダークフォレストの名品は質の良い木材だけではない。この地でしか採取できない高級食材もあり、ショウロと呼ばれるきのこは高値で取引される。
他にもダークフォレストでしか育たないブルーベリーは高級ワインの原料として名高く――
「世界の美酒として有名、か」
傭兵派遣会社でフリーの傭兵を募集した後、僕は一度図書館を訪れた。電脳サイトで収集できる情報はだいたい調べ終わったので、次は図書館の資料をあたることにした。
窓から外を見ると、いつの間にか小雨は大雨へと変わっていた。そのせいか図書館に人は多く、席を占拠しておかないとすぐに他の人に奪われそうだった。
たまにびしょ濡れになったお年寄りや子供が入ってきて、司書にタオルを貸してもらっているのを見ると、まだまだ来館者が増えそうな予感がした。
図書館で本を探すと、ダークフォレストに関する資料は意外と多かった。
歴史、地理、文化、それぞれのジャンルごとに何十冊も本があったので探すのに手間取らなかったが、すべてを読んでいられるほどの暇はない。
ダークフォレストについて知りたいのは、この森で人が住めるかどうか。それだけだった。
だから歴史について色々と探っていたのだが、どこをどう読んでもこの森には幻の珍味はあっても人間が住める温もりはなさそうだった。
確かにダークフォレストに金の匂いを嗅ぎつけて、毎年多くのハンターがここにやってくるそうなのだが、ほとんどのハンターが森の浅いところ、入ってすぐのところでめぼしいものを獲得し、帰ってくるというのがハンターたちのオーソドックスなパターンだった。
それ以外の情報がないところを見ると、森の奥まで冒険するようなハンターがいないのか、もしくは奥まで行った人間は全員死んだのかのどちらかだろう。
資料によれば、ダークフォレストに生息するモンスターの種類は多く、そのどれもが非常に獰猛で、好戦的な性格らしい。
――僕のもっとも苦手とするタイプだ。
モンスターは大きく分類すると二種類存在する。
力だけが取り柄の怪力系モンスター、怪物。
力だけでなく特殊な能力も持っているモンスター、魔獣。
本当はもっと学術的な名称があるのだが、今はそれはおいといて、問題はダークフォレストにはこの両種類が生息しているということだ。
特にただでさえ怪力がある上に、魔力まで有している魔獣は非常に厄介な存在だ。
僕は直接この目で見たことはないが、魔獣の中には口から炎をはいたり、角から雷撃を飛ばしたり、竜巻を起こす化物もいるそうな。
普通の人間では歯が立たない。このような場所に足を踏み入れるにはその道のプロが必要になる。
――モンスターは私を怖がっていた、そうクラウディアは言っていた。
僕はモンスターの専門家ではない。だが、人がモンスターを怖がっても、モンスターが人を怖がるなんて話は聞いたことがなかった。
ただし、オカルト系の本によればかつて魔王はこのダークフォレストで幼少期を過ごしていたそうで、モンスターを片っ端から皆殺しにしていたことからいつの間にかモンスターからも恐れられるようになったそうだ。
ここまでくると本当に魔王だな。――いや、実際に魔王なのだが。
グリムベルドにいるとあまり実感は湧かないが、他国の資料をあさると至るところで魔王に関する文献や資料を見ることができる。
魔王が残した爪痕は大きく、それが後人に残す影響は計り知れないものがある。
――だから妙な憶測が湧く。
クラウディアの家にはどのような本があったのだろうか?外界と隔絶された環境において、彼女が外の世界を知る唯一の手がかりは本だけだった。
その情報がもしも嘘だったら、きっと彼女の世界は壊れてしまうだろう。
今まで自分が正しいと信じてきたものが実は悪で、悪こそが正義だったら?
