交渉(5)
「この国の歴史、というより背景を教えるよ」
僕は無い知識を搾り出しながら、クラウディアにグリムベルドのことを教えた。
「この国はな、世界で唯一50年前の魔王との戦争に参加しなかった国だ。なんでだと思う?」
「平和主義だから?」
「違う。建国からの歴史を辿れば、むしろ血と暴力にまみれたひどく悪逆非道な国だよ、ここはね。グリムベルドが今みたいな中立国になるための転換期が訪れたのは、グローリアっていう女性が王位についたときだ」
「その人が何かしたんですか?」
「ああ、した。というよりされた。民衆はな、彼女を牢獄に閉じ込めて当時のあらゆる戦争の責任を全てグローリア女王のせいにした。彼女は死刑になった。首をはねられて、即死。君と同じ18歳だった」
――その後、この国はひどい災禍に見舞われたと、僕は続ける。
「女王を殺して王政を打倒しても何も解決しなかったんだよ。ただ当時の国はね、とても貧しかった。物質的にも精神的にもな。誰かのせいにしたくて仕方がなかった。グローリアはいわば、人身御供にされたわけだ」
「実際、戦争の責任は彼女にあったの?」
「さあ?裁判なんてやらなかったし。女王といっても世間知らずのお嬢様だったらしいから、実際には責任なんてなかったかもな。でも、そんなこと当時の人たちにわかるわけがない。昔は今と違って科学が発達していなかった。今だったらDNAを調べれば目の前の相手がただの人間かどうかわかるけど、当時の民衆にとって王っていうのは得体の知れない化物同然だったんだよ」
――彼女は人として扱ってもらえなかったと僕は締めくくった。
「以上、歴史講義は終わり。王政を打倒した民衆は混乱期の中にあっても一致団結し、二度とこんな悲劇が起こらないように、絶対遵守の法律を制定した。どんな相手にも弁護する機会を与えるようになったし、一人の人間に全てを押し付けるようなことはしなくなった。一応まだこの国には王族はいるけど、王は君臨すれども統治せず。これといった権力なんてないよ。ただのシンボルだ」
――この国はどこにも与しないと、僕は続ける。
「魔王が強力な軍団を指揮し、世界に対して宣戦布告をしたときも、侵略を開始したときも、一つの国を滅ぼしたときも、国連側につかなかったし、魔王を受け入れもしなかった。こういった態度を臆病と罵る奴らもいるけど……まあ事実ではあるけどな、それでもこの国は一人一人の意見を尊重する。よく知りもしない相手のことを勝手に悪だとか善だとか決めたりしない。そういったルールを決めて、僕らは生きている」
「だから、私にも弁護士をつけてくれるの?」
「……そうだよ」
「でもこの国の人達は、私のこと、間違っているとは思ってるんでしょ?」
「まあ、そういう風に考える奴もいるだろうね。いくら法律が正しいとわかっていても、心情的に割り切れないこともあるから」
「弁護士さんは、最初は私の弁護、断ろうと思ったんでしょ?」
クラウディアは目を伏せて、そう質問した。「やっぱり、私のこと嫌いですか?」
「僕が断ろうと思ったのは、僕が民事志望で、刑事事件に苦手意識があったからだよ。でも最終的にはお金がもらえるかどうかで判断した。だから、別に君のことを個人的に嫌ってないよ」
――お金はいいぞ、と僕は続ける。
「人間ってのは感情的になるとすぐに理性を失って間違った判断をくだす。本当に目の前の相手が善人か悪人かの判断がついていないのに、誤った情報を軽はずみに信じて、正しくない決断を下す。でも、お金は常に平等だぞ。もしも僕が利益判断をせず、ただの個人的見解でこの依頼を引き受けなかったら、君はどうなってた?もうとっくに有罪判決が下ってた。利益を計算して理性的な判断をしたおかげで、今の結果があるんだ」
「じゃあ、弁護士さんは魔王は悪人ではなかったかもしれないと思うの?」
「わからん」僕は即答する。「死人に口はないからな。誰にもわからないんだよ、そんなこと」
「私は――間違ったことをしたの?」クラウディアは悲愴な表情を浮かべていた。「お父さんは間違ってた?」
「クラウディア、今感情で判断してるぞ」
僕は指摘して、続ける。
「僕は君のお父さんを知らない。だから、君のお父さんがどのような考えをもって魔王を悪人と判断したのか、正確なことはわからない。だからそれについては判断を保留にするよ。僕はね、感情で物事を判断したくない。だから、君が決めればいい」
「私が?」
「そうだよ。君はどうしたい?18年生きてきて、君は将来どんな生き方をしたいって思ったんだ?」
彼女はしばらく沈黙する。ただじっと机の上を見続けている。
――なんだか、弁護士っぽくないなと思った。僕はこの子の先生か?
「私は、わかりません。あのときは、魔王は殺さないといけない悪だと思って行動してました。でも、今はわからない。だから、しばらく魔王のことを考えるのやめて、弁護士さんと同じ方法で決めます。私も、自分の利益のために行動してみます」
「そうか、じゃあ交渉成立だな。僕は自分の利益のために、君は自分の利益を守るためにお互い協力する」
――法廷で勝ちに行こうと僕は彼女と握手をするための手を差し出し、そしてガラス板が邪魔でできないことに気がついた。
でも、握手は必要ないようだ。彼女も僕のことを信頼していると、彼女の明るくなり始めた表情を見て悟った。




