面会(16)
図書館に人気は少なかった。
ただし、誰に見られているのかわからないのでカバンは肌身離さず、歴史書関連のコーナーに行く。
昔、ロースクールに通っていた頃は机に参考書とカバンを置きっ放しにしていたが、さすがに今そんなことをして何かあったら弁護士バッジも剥奪されてしまうだろう。
とりあえず数冊、過去の世界大戦について文献を見繕い、テーブルの上に置いた。暖房がきいているせいか若干眠気を覚えたが、眉根を指でおさえて無理やり目を覚まさせた。
――とにかく、調べてみるか。
50年前とはいえ歴史上もっとも新しい世界戦争である魔王軍対国連軍の10年戦争に関する資料は膨大だったので、今回は主に概要がつかめる書籍と法律関係の書籍を選んだ。
といってもその内容は分厚く、一ページめくるごとに頭がグラグラと揺れて眠り落ちてしまいそうだったが、なんとかおおよその書いてあることは理解できた。
10年戦争とは一言でまとめるのならば、侵略戦争だ。
表向きは当時奴隷のように酷使されていた亜人種の解放を謳っていたが、実情はまるで正反対だ。
そもそも言葉が悪い。奴隷といえば確かに人権的に抑圧されているように聞こえるが、もっと長い歴史で見れば亜人種の権利は50年前の時点で既に保障されていた。
どこの世界に雇用保険のある奴隷がいるんだ?だいたい転職の自由がある時点で奴隷ではないだろ。
確かに800年前まで遡れば亜人種をただの労働力として不当に搾取する時代があったようだが、その諸問題は既に50年前の時点である程度解決されている。
もっとも、雇用者と被雇用者との関係からある程度の軋轢はあったようだが、それは今も同じだ。
僕だっていまだにかつての上司に苦しめられている。
ただこの時代は世界の流れから見ると一つの転換点でもあったようだ。というのも、この時代から急速に科学技術が発達し始めたからだ。
それまでの科学技術といえば精密機械を作るのがやっとというところだったが、徐々に動力機関の開発が進み、科学文明が急速に進化し始めた。
魔法の力と科学の力がちょうど逆転し始めた頃なのだ。
今までとは違うことが起ころうとしている。もしかしたら当時の人たちはそのような時代の変化特有の空気を感じ取っていたのかもしれない。
変化に順応できる人間はいつの時代であっても適切な反応をする。先見の明のある人物はそれを利益にするために一足先に行動するものだ。
魔王はこのような時代の流れを上手に汲み取り、暗躍し始めた。
もともとはただ世間に対して不満を抱えている亜人種の集団だった。その中のほとんどはただやり場のない怒りやストレスをぶつける相手が欲しかった、ただのそれだけの人種だったのかもしれない。
しかし、亜人種の中には強力な力を秘めている者が多く、そういった輩を取り込み、洗脳し、絶対服従の味方にしてしまうことに魔王は長けていた。
小さな集団はやがて多くの人を取り込み、やがて一つの組織となった。ただの怒れる亜人種の集団は大きな力を持つ軍隊を形成し、ついに世の中に対して宣戦布告をし始めた。
彼らがなぜ戦争を起こしたのか、その原因はいまだにはっきりしていない。
ただし、一つだけわかっていることがある。――亜人は恐ろしく強かったのだ。
それこそ平和ボケしていた人類にとって魔力を持つ軍勢は脅威であった。
空を飛ぶ鳥人に何十メートルもの巨躯を誇る巨人の一団に人間の軍隊は歯が立たず、強力な魔力を持つ魔族には剣も銃も効かなかった。
といっても最初の時期においてそれは小さな国家の片隅で起こる小さな紛争でしかなかった。
魔王は戦争を仕掛けている最中も数を取り込み始めた。世界中にいる亜人を仲間にし、やがて世界に喧嘩を売るだけの力を掌中におさめた。
当初は国連軍が優勢と思われていた戦局もいざ開戦してみると思惑が外れ、お互いが血で血を洗うような泥沼と化していた。
このような争いが10年経過したときに、魔王はあっさりと勇者に倒されてしまった。
いつ、どこで、どのようにして生まれたのかもわからない魔王は突如世界に脅威を振るい、人知れずその姿を消してしまった。
そのため、戦争後に行われた国連加盟国による国際軍事裁判において首謀者である魔王は不起訴という形で終わった。
もっとも、魔王が今も生きていた場合、再起訴で確実に死刑になるだろう。
ただし、それは国連加盟国が彼を拘束した場合のみだ。
ここは法治主義のグリムベルドであり、世界戦争にも参加しておらず、世界でも珍しい唯一の国連非加盟国だ。他国の干渉は一切受けずをモットーとしており、国内の罪が問われることはあっても海外の罪が問われることはなく、それを理由に不当に逮捕することもない。
そうなのだ。魔王なんて、この国においては何の意味も価値もない存在なのだ。
僕は本を閉じる。
何が魔王だ。馬鹿馬鹿しい。
確かにこの魔王は悪辣非道のようだ。戦争を始めた理由についても特に大義名分はないらしい。
もっとも、大義があったからといって始めていい理由もないのだが。だが、こいつはどうなのだろう?
探せばきっと当時の彼の悪行に関する詳細なデータが見つかるだろう。
虐殺、拷問、人体実験……だが、そんな眉唾ものの資料を探す気はなかった。
この国において魔王はいまだに無罪であり、既に死んだ人間だ。
それを殺す?勇者が?なんのために?時代錯誤か?
「ほんと、なんでこんな事件引き受けたんだろう?」
急に疲労を感じた。頭をテーブルに突っ伏し、目を閉じると「すいません」と背後から声が聞こえた。
振り返ると、この図書館の司書だった。
「そろそろ閉館になります。図書カード、お作りになりますか?」
彼女はテーブルに積まれている書籍を指差すが、僕は丁重に断った。
明日は裁判所に行き、国選弁護の申請をしないといけない。その後は被疑者と面会か。
事件のことを調べれば調べるほど気が重く、被疑者に会うのが億劫に感じられた。