弁護側主張(1)
「無罪――ですって?」
シェーファー検事はまるで質の悪い冗談でも聞いたかのように聞き返す。「正気ですか?」
「監視カメラの映像を見ていなかったのですか?退屈すぎて寝てたんじゃないんですか?」
「ご心配なく、先ほどのデータなら完全に頭に入ってます」
「あらあら。だとすると余計に心配だわ。良かったら今度いいお医者さんを紹介しましょう。弁護士さんは一体何を根拠に被告人が無罪だと思うのかしら?」
くッ、この女。言いたい放題だな。裁判長もとめればいいのに、聞いていないフリをしている。
ふと視線を裁判長から横に移すと、クラウディアがこちらを見ているのに気がついた。
今まで声は聞こえていたのだから、僕が何者でどういう立場の人間なのかはわかっているのだろうが、どういうわけか目を見開いていた。
――なんだその表情?なんでお前が驚いてるんだ?
もしかしてお前、勘違いしてないか?僕がお前の味方だって思っているんなら、それは大きな誤解だし、ひどく残酷な思い込みだぞ。
僕はただ、金が欲しくてお前の弁護をしているだけだ。
机の上の資料を一枚とり、僕は説明する。
「無罪の根拠はあります。被告、クラウディア・ラインラントには法的責任を負えるだけの能力があるようには思えません。心神喪失を根拠に、弁護側は被告の無罪を主張します」
――ああ、言ってしまった。
その言葉を口にした途端、傍聴席側からドヤドヤと今までとは違うざわめきが起こった。それは完全に、見下すような、悪意のあるざわめきだった。
できるだけ見ないようにしていたが、クラウディアの表情があまりにも大きく変化するので嫌でも視界に入る。
驚きの表情は消えて、今では嫌悪するような眼差しを彼女はしていた。
わかっていた。こんなことをいえばどのような反応がでるのかは重々承知していた。だが……
――ふざけるな。誰のためにわざわざ悪役を買って出たと思っているんだ。こっちはお前を無罪にするために、被告は頭のおかしい奴だから無罪にすべきだって主張しているんだぞ。
「へえ、なるほどねえ。そうきましたか」
わざとらしい声でシェーファー検事が言う。だが、今はそんなのを気にしている余裕はなかった。
「被告に責任能力がないのは明白です。わざわざ検事側が人権を無視して拘束しなければろくに法廷に立つことさえできない今のこの状況こそいい証拠だ」
「ふむふむ。なるほどねえ。でもそれは仕方がないのでは?」
シェーファー検事はふざけているような態度で反論する。
「ここで被告の生い立ちを少し説明しましょう。被告は18歳、つまり今の歳になるまである特殊な環境下で生活をしていました」
「特殊、な環境、ですかな、シェーファー検事?」
裁判長が合いの手を入れ、検事は言う。
「その通りです、裁判長。被告は生まれてこの方、親以外の人間と接さずに生活を送ってきました」
「な、何を言っているんだよ。そんなこと、ありえない」
「その通り。普通の人間だったらありえません。しかし、ここにいる被告は国籍のない人間。人は普通、この世に生を受けたらどこかしらの役所に届け出るものです。でも被告はそれができない環境で生まれた」
なんだよ、それ。そんな場所……いや、ないこともない。だがそこは……
「無国籍地帯、ですか?」
「その通り。世界には現在34の無国籍地帯が存在します。その中の一つ、ダークフォレストで彼女は生を受け、今まで育ってきました」
法廷がどよめいた。
ダークフォレスト。それは第一種隔離指定区域だ。凶暴で凶悪なモンスターが棲むダークフォレストは世界でもっとも危険な地域として悪名高く、普通の人間などまず生活できない場所で、あまりにも危険な場所だからどこの国も国境線を引かず、無国籍地帯と化している。
僕はもう一度被告を見た。――よく、今まで生きてこれたな。
「彼女がどのようにしてダークフォレストで生き抜いてきたか。そんなことは今は問題ではありません。重要な点は一つ、モンスターがひしめく環境で育った彼女の気性が荒いのはとても当たり前のことではありませんか?ましてやこれほど人が多い法廷に突然立たされているのです。今まで戦いばかりの生活をしていた筋肉馬鹿には法廷はちょっと荷が重いかもしれませんね。多少ストレスでパニックを起こしても無理はないでしょ」
「シェーファー検事、口が過ぎますよ」
裁判長がたしなめると、検事は「これは失礼」と一言優雅に呟いた。
「で、他に反論はありますか、弁護士さん」
「被告の生い立ちが非常に特殊であることはよく理解しました。ただ、それは根拠になりません。それに被告が心神喪失状態であったことを証明する事実があります」
