弁護側主張(4) 検察側反論
「子供によく見られがちなブランケット症候群ですが、大人になってもその症状に悩まされる人もいます。普段はとても冷静でしっかりしているような大人でも、夜になるとお気に入りのぬいぐるみや毛布、枕などがないと寝付けなくなるといった軽度の症状を抱えている人もいます。もっとも、その程度で済めば日常生活に差し障りはありませんが、症状が重くなるとそれなしではまともに生活することすらできなくなります」
――ちょうど今の被告のように、とシェーファー検事は付け加えた。
「それなら」僕は反論する。「それなら、ますます彼女に法的な責任を追求することはできない。日常生活をまともに送れないほどの人間がどうやって冷静に計画をたてて人を殺すことができるっていうんだ!仮に、今回の事件が彼女によって引き起こされたものだとしても、それは故意ではない。事故だ」
「仮に?間違いなく被告はこの剣で人を襲いました。その証拠は既に見たはずですが?」
「う、そ、それは……」
頭に先ほどの映像が蘇った。クラウディアが剣を振り上げ、被害者を背中から切り裂くあの姿は到底忘れることができない。
僕は、何も言い返せなかった。
「それともう一つ、確かに彼女は重度のブランケット症候群の持ち主ですが、この症状が問題になるのはぬいぐるみや毛布、被告の場合は剣がないときだけになります。これが何を意味するかわかりますか、弁護士さん」
僕はシェーファー検事の言葉を頭の中で反芻して考えた。
被告は重度のブランケット症候群。剣がないと精神が不安定になる。だが……
「剣を所有しているときは、まともだってことですか?」
「お、み、ご、と。その通りです」
検事は剣を法廷からよく見えるように掲げる。
「被告の精神が不安定になるのはこの剣を持っていないときだけ。逆に言いましょう。剣さえあれば被告は至極冷静で物事を論理的に考えることができる、つまり事理弁識能力があるということです。犯行時、被告はこの凶器を常に肌身離さず携行していました。そんな彼女が心神喪失ですって?」
ぞんざいに剣を机の上に叩きつけ、検事は人差し指で自分の頭を突っつきながら言う。
「ふざけるな。被告は犯行時、頭はむしろスッキリしてたはずよ」
シェーファー検事は書類を一枚めくり、続けて言った。
「被告がいかに冷静で論理的に物事を考えられるか、精神科医立ち会いのもと検査を行いました。驚いたことに被告は非常に計算能力が高いことがここで判明しました。被告はモンスターが蠢く森の中、常に頭をフル回転して生きてきました。被告は愚鈍ではありませんし、にぶくもありません。思考能力だけ見れば同年代の人よりもむしろ聡明なくらいです。そうそう、もう一つ面白いデータまであります。彼女はサヴァン症候群まであるようですよ」
「はあ?サヴァン?」
また知らない単語がでた。裁判中、彼女のことを知るにつれて徐々に殺人犯というイメージから、もしかしたらただの人間かもしれないと考えるようになっていたが、ここにきて再びこの少女が何者なのかわからなくなってきた。
「サヴァン症候群。特定の分野に限って常人にはない優れた能力を発揮する人にこの症状はよく見られます」
「つまり、天才ってことですか?」
「そのように解釈してもかまいません。彼女は極めて精確に現在の時刻と日付を言い当てることができます」
「精確というのは、どの程度ですか?」
検事は資料をめくる。
「まず、今日がいつなのかがわかります。カレンダーや時計もない特殊な環境で育ったにも関わらず、彼女は日付を直感的に知ることができました。さらに時刻、これは秒数では多少の誤差がでましたが、一分単位であればほぼ精確に現在の時刻をいいあてられます」
それは、すごいな。けど、だからなんだというんだ?すごいけれど、僕にとってはただの不利なデータにすぎない。
今のやりとりを聞いた裁判長は眉根を寄せ、法廷内にはガヤガヤと不穏な空気が漂い始めていた。
もうこの法廷に、被告を哀れな一人の少女だと思う人間は、一人もいないだろう。今や彼女は計算高く理性的で、ただの狡猾で残忍な人殺しでしかなくなってしまった。
同情の余地がどこにもない。
ようやく、ようやくわかった。僕は、こうなるように仕向けられたんだと。
あいつは――ケイトは、あのとき裁判所で出会ったときからこうなることがわかっていたのだ。
あいつは全部知っていた。被告から剣を取り上げればどうなるのか、その状態のまま面会に行けばどうなるのか、そして、取り乱した彼女を見て僕が裁判でどのような主張をするのか、全部全部全部、全部わかっていたうえで裁判を始めた。
もう――弁護できない。
手が出ない。降伏だった。だが、そんな僕にダメだしをするように、シェーファー検事は畳み掛けてくる。
「あらあら。最初の威勢はどこへやら。でも、せっかくここまで付き合ってくれたのだから、最後まで付き合ってもらいましょう」
検事は今までの小綺麗なコピー用紙とは違う、やけに汚い用紙を取り出した。
そして言う。「これは、被告が拘置所で書いた日記です。ここに犯行を自供する一文が書いてあります」
――え?
「この日記は被告が暴れる前、頭がしっかりしているときに書かれた文章のため証拠能力は極めて高いです。ここにしっかり書いてありますよ、私が殺害した――と」
「な、なんと。それは本当ですか?」
裁判長が身を乗り出して訊くと、シェーファー検事は自信のある笑みで言う。
「もちろんです、裁判長。これは証拠として提出します」
シェーファー検事は日記、というより汚い用紙を透明なビニール袋にいれて裁判長に提出した。
裁判長は渋い表情で「むー……」と唸りながら文章を読んでいる。
「な、なんて書いてあるんですかッ!」
「弁護士さん、慌てなくてもコピーした資料を配りますよ」
シェーファー検事がそう言うと、ユージン事務官がこちらに小走りでやってきて、コピー用紙を手渡す。僕はそれをひったくる。
僕は日記を最初から最後まで全部読んだ。
やけに小さい文字で読みづらかった。だが、最後の方に確かに魔王を殺害したと書いてある。
魔王、つまり被害者のことか?クラウディアは被害者を魔王の生まれ変わりだと思って殺害したってことか?
すごくバカバカしい内容に思えた。だが、たった一箇所だけどうしても見過ごせない箇所があった。
――なんだこれ?なんでこんなことが書かれているのだろう?
僕は、つい言葉に出してしまった。「異議あり」――と。
そして続ける。
「この証拠は――矛盾してます」




