交渉(4)
――クラウディアは11日にホテルに行っていない。でも、防犯カメラは11日に彼女がホテルの展望台に向かったものとして撮影されていた。
この齟齬は一体なんなのだろう?ただの人為的なミスとして片付けるべきか、それとも――何ものかによる作為の結果か?
僕はクラウディアに質問する。「あの晩のこと――10日に何をしたのか詳しく教えてくれる?」
今までの和んだ空気は雲散霧消、急に周囲の気温が低下したような気がした。
クラウディアもそのような空気を敏感に感じ取ったのか、眉根を寄せて真剣な表情を浮かべる。
「――あの晩は、私、魔王を殺しにいきました」
「そこがわからないんだ」
クラウディアは首を傾げる。僕は続けて言う。
「君は今まで森の中で生活をしていた。グリムベルドに来たことはないんだろ?」
こくりと小さく彼女は頷いた。
「場所はどうやって知った?」
「あの、私の家に世界中の国々の地図があるんです」
おずおずとした様子でクラウディアは答えた。「私、昔から地図が好きで、暇なときがあればよく見てました」
「よく見てるっていっても、国の地図全部だろ?覚えられるのか?」
僕の問いかけに、彼女はこくりと答えた。
――サヴァン症候群、恐るべし。
「でも、ちょっと待って。場所がわかってもすぐには来れないだろ。ダークフォレストってここからどれくらい離れているかわかっているのか?」
無国籍地帯のダークフォレストに隣接している国はサドム共和国、アルレジオ民国、あと軍事国家のジャハジール。
どの国もグリムベルドからかなり離れた場所にある。チャーター機を使えば15時間ってところか?
「……走りました」
ぽつりと彼女は言い、やっぱりこの子は普通の女の子ではないなと思った。
「そっか、走ってきたのか。それは、ご苦労だったな」
「あの、いえ、どういたしまして」
クラウディアはなぜか頬を赤く染めている。
――照れてる?
ゴホン、軽く咳払いしてこの変な空気を元に戻した。
「食料とかどうしたんだ?金、持ってないんだろ?」
「乾燥させた果物とか野菜とか沢山もっていきました。それに私、一週間くらいなら食べなくても平気だから……」
そういえばこの子、捕まった当初の顔写真はもっとやつれていたけど、今は少しだけふっくらしている。
「拘置所のご飯、美味しかったか?」
「うん。ここにきて嫌なことばっかりだけど、食事はすごく美味しかった」
「そっか。なら――良かったよ」
とりあえず、取り調べや拘置所での待遇は悪くないようだ。
――残念だな。強引な取り調べでもしていれば検事への攻撃材料になるのだが。
でも、いいか。クラウディアが喜んでるなら、それで。
それよりももっと聞かないといけないことがある。「封筒について教えてくれないか?」
「君がそもそもここに来るキッカケになった封筒。なにか覚えていることは?」
「えーと、封筒はいつの間にか届いていました」
クラウディアは両腕を組んで右上の方を見る。これが彼女の思い出すときのポーズなのかもしれない。
彼女は続ける。「朝起きたら、扉の下に封筒が挟まっていました」
「扉?君の家の?」
「うん。今までこんなことなかったから、すごく驚いた。どうしたらいいのかわからなくてお昼までずっと封筒と睨めっこしてた」
――封筒がどういうものか、知らなかったのか?いや、知らなくても当然か。
「その封筒に差出人の名前は?」
クラウディアは当たり前だけど首を横に振る。それがわかったら苦労はないな。
「ただ、11月10日21時、グリムベルドのウェストミンスターホテルの屋上に魔王がくるってだけ書いてありました。あと、読み終えたら焼いて処分して欲しいとも」
――随分慎重だな、と思う。そしてクラウディアがサヴァン症候群で助かったとも思う。
普通、1ヶ月以上前に届いた封筒の文面なんて覚えていない。だが、彼女は一言一句完璧に覚えているようだった。
「それで私、なんだかいてもたってもいられなくて……」
クラウディアは口を濁し始めた。
「魔王ってのは、君にとって何なんだ?」
「殺さないといけないものです」
あまりにも早い回答に逆に驚かされた。饒舌になりつつあった彼女だったが、魔王のことになると途端に冷え冷えとした口調に様変わりしていた。
「魔王は世界にとって邪悪な存在です。忌むべき存在で、絶対にこの世に生かしておいてはいけない。必ず殺して息の根をとめておかないと人類に災禍をもたらします。世界中に人々の安寧を脅かす、悪の化身です」
――なんだかな。
頭がムズムズした。「それって、お父さんから習ったのか?」
「うん、それもある。でも、本にもそう書いてありました。魔王が今まで行ってきた酷い所業がいっぱい。沢山の人を意味もなく殺したり、残酷な方法で拷問したり……見ているだけで吐き気がした」
僕もその手の本は読んだことがあった。だけど、僕はそれを信用したことがなかった。
明らかに編集したような痕跡があったし、どう考えても違う年代に撮影されたとしか思えない写真もあったし、なによりも50年も昔のことだ。
――真偽なんてわかるわけがない。だから、信用していなかった。
でも、彼女は信用してしまったのだろうか?こんなオカルトまがいの代物を。
魔王のことを考えただけで以前までの警戒心をむき出しにした鋭い眼差しに戻ってしまったクラウディアを見て、きっとそうなのだろうと確信した。




