冒頭弁論(3)
「これは11月11日に撮影された映像です」
シェーファー検事はCD-Rを三枚手に持ち、法廷全体からよく見えるように掲げた。
「論より証拠。まずは一枚目の映像をご覧ください」
明瞭でよく響く声が法廷に行き渡るたびに僕の心臓は早鐘をうった。お願いだからこれ以上、不利な証拠は出さないでくれ。
僕の心中などどこ吹く風といわんばかりにシェーファー検事はテキパキと指示をする。といっても彼女は指示をするだけで実際には法廷の魔法装置が作動し、全ての役割を果たしてくれる。
シェーファー検事がただ検事側の机にある挿入口にCD-Rを入れるだけで保存された動画は再生される。
「皆さん、準備はいいですか?」
それが合図だったのか、突然法廷内の明かりがフッと消えて真っ暗になり、代わりに法廷の中央にザラザラとした白黒の砂嵐が吹き荒れる巨大な画面が出現した。
空中投影ディスプレイだ。巨大なディスプレイにはまだ何も再生していないことを意味する『一時停止』の文字が右上の隅に表示されていた。
「では再生しましょう。少々ショッキングな内容が含まれますので、傍聴席の皆さん。気分が悪くなったらお早めに退場してください。では再生します」
その言葉を皮切りに砂嵐の画像は突如白黒の景色を映し出した。画面の中央にはお洒落な外灯があり、そこを中心に周囲にぼんやりとした明かりを照らしている。
「これは屋上、つまり展望台の映像です」
シェーファー検事の言葉でようやくそこがどこかわかった。言われて見れば確かに奥の方に柵のようなものがあり、その手前には双眼鏡がある。
あとはこれといって目立つものはなかった。夜空には星が舞い、地面にはゴミ一つない。ベンチには誰も座っておらず、画面の右上にあるデジタル時計が刻々と秒数を刻む。現在の時刻は21時16分52秒。
53、54、55、56、57、58、59、そして17分になった。すると、画面の右下から突然人影が出現した。
「被害者のハル・アンダーソンです」シェーファー検事の説明が入る。
ハル・アンダーソンは警備服の上に白いコートを羽織っている。右手には懐中電灯をもっていて、展望台の奥、つまり双眼鏡がある場所へと近づいていった。
特に目立ったところはなかった。あえて言うなら、警備員用の制帽をかぶっているので顔がよく見えないことぐらいだ。
やがてハル・アンダーソンは柵の前までくると突然地面にかがみ込んだ。
――なんだ?何か落としたのか?
背中を丸め、懐中電灯を地面に置く。両手でゴソゴソと何かをしていて、警備服を着用していないと不審者にしか見えない。
何をしているのかわからないが、そのまま特に何もなく時間だけが過ぎた。
パッと見ていると、このときは映像が一時停止しているような錯覚に陥ったが、画面の端にあるデジタル時計は今も動き続けている。
やがてデジタルの時計が21時30分になろうとしたとき、映像が一時停止した。
「さて、ここからが本番になります。これから被告がやってきて被害者を背中から剣で斬りつけてきます。血が苦手という人には少々グロテスクな内容になりますので、見たくない方は出て行って構いません」
シェーファー検事の言葉にごくりと息を呑む音が聞こえた。だが、傍聴席を立つ人は一人としていなかった。
「そうですか。では、皆様同意の上でここにいると判断させていただきます。後で文句、言わないでくださいよ」
その言葉が終わるか否かというところで、今までガチャガチャと手錠を鳴らせていたクラウディア被告が一層激しく暴れ始めた。
なんだか顔色が悪いな。まずいものが写っているのか、それとも息が苦しいだけなのか……
「待ってください」僕は検事に言う。「被告は長時間拘束されています。一時休憩させて……」
僕が言い終わる前に、映像が再生されてしまった。「あら、そういう大事なことはもっと早く言ってくれないと困るわ、弁護士さん。もう押しちゃった」
絶対わざとだ。彼女の口角がぴくぴくと動くのを見てそう確信した。
一時停止していたデジタル時計の秒数が再び動き始め、時刻は21時30分になった。すると画面の左側、四角く刈り込まれた生垣の影から黒いフードをかぶった人影が出現した。
それは一瞬の出来事だった。黒いフードをかぶった人影はコートの中から剣を抜き、大きく振り上げると、そのまま振り下ろして警備員を背中から斬りつけた。
血潮という言葉が一瞬、脳裏をよぎった。サイレントの映像のため直接どのような音が出ているのか聞くことはできなかったが、夜の空に黒々と噴出する液体が飛び散るのを見て、勝手に脳内でぶしゅうぅぅぅぅという効果音が流れた。
裁判長は眉根をひそめ、普段は速記をする以外に何もしない書記官も思わず目を見開いた。
傍聴席からは嗚咽混じりの音がする。どよめきが法廷内を支配する中、ただ一人だけ、シェーファー検事だけが無表情だった。
最初に映像を見たとき、制帽をかぶっているのでもしかたら被害者は別人の可能性があるかもしれなと内心期待したが、それも杞憂に終わった。
背中から剣で斬られた拍子に制帽は地面へと落ち、短い黒髪の被害者の顔が映し出された。
間違いなく本人だった。被害者は驚愕した表情を浮かべている。
当たり前か。巡回中に突然背中から斬られたのだ。驚くに決まっている。被害者が何を考えているのかわからないが、おそらく逃げようとしたのだろう。彼はよろめきながら柵に手をかけ、そのまま前のめりになって展望台から落ちた。
もはや展望台に人影は一人しかなかった。黒いコートを着ているのでわかりにくいが、おそらくあのコートは血まみれだろう。
やがて風が吹き、フードの中身が現れた。
そこには黒い長髪をなびかせる被告、クラウディア・ラインラントの姿があった。




