冒頭弁論(1)
「ふむ。それでは早速、冒頭弁論に移りたいのですが、シェーファー検事?被告がまだ入廷していないようですが?」
ケイトは僕から裁判長へと視線を移し、余裕たっぷりといった表情で言う。
「申し訳ありません、裁判長。少々お時間をください。現在、被告が暴れないように拘束しているところです」
「待ってください」
僕はすかさず言う。
「裁判中の拘束は認められていないはずです。余計なことをせず、今すぐ入廷させてください」
「そうはいきません。被告は拘留中、十二回も脱走を企てています。さらに先日も刑務官へ暴行を働いています。裁判中に逃亡の恐れがある場合、手錠と腰縄などの拘束は刑事訴訟法で認められているんですよ、弁護士さん」
「そんなことは知っています。ただ、拘束が必要な場合には裁判所の許可が必要なはずだ。許可はとっているんですか?」
「おやおや。誰かさんは随分と刑事訴訟法の勉強をされたようですね。でも、ちょっと勉強不足じゃないのですか?裁判所への護送中に被告が逃走、暴行、それに準じた行為をした場合、裁判所の事前許可を必要とせずに被告を拘束できる権利が生じます。この場合、事後承諾で構いません」
ケイト、いやシェーファー検事はそれだけ言うと、裁判長を再び見る。
「裁判長。被告は護送中に刑務官に暴行、脱走を試みました。過去にも同様のことが頻発しており、なによりも緊急性が高かったので今回は特例により私の権限で被告を拘束させていただきました。許可、していただけますよね?」
おそらく50、いや60歳は過ぎているであろう年上の裁判長に対して、まだ20代の検事は有無を言わせぬ態度だった。
「う、うむ。それならば仕方ないでしょう。では、拘束が終わるまでしばらく休廷を……」
「その心配はありません」
シェーファー検事は腰に手をあて、裁判所の入口を見る。
「もう終わりました。係官、連れてきなさい」
まるで待ってましたといわんばかりのタイミングであった。実際、待っていたのだと思う。扉は盛大に開き、外の光景が見えた。全員が一斉にそちらを振り向いた途端、傍聴席がざわついた。
それは僕も同じだった。そこには拘束なんて生易しいものはなく、鉄製の椅子に座らされた被告、クラウディア・ラインラントがいた。
そして僕は思う。本当にあれはクラウディアか?――と。
そのような疑問を抱いても無理はなかった。というのも、彼女の目は黒い布で目隠しをされていたからだ。頭半分より上は布で丸々覆いかぶさり、かろうじて鼻の穴が見える程度の隙間があるだけだった。
それは口も同様だった。轡を噛まされた彼女の口は大きく開いていて、ダラリと口角からヨダレが垂れている。
両腕は背中にまわされ、そこに黒い手錠がされていた。さらに両足にも手錠がされており、その手錠は椅子の足の部分と繋がっている。
彼女の胴回りには荒縄が巻かれ、体と椅子が離れないよう固く縛らている。
――絶対に逃げられないように幾重にも拘束がされており、面会室で彼女の姿を見てなければ、目の前の相手が誰なのか判別できなかっただろう。
椅子に拘束されたクラウディアは台車に乗っていた。おそらくあれで彼女をここまで連れてきたのだ。
男性の係官が二名、一人は台車を押し、もう一人は被告がバランスを崩して倒れないように支えている。
ガラガラと台車の車輪が回転する音と、ときどき唸るような被告の声がした。やがて係官は僕の目の前までやってくると、被告が本来なら座るべき長椅子の隣に、被告が座っている椅子を運んだ。
頑丈そうな手錠で拘束されているため非常に重そうに見えたが、実際には軽いのか、それとも係官が逞しいからなのか、台車から被告を持ち上げ、そして運ぶのにそれほど手間取ることはなく、すぐに終わった。
誰もが固唾を呑んで見守る中、シェーファー検事だけがさも当たり前のように言う。
「では裁判長。審理を続けましょう」
「へ?あ、いや、しかしシェーファー検事。これは……」
僕は裁判長の言葉の続きを言う。「待ってください。これは重大な人権侵害です。今すぐ被告の拘束を解いてください」
「おやおや。ロックハート弁護士は言葉が通じないの?被告は逃走の恐れがあるって先ほど説明したはずです」
「ならば手錠だけで良いはずです。ここまでやる必要はないッ!」
「ふむ。確かに……」裁判長は同意する。「弁護側の意義を認めます」
シェーファー検事はやれやれといった仕草をし、ため息をつく。
「こちらは皆のためを思ってやっているのに。まあいいでしょう。ユージンくん。被告の轡をといてあげて」
「え、でも……」
「いいから。早くやりなさい」
そのとき、確かに僕は見た。シェーファー検事が検察事務官の肩を叩き、ほくそ笑むのを。
――なんだ?轡を解くと何かあるのか?
そして僕は、気づいた。
過剰な拘束。明らかな人権侵害。 裁判長への心証。そして轡。
あのへそ曲がりのケイトが、こうもあっさり僕の異議を受け入れるなんてありえるのだろうか?
いや、絶対にありえない。
嫌な予感は当たりやすい。ユージンと呼ばれた検察事務官が轡をといた瞬間、被告は法廷を轟かすような絶叫をあげた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
思わず耳を塞ぎたくなるような叫び声にも関わらず、シェーファー検事は最初からわかっているような余裕の表情だった。そしてユージン検察事務官に視線で合図を送る。
事務官はすぐに轡を被告の口に戻す。
「んーッ!んんーッ!!」と声にならない声を出しつつも、やがてクラウディアは静かになった。だが、轡を噛む力が相当強いらしく、ガリガリと軋むような音はいつまでも続いた。
「皆さん、わかってくれましたか?被告はとても凶暴です。何をするかわかりません。裁判長。これは人権侵害などではありません。必要な処置です。これぐらいやらないと、この危険で粗暴な被告は手がつけられないのですよ」
いけしゃあしゃあとよく言うぜ。僕はシェーファー検事の困ったような表情を見ながら思う。この役者が。
こんなものを見せられたら、裁判長の被告に対する心証は最悪だ。
この女、今も昔も変わらない。やっぱり――僕の天敵だ。
裁判長は目を丸くしながら被告を見て、やがて言った。
「そ、そうですね。確かに。そのようです。いいでしょう。今回は特例として弁護側の異議を棄却します」




