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冒頭弁論(5)

 もしも音が聞こえるのならば、きっと法廷内には今頃ザーザーと潮騒の音が奏でられていただろう。


 法廷の中央に浮かぶ映像は砂嵐しか映していなかったが、シェーファー検事が二枚目のCDを挿入するとすぐに画面が切り替わった。


 先ほどの映像と違い、今度の映像はどこかの部屋の中のようだった。といってもその部屋は非常に狭く、入れて10人がやっとという具合だ。


 その部屋の中は小綺麗でサッパリとしていて、床と天井と壁以外には何も目立つものはなかった。


 窓一つないその部屋のちょうど中央には扉があり、その横には薄く点滅する数字と縦一列に並んだボタンがあるだけだ。


 それを見てすぐに気づいた。ここは……


「この監視カメラの映像はホテルのエレベーター内部を撮影したものです」


 僕の心の声を引き継ぐようにシェーファー検事の明瞭な声が法廷に響いた。


 シェーファー検事は続ける。


「現在、エレベーターは2階に停止しています。文字ランプがそれを証明しています」


 確かに、エレベーターの内部には点滅を繰り返すデジタル数字があり、今は2を表示していた。


 しかし、すぐにそれも動き始める。エレベーターがガタンと揺らぐと数字が1に変化した。


「エレベーターが移動しました」シェーファー検事が言う。「ここで被告がエレベーターに乗ります」


 扉が開く。すると、薄暗いホールからフードをかぶった人影がエレベーターに乗り込んだ。


 ブラックのロングコートは足元まで体を覆い隠しているため、傍目では体型はおろか性別さえわからない。


 ――まさかあのコートの中に剣を隠し持っているとはな。


 僕の胸中をよそに映像の中のクラウディアはエレベーターのボタンを押す。先に『閉』のボタンを押し、次に最上階のボタンを押した。


 ……意外と几帳面な奴だな。


 今まではクラウディアのことを得体の知れない怪物のように感じていたが、たったこれだけの動作を見ただけでこの映像の中にいる少女もただの人なんだと思えた。


 エレベーターは再び動き出す。現在の階数を示すデジタル数字が1、2、3、4、5……やがて12になるとガタンと大きく揺れて扉が開いた。


 クラウディアはエレベーターを降りると、なぜか扉のすぐ横で止まった。


……なにやっているんだろう?おい、もしかしてあいつ、どうやって扉を閉めればいいのか悩んでいるのか?


 僕の予感は的中した。クラウディアは外からボタンを再び押した。そのせいで閉まりかけた扉が再び開き、なぜかボタンを押した本人がビックリして後退りした。


 くすくすと傍聴席側から声がもれた。ただ、とてもではないがその笑い声に同調する気分にはなれなかった。


 この笑いは、嘲笑だ。自分よりも低い人間を見て、ただ馬鹿にしているだけの笑いだ。


 もしかしたら、目隠ししていてよかったかもな、お前。


 映像の中のクラウディアはフードを深々とかぶっているのでその表情はよく見えないが、きっと困惑しているのだろう。


 エレベーターのすぐ外でオロオロとしていると、やがて扉が自動的に閉まり、元の何もない景色になった。


 無人となったエレベーターの内部は無味乾燥としていて、特にめぼしい変化はなかったが、しばらくすると再びエレベーターが動き出した。


 今度は数字が12から11、10、9、と減っていき、やがて2で停止した。


「被害者がエレベーターに乗ります」


 シェーファー検事の言葉通り、扉の外から警備員姿の被害者、ハル・アンダーソンがやってくる。


 まさかこれから殺されるとは露知らず、事務的な作業のようにエレベーターのボタンを押す。わざわざ『閉』のボタンなど押さず、目的地以外には興味がないといった手つきだ。


 ――当たり前か。普通の人間なら、エレベーターの乗り方なんて知っているよな。


 では、なんでクラウディアはあんな初歩的なミスをしたのだろう?

