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交渉(2)

 話したいことを全て言い終えると、しばらく妙な沈黙が続いた。


 ――僕の言葉は届いたのだろうか?


 若干不安になった。


 僕らを遮るのはたった一枚の薄いガラス板だ。なんとか声が届くように申し訳程度に小さな丸穴がある以外にこれといって特徴がない、叩けば割れてしまいそうなほど薄いガラス板だ。


 だけど、今やこの薄いガラス板は何物よりも強固で頑丈な壁として僕らの前にそびえ立っていた。


 顔を俯き加減に、クラウディアは今僕に言われたことを考えているようだった。


 ただじっと机の上の何もないところを見つめ続けている。


 だがやがて、はあと小さく嘆息して、顔をあげて僕をまっすぐに見据えた。


 警戒心は――もうなかった。


「私には選択肢がないんです、よね?」


「ああ、そうだな」


 僕ははっきりと伝える。でも、それはわかりきった回答だった。


「あなた以外に、私の弁護をしてくれる人もいないんですよね?」


「いないよ。それとも、この国には親戚とか、頼れる人が?」


 クラウディアは首を横に振る。「私、10歳と3ヶ月までお父さんと森で暮らしていました」


 よくそこまで正確に覚えているなと疑問に思ったが、すぐに思い出した。


 ――彼女はサヴァン症候群でもあったか。


「お父さん以外の人間を知りません」


「そう、か」


 僕は前々から聞きたいことを訊ねた。「君のお父さんが勇者なのか?」


 クラウディアは首を横に小さく振る。「勇者なのは、私の祖父らしいです」


「らしい?会ったことは?」


「ありません。物心ついた頃にはもう森の中でお父さんんと暮らしていました。だから、お母さんも知りません」


「そっか。お父さんから読み書きとか学んだのか?」


「少しだけ。でも、ほとんど独学です」



 なんだか、先ほどとは打って変わって今のクラウディアは饒舌だった。今話しておかないともう二度と話せなくなるといった、切羽詰まった様子だった。


「ずっと一人だったんだな」


 僕はなんとなく、思ったことを言った。するとクラウディアは視線を落とし、「はい。一人でした」と小さく呟いた。


「よく、一人で生きてこれたよな。ダークフォレストにはモンスターが沢山いたんだろ?」


 モンスター。怪物。魔獣。化物。この世界には多くの生物がいる。その中でもモンスターはまた別格の扱いだった。


 野生の動物よりも獰猛で凶暴なモンスターはたった一体でもいれば村を壊滅させてしまうだけの破壊力がある。


 とても、目の前の少女が太刀打ちできるような相手ではない。だが、クラウディアは不思議そうな表情をした。


「怖いの?モンスターが?」


 なんだか、ひどく恥ずかしい質問をしたような気分になったが、「ああ、モンスターは怖いよ。できれば近づきたくない」と言った。


「そう……じゃあきっと、彼らも私のことを怖がっていたんだと思う。森の中でモンスターに遭遇すること、ほとんどなかったから」


「本当に?君のこと、美味しそうなすじ肉だって思わなかったの?」


 ――クス、とクラウディアは小さく微笑み、「なにそれ?」と言った。


「たまに怪我したモンスターとか、病気に罹った魔獣とか、そういうのなら見たことがある」


 ――でも、彼らはすぐに死んじゃうか、私が助けようとしてもすぐに逃げるから。


「だから、怖がってたんだと思う」


「ふーん。そうなんだ。じゃあ、君は何を恐れてたんだ?」


「私?私は――」


 ――誰かがいなくなることが、一人でいることが怖かった、とクラウディアは言い、剣を両手で抱きしめた。


「私が何か言葉を発しても、誰も聞いてくれないの。私が本を読んでも、本は何も応えてくれない。剣を振ってもただ虚しく空を斬るだけ。日記を書いていてもただ文字が並んでいるようにしか見えなかった。そのうちこの世界には私しかいないみたいに思えてきて、すごく寂しくて――死にたくなった」


 ――だから、一人でいることがすごく怖かったと、クラウディアは僕に話す。


「だから、それを手放したくなかったのか?」


 僕はクラウディアが両手で抱きしめる剣を指差す。すると、まるで僕から隠すように遠ざけた。


「これは、お父さんの形見だから。これだけが、私は間違いなくここにいるって教えてくれる。大切なものなの。すごく大切で、一緒にいると心が落ち着くの」


 ――外れたな、ケイト。

 彼女は武器が欲しかったわけじゃなかったぞ。クラウディアはただ、人の温もりが欲しかっただけなんだと、僕は心の中で誰にということもなく呟いた。


 そして思う。そんなこと、きっとどうでもいいことなんだ。彼女以外の全ての人間にとって。

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