「あら本当?それは初耳だわ」
――クソ白々しい女だな。
「知らないとは言わせません。警察の調書によると、被告は取り調べの最中、特定の条件下において非常に暴力的になると報告されています」
「特定の条件?一体なにかしら?詳しく教えて欲しいものね、弁護士さん」
僕が所長からもらった資料はそもそも警察の資料だ。警察側の人間であるこの女検事が知らないわけがない。だからこれは――明らかな挑発だ。
どういうつもりかは知らないが、上等だよ。その挑発にのってやる。
「被告は普段、取り調べに対してとても協力的でした。しかし、被告が所有している剣を取り上げた場合のみ、被告はパニックを起こし、暴行を働く。ちょうど今のような状態です」
「ほう。それは本当ですか?」
裁判長が興味を示した。もしかしたら、これはチャンスかもしれない。
僕が口を開き、喉から声が出るか否か、という寸でのところでシェーファー検事の声が遮った。
「事実ですよ、裁判長。被告にはなぜか剣を持っているときだけ冷静になり、剣を無理やり奪いといったときだけ暴れるといった症状があります」
「ふむ。それは……つまりどういうことなのですか?」
裁判長の疑問に僕が答えようとしたが、それも検事に遮られた。
「おそらく弁護側は、被告がなにかしらの魔法か、もしくは呪いにかかっている、つまり洗脳状態であったと主張したいのかもしれません」
――な、なんなんだこいつ。
僕は、すごく嫌な予感がした。
――なぜ、わざわざ自分からそれを言うんだ?そんなことを言えば、被告が犯行当時、責任能力がなかったことをかえって証明してしまうんじゃないのか?
もちろん、それはこっちにとって非常に都合の良い展開だった。心神喪失を事由に被告に責任能力がないことを証明できれば、この裁判はこちらが有利になる。殺人の証拠があろうとなかろうと関係なく、無罪を勝ち取れる。
……もっとも、その結末がこの少女にとって利益になる確証はないが。
「まず、魔法の可能性についてですが、それはありません」
シェーファー検事はあっさりと否定する。
「弁護士さんは刑事事件があまり得意ではないから知らないかもしれませんが、魔法を使用すればその痕跡が残ります。他人をコントロールするような魔法をかけ、被告を洗脳してしまえば確かに被告に無理やり犯行を行わせることも可能かもしれません。しかし……」
検事は口元に笑みを浮かべている。だが、目は冷ややかだった。
「そんなことをすれば魔法解析ですぐに発見されます。魔導心理研究所の調査結果によると、被告の頭に魔法を使用された痕跡は発見されませんでした」
「で、では呪いとか?」
「呪術を使用できる人間はこの世にひと握りしかいません。今まで人里離れていた環境で生活をしていた彼女に呪いをかけるのは難しそうですね。ああ、ついでに薬物による洗脳についても科学捜査研究所の検査で否定されました。彼女はドラッグもやっていません。誰も彼女を魔法で操ることなどできませんし、薬物を使用したマインドコントロールも不可能です」
「じゃ、じゃあ未知の……」
「弁護士さん、まさかまだ誰も知らない未知の魔法技術によって彼女が操られているなんて、荒唐無稽なこと言いませんよね」
うっ、言おうとしてた。
シェーファー検事はため息をつく。
「非常に、愚かです。嘆かわしいですね。悪しき習慣とでも呼びましょう。確かにかつて、この世界では様々な自然現象が魔法で説明されていました。雷が落ちるのも魔法のせい、火がつくのも魔法のおかげ、人間が生きられるのも魔法のおかげ。魔法、魔法、魔法。本当に、魔法って都合のいい言葉ですね。ちょっとわからないことがあったらなんでも魔法のせいにすればいいんですから」
シェーファー検事は究極的に人を馬鹿にするような顔をした。
「冗談じゃありません。いったい、今が何時代だと思っているんですか?そして、ここは司法の場です。すべての真実を曝け出す場所です。確かに魔法や呪いによって被告が洗脳されていた場合、被告には責任能力はなさそうですね。でも残念でした。被告はいたって正常で、論理的に物事を考えられるだけの能力があります」
「しょ、証明出来るっていうのかよ」
僕は精一杯反論してみたつもりだったが、シェーファー検事の余裕そうな笑みにその虚勢は簡単に弾き飛ばされてしまった。
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの?」
僕は、ようやく気がついた。もしかたら僕は、彼女の挑発に乗り、そしてまんまと罠に引っかかったのかもしれない――と。