 ただの田舎者か、文明が発達していないような未開の地で過ごしてきたのか――

 どちにらしろ、今の時点では見当もつかない。


 答えの出ない疑問をあれこれと僕が考えている最中も映像は動き続けている。エレベーターの内部が揺れているのか、それともカメラが揺れているのか定かではないが、ブルブルと震える画面はやがて停止し、扉が開いた。


 警備員はそのまま悠然とした足取りで屋上にある展望台へ向かう。間違っても外にあるボタンを押すなんてことはしないだろう。


 ハル・アンダーソンが出て行ってから数十秒ほど時間が経過すると扉が自動的に閉じた。


 そこでシェーファー検事は映像を停止させ、二枚目のCDと三枚目のCDを交換する。


「待ってください。映像はこれで終わりですか?」


 シェーファー検事は僕を一瞥する。彼女は僕の質問を無視し、三枚目のCDを挿入した。


「二枚目の映像は11日に撮影されたエレベーター内部の映像になります。警備の都合上、映像は午前0時で切り替わるように設定されています」


 検事が早口でまくし立てたため何がいいたいのかよくわからなかった。もっとも、それは裁判長も同じのようだった。シェーファー検事はため息をつき、言う。


「要するに、2枚目のCDに録画された映像は11日の午前0時0分から23時59分までしか保存されておらず、翌日の午前0時0分から23時59分までの映像は3枚目に保存されているということです」


「つまり……」僕はシェーファー検事の後を引き継ぐように言う。「二枚目のCDには警備員が外に出ていった後、何も映っていないということですか?」

「あら、意外と頭の回転が速いのですね、弁護士さん」


 うっ、こいつ。本当に一言多いよな。

 どんなときも必ず相手を罵倒する言葉を忘れない彼女の性格は昔からで、模擬裁判ではいつもこの嫌味を真に受けてしまっていた。


 落ち着け、僕。感情的になるのはアマチュアだ。どんなときも冷静に対処しろ。


 こちらが感情を抑えるのに必死でいる間に、シェーファー検事が事務的に裁判長に言う。


「今弁護士側がおっしゃったように、2枚目のCDには警備員が外に出て以降、23時59分59秒まで何も撮影されていません。それよりも後の映像は3枚目のCDに保存されています。ホテルで撮影される映像は日付が変更するのと同時に自動的に別の記録媒体に保存されるように設定されています。これは人為的なミスを避けるために警備会社側が行っている処置です」


「ふむ。なるほど、そういうことでしたか」

 白ひげを指でさすりながら裁判長が渋い声をだす。ひょっとしたらまだよくわかっていないのかもしれない。


 不安だな、この人も。


「それでは、三枚目の映像をご覧ください。といっても、見るべき内容はそれほどありませんが」


 気になる言い方だったが、僕はあえて異議は挟まなかった。余計なことを言って再び毒づかれるのは御免だ。


 法廷の中央に浮かぶ空中投影ディスプレイが再び先ほどのエレベーターの内部を映し出す。


 画面の端にあるデジタル時計が先ほどの検事の説明が正しいことを証明するように、0:00からカウントを始めた


 しばらく映像内にこれといった動きはなかったが、検事がリモコンで早送りにするとデジタル時計が高速で動き始めた。やがて時計が0:28と表示されると、エレベーターの扉が再び開いた。


 そこには先ほど同様の黒いフード付きのコートの人影がいて、悠然とした足取りでエレベーターに入ってきた。


 ――それにしても本当に黒いな。白いコートだったら血塗れになって目立つから、あえて黒を選んだのだろうか?


 黒いコートの人影がボタンを押すと、やがて扉は閉まり、エレベーターは動き出す。


 一階に到着したエレベーターの扉が開くと、そのまま黒いフードをかぶった人影は足早にホールの外へと出ていった。


「映像はこれで終わりです。以上が、被告が被害者を殺害するまでに至る犯行の経緯になります」


 長かった。実際にはまだそれほど時間は経過していないのだが、あまりにもプレッシャーが強いせいか、何日も何週間も苦行を強いられていたような気分だった。


 だが、検事側はまだ冒頭弁論を終わらせる気はないようだった。


「では次に、遺体がどのようにして庭園に出現したのかを説明します。この4枚目の映像を使用して」


 この女は、冒頭弁論だけで有罪を確定させる気か?


 僕はイスに下ろしそうになった腰を再び上げ、次に備えた。

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