交渉(3)
「ねえ、弁護士さん」
いつの間にかクラウディアは僕のことをさん付けで呼んでいた。
「びじねすって何?」
「ビジネスはビジネスだよ。悪巧みだ」
クラウディアは口を尖らせ、怪訝そうな顔をする。少し冗談が過ぎたかもしれない。
「今のは言葉のあやだよ。別に悪いことをしようってわけじゃない。ただ、お互いに利益になることをやろうってだけだ」
「……でも、私、何もできません。何も知らないし。弁護士さんみたいに頭もよくないし、あの人みたいに……」
クラウディアは目をそらし、黙り込む。
――あの人って誰だ?
「あんな風に口だって上手くないし」
――ああ、ケイトのことか。そういえば法廷でコテンパンにイジメられてたな。
「役に、立てません」
せっかく元気になりかけていたのに、クラウディアは再びうつむき加減になった。
「別に、無理に頑張る必要はないんだ」
できれば無理に頑張って欲しいのだが、あまり多くを求めない方がいいかもしれない。僕は続けて言う。
「君に情状酌量の余地があるなら僕はそれを武器に弁護するし、検事側に問題があればそれを突っ突き回すのも僕の仕事」
「あの人が、なにかミスをしますか?」
「あいつはミスをしないよ。ミスをするのは制度の方だ。あの女検事は確かに人をイライラさせるような根性のねじ曲がった奴だが、検察の仕事はきちんとやる。どんな些細な証拠でも現場で発見すれば提出するし、たとえ検察側にとってマイナスになるような証拠や証言があっても真っ向から反論する。逃げも隠れもしないし、意図的に隠蔽もしない。あの女検事は自分にとって不利な証拠や証言があっても隠したりしないし、こっちに反論があればちゃんと聞く耳を持ってるよ」
――そういうことができる奴に限って、なんで嫌な奴ばかりなんだろうな、と僕は愚痴をこぼし、嘆息した。
「でも私、あの人は苦手です」
おどおどとした様子で言う彼女に、僕はそっと耳打ちするように話しかける。「僕もだよ」
隠れてこそこそ人の悪口を言うのはなんだか気恥ずかしい。
自分まで子供に戻った気分だが、ちょっと気まずそうに照れ笑いを浮かべるクラウディアを見ているとたまには子供に戻るのも悪い気分ではなかった。
「それにあいつには感謝しないとな」と僕は続ける。
「ケイトが現場で見つけた証拠を全部法廷に提出してくれたおかげでこうして逆転の糸口が見つかったんだから」
「逆転、ですか?」
僕は言葉を一旦区切り、彼女を注意深く見る。
今まで鋭かった眼差しも、今は緊張が解けているせいか穏やかな眼差しになっている。
眉間のしわはなくなり、全体的に柔和な印象が漂い始めていた。
不思議そうに碧眼の目で僕を見続ける彼女に向けて、ようやく本題を切り出した。
「あの晩、間違いないんだな?」
僕は念を押す。彼女も背筋をピンと伸ばし、僕の言葉に耳を傾ける。
「君が現場に、ホテルの展望台に向かったのは11月の10日で間違いないな?」
「間違い、ありません」
彼女はハッキリと言う。迷いのないキッパリとした言い方に、僕はようやく彼女を信用することをここに決断した。




