冒頭弁論(2)
カン――裁判長の木槌が法廷に響き、静寂が戻る。唯一の音といえば、被告の声にならないうめき声とガチャガチャと手錠を鳴らす音だけだった。
「では――」裁判長が言う。「早速審議を始めたいと思います。まずは事件の冒頭弁論をシェーファー検事、お願いします」
シェーファー検事は被告を一瞥してから言う。「お任せを」
「事件が発覚したのは11月12日午前6時頃になります。ウェストミンスターホテルより地元の警察署へ人が殺されたとの通報があり、捜査員二名が現場に向かいました。現場に到着した捜査員はそこで遺体の一部を発見しました」
「遺体の一部、ですか?」
僕が気になった点を質問すると、シェーファー検事は一瞬だけ眉根にシワを寄せたが、すぐに元の余裕そうな顔に戻った。
――なんだ?冒頭弁論を遮られたのがそんなに嫌なのか?
そういえば、昔から話を遮られるのが嫌いだったな、あいつ。
だが、彼女の表情を見たとき、なんだかもっと別の理由でイラついているようにも思えた。
僕の心中などお構いなく、シェーファー検事は言う。
「遺体は五体満足ではなかったのですよ、弁護士さん。ちょうど右腕の付け根の部分が切断されていました。現場には切断されたばかりの右腕が落ちてましたよ」
「な、なるほど」
あまり想像したくない場面だった。正直、人の血は得意じゃない。それが生の肉なら尚更だ。
「ふむ。右腕が切断されていたのですか。では、それが死因ですか?」
渋い表情を作りつつ、裁判長が言うと、シェーファー検事は続ける。
「右腕の切断面から生活反応は出ませんでした。そのため、これは死後切断であると思われます。詳しい死因はまだわかっておりません。解析中です」
「そうですか。では、急ぎ詳しい死因を解明してください」
「お任せください」シェーファー検事はやけに自信たっぷりに言う。「科捜研のスタッフは優秀ですので、裁判長の期待にも颯爽と応えてくれますわ」
「ほほっ。それは頼もしいですな」
――それならさっさと解明して欲しい。裁判長と検事の和気あいあいとした雰囲気に突っ込みを入れたかった。
「話がそれてしまいましたね。では、次に死亡推定時刻についてですが、被害者が死亡したのは通報日の前日、11月11日21時から23時頃と推定されます」
11月11日、21時から23時か。僕は机の上に並べた資料を確認する。特におかしな点はない。
「被害者の名前はハル・アンダーソン。遺体が発見されたホテルには仕事で来ていたようです」
「仕事とは?」
僕が質問すると、すかさず応える。「ホテルの夜間警備の仕事です。被害者は警備会社の派遣警備員として働いていました。ホテルとの契約で週三日間ホテルの夜間警備をすることになっていて、11月11日はその第一日目にあたります。被害者の顔写真をお配りします」
シェーファー検事の指示のもと、係官が被害者の顔写真と死因に関する資料を裁判官と僕のところに配る。
被害者の顔写真は所長からもらっていたが、こちらの方が写真のサイズが大きいので見やすかった。
顔写真だけ見れば20代半ばといったところだが、その肩書きを見る限りそれも怪しい。
ショートカットの黒髪に筋の通った鼻、鋭く尖った八重歯、それにつり上がった目など、パッと見たイメージは少し悪ぶっている若者といった印象だが、彼は正真正銘の魔族だ。
魔族は長生きだ。もしかしたら見た目よりも実年齢は上かもしれない。
「警察の捜査によりますと……」シェーファー検事の声に、僕はハッとして顔を見上げた。どうやら、冒頭弁論はまだ続いているようだ。
「被害者は現場を巡回中に殺害されたようです。被害者は二階にある警備室を出てエレベーターに乗ると、そのまま屋上の展望台に行きました。巡回は屋上から一階ずつ見回るように会社から指示されていたため、被害者がここにやってくるのは誰でも知ることができました。被告は屋上で被害者を待ち伏せ、そこで殺害したのです」
「ちょっと待ってください」
僕が話を遮ると、シェーファー検事はふぅとため息をついた。「なにかしら、弁護士さん」
「僕がもらった調査内容と検事側の主張が違います。遺体は庭園で見つかったのでは?」
「あらあら、ホント早とちりな弁護士さんね」
シェーファー検事はせせら笑う。
「遺体が庭園で見つかったからといって、殺害現場が庭園とは限らないでしょ」
「どういう意味でしょうか?」
「簡単よ。被告はホテルの屋上で被害者を殺害した後、そこから遺体を落とした。それだけのことでしょ?」
「まるで見てきたみたいな言い方ですね」
僕はそう反論する。そしてそれが、検事側にとっては反論ではないことに、彼女のピクリと嬉しそうに反応する頬を見てわかった。
「ふふ。見てきたみたいですって?そりゃそうよ。実際、この目で見たんだから」
「シェーファー検事?それはどういうことですかな?もっとわかりやすく説明してください」
裁判長がもっともな疑問を言う。
「難しい?そうでしょうか?とても簡単なことです。ホテルには監視カメラがあった。当然、エレベーターにも展望台にも監視カメラはあります。そこに撮影されていましたよ。被告が被害者の背中を剣で切り裂いている場面を」
傍聴席がざわつく。
僕は余計な質問をしてしまったのかもしれない。




