自己紹介
ガラス越しとはいえ、こうして目の前に美少女がいると若干緊張する。
普通の女の子だったらここまで緊張はしないと思う。しかし、クラウディア・ラインラントは普通の女の子ではない。
まず、普通の女の子は殺人の容疑で捕まったりはしない。
第二に、普通の女の子は武器を親の形見のように大事に扱ったりしない。
そして第三に、普通の女の子は自分のことを勇者などと自称しない。
――お姫様だったら良かったかもな、と僕は目の前の碧眼の美少女を見て思った。
そして改めて思う――お姫様はこんなに幸が薄くはないか。
クラウディア・ラインラントという少女は、全体的にどこか翳のある少女だった。
部屋が薄暗いことに関係なく、太陽の健康的な輝きとは無縁な、むしろ月の青白い光が似合いそうな、暗くジメジメとした雰囲気が似合う少女、それがクラウディア・ラインラントのイメージだ。
――お姫様というより、魔女に近いのかも。
「あの……」
まじまじと見ていたのが不快だったのか、それとも元々こういう顔つきなのか、クラウディアは切れ長の瞳を細めて僕を見る。
「私、何か変ですか?」
「え、ああ、いや。何から話そうかって考えてた」
「……私、あなたのこと何も知りません」
――でも、と彼女は付け加える。「それはあなたも同じ、ですよね?」
「うん。その通り。僕らは残念なことにお互いのことを知らない。ということでまず自己紹介しようか」
僕はできるだけ朗らかに言った。警戒して欲しくなかったし、何よりこれからの裁判を戦うためには彼女の協力が必要不可欠だ。
――クライアントとは信頼関係を築くべし。
変人だけど弁護士として優秀なあのすっとぼけた所長はいつも口を酸っぱくしてそう言っていた。
だから僕もそうすることにした。
「僕は弁護士のダニエル・ロックハート。仕事は君の権利を守ること」
「権利?それは、つまり私の何を守ってくれるの?」
心底わからないといった顔をした。剣を握る手にますます力が入るのが傍から見てもわかる。
「権利ってのは基本的人権のこと」
僕は教科書に書いてあるようなことをそのまま述べようと思ったが、やめた。
「要するに、お金をもらって君の法律上の利益を守るのが僕の仕事だよ」
「……お金ですか?でも私、あなたにお金を払った覚えはありません」
――それに、そもそもお金持ってないし。
最初は調子よく言ったものの、最後の方になると声のトーンが落ちて消え入りそうになった。
「君が払わなくても、国が払ってくれる。この国ではどんな犯罪者にも必ず弁護士をつけなければならないって法律があるから」
――じゃあ、とクラウディアは言う。「私を守ったのは、お金のためなんですか?」
声の調子が今までで一番強くなった。
「そうだよ。僕はお金が欲しくて今回の仕事を引き受けた」
僕は即答した。するとクラウディアは口を真一文字に閉じ、眼光鋭く僕を睨む。
正直なことを言えば、嘘をついても良かった。彼女を助けるのは君が大事だからとか、君を守りたいとか、そんな綺麗な言葉をかけてやった方が十代の小娘には相応しい。
だけど、僕は腹芸がうまくない。口で綺麗事を言ってもきっと、クラウディアのそのすべてを見透かすような碧眼の前では役には立たないだろう。
――彼女に嘘をついても、信頼は勝ち取れない。だったら、恨まれてもいいから正直に話した方がいい。
「私、別に今まで野宿みたいな生活をしていたわけではありません」
クラウディアはやけに僻みっぽい言い方をする。そして思い出す。今のは僕が法廷で口にした言葉だと。
「あそこにはちゃんと家もあったし、寝床だってあったし、テーブルも、椅子も、本棚だってありました。私は今までずっと、お父さんが残してくれた本を読んで、世の中について学んで生きてきました」
最初こそ強い口調であったものの、後の方になるとだんだん声が震え、涙声になっていた。
「私、野蛮な人間なんかじゃないです。変人でもありません。頭のおかしい人でもありません。ただ、みんなのために良い事をしたいって思ってただけなんです」
なんて声をかければいいのかわからず、ただ僕は黙って彼女の言葉を聞いた。
「私、あなたみたい人、知ってますよ。私の家にあった本によく登場します。自分の私利私欲のためなら平気で他人を騙したり、陥れたり、暴力振るったり、最低なことをする悪党なんでしょ?」
ほとんど言いがかりに近い表現だった。ただ、否定しようとも思わない。
――だって、間違ってないから。確かに僕は彼女を利用して金を儲けようと思っていた。
確かに国選弁護で稼げる報酬なんて雀の涙のような金額だ。勝訴してようやくお釣りがでる程度。だが、あぶく銭だろうが小銭だろうが人を利用して稼ごうとしたお金であることに違いはなかった。
「最低最悪の人間です。魔王よりもタチが悪い。弱いものをいじめて平気な犯罪者は私じゃない、あなたの方でしょッ!」
「そうだな……それで、その本の中では、悪党はどうなるんだ?」
僕の問いに、今まで卑屈そうな顔をしていた彼女に笑みが浮かぶ。といっても、それは相手を甚振って楽しむような、邪悪な笑みだった。
「正義の味方にみんな殺されてましたよ。悪党は一人残らず――正義の味方に、悪事がバレて……全員、全員、みんな、ちゃんと倒されて……いつも正義が勝利して、悪は絶対に負けていて……そして最後はいつもハッピーエンドで終わるんです」
嗚咽をこらえるようにクラウディアは話し続ける。うつむいているから表情は見えないが、きっと泣いているのだろうと思った。
机の上にぽたぽたと大粒の雫が落ちていた。彼女はワナワナと全身を震わせながら言った。
「なのになんで、あなたしかいないんですか?どうして悪人のあなただけが、私のこと助けるんですか?」
クラウディアは顔をあげた。今まで必死に堪えていたものが壊れ、すべての感情を吐き出してしまった彼女は今、勇者というよりもただの普通の女の子に見えた。
女の子はやはり泣いていた。それ以上もそれ以下もなく、ただ咽び、声にならない悲鳴をあげて、全世界に助けを求めているように見えた。