普通なら、信じられない。だから否定した。世界の方が間違っていると。
――なんだそれ、子供かよ。
……子供だったな、そういえば。
しばらくダークフォレストに関する資料を読みあさっていたが、めぼしい情報はなかった。
――そういえば、勇者ローランはこの近くで生まれたんだな……
僕はダークフォレストの地理を確かめながら、ふと疑問に思った。
魔王が最初にその名を世間に轟かせたのは、軍事国家のジャハジール。
魔王はそこで亜人たちによるテロ組織を作り、国家転覆をはかった。
それは失敗に終わったものの、そのときの爪痕は今も残っている。魔王軍と政府軍の闘争は激しく、何千万人もの死者を出した。
街は壊滅状態。軍事国家なのに政府軍は機能不全を起こすほどのひどい有様で、国連による軍事介入がなければそのまま国が一つ滅んでもおかしくなかったほどだ。
――魔王のデビュー戦だな、と心の中でぼやく。
かたや勇者ローランはといえば、その当時はアルレジオ民国で傭兵として生計をたてていたらしい。
一介の剣士に過ぎない彼がどのようにして聖剣の使い手、勇者になるに至ったのかは謎のままだが、記録によると相当腕のたつ剣士だったそうな。
強さについては憶測だな、と思う。これといった具体的な資料もないし。おそらくその強さは魔王を倒せるほど程度のものだろう。
それはそれで凄いわけなのだが、それよりも注目したいのは彼がいたと言われている場所だ。
アルレジオ民国はジャハジールのちょうど西側にある国だ。
ダークフォレストを中心に南東にジャハジール、南西にアルレジオ民国があったということだ。
アルレジオ民国の正式名はアルレジオ国民国家で、もともとは単一民族国家だったそうだ。
そのせいか人口の9割はアルレジオ人なのだが、勇者は違ったのかもしれない。
もしも勇者がアルレジオ人ならば、もっと詳しい個人の情報があってもいい。
不法移民だったのかな?
勇者が生まれたとされるオースティンの村はアルレジオ民国にある。
――でも彼に関する資料は少ない。どうしてだろう?
今まで不思議に思わなかったが、勇者だろうと魔王だろうと生まれたら戸籍が残りそうなものだ。
50年前ではDNA調査もできないが、血液型ぐらいならわかるだろうし、デジタル情報として保存できなくても役所の資料として保管することはできるだろう。
アルレジオ民国は確かにまだまだ発展途上国だが、政府機関のある国だ。
健康保険もあるし、年金制度だってある。だったら、戸籍だって存在するのでは?
勇者とか魔王とか妙なくくり方をするから変に納得してしまう。これが勇者でも魔王でもなく、ただのひとりのそこにいる人間だったら、もっと別の見方ができるのではないのか?
――なんだよ、頭が古いのは僕の方か?
これじゃあ昔の人を馬鹿にできないな。知らず知らずのうちに魔王と勇者のことを僕はただの空想上の存在、化物か怪物のようなものとして扱っていたのかもしれない。
――人間として扱ってみるんだよ。そうすればもっと深く探ることができる。
魔王はジャハジールでの内乱の後、国連軍に追われて逃亡した。その先はなぜかアルレジオ民国ではなく、サドム共和国だった。
サドム共和国は国連加盟国の中でもかなり特殊な国で、魔導兵器などの軍需産業が活発な国だ。
一方で、アルレジオ民国は商業が盛んなエンタメ国家。軍隊も一応あるが、正直目も当てられないような弱さが特徴だ。
2000人の国境警備隊では戦争は勝てないだろう、アルレジオ民国の歴史本を読みながら僕はそう思った。
サドム共和国とアルレジオ民国、逃亡先として選ぶのならアルレジオ民国ではないのだろうか?
と、軍事素人ながらに思ったが、もしかしたら魔王には魔王なりの考えがあったのかもしれないし、実はサドム共和国が魔王と内通していた可能性だって捨てきれない。
こればかりは予想の域だ。ただ、サドム共和国が魔王と内通していたという線はないだろうなと、歴史本を読んでいて思った。
魔王はサドム共和国に逃亡した際に、国宝を三つ強奪したらしい。
龍神の刃、女神の羽衣、死者の宝寿。
これらは5000年以上も前からサドム共和国に伝わる魔法道具で、美術的な価値はもちろんだが、その歴史的な価値は相当なものだ。
なにせかつて最強の魔法種族と謳われたアララト人が残した魔法道具なのだから、国の象徴といっても過言ではない。
――そんなもの盗むなよと思いつつ、僕は女神の羽衣の写真を見て、嫌な汗が流れた。
これ、クラウディアの服に似てないか?
「はは、まさかな」
白いシルクのような素材の布を身にまとう少女の写真が、本の一ページに大きく掲載されていた。
ほとんど裸同然だが、大事なところは隠しているその大きな羽衣を生地にして鋏で切り、ブラウスとスカートにしてしまえばちょうどクラウディアの格好になる。
「……白い生地なんて、どこにでもあるよな」
と考えていると、上着の内ポケットにある携帯電話がけたたましく鳴り出した。
僕は急いで図書館から出て、玄関口で電話に出た。
「もしも?」
『あの、弁護士のダニエルさんですか?』
スピーカーから聞こえるのは女の声だった。
『私、DSCの掲示板を見たものなんですが、今も傭兵って募集しています?』
――できれば今すぐ雇って欲しいんですけど、ダメですかぁ?とやけに間延びした声が、ザーザーと降りしきる雨の中でよく響いた。




