告発
プツンという音が聞こえそうだった。今までピンと伸ばしていた背筋をぐにゃりと前かがみに曲げたクラウディアの顔には生気がない。
今まで張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったように見えた。
「なんで?」
儚く消えてしまいそうなほど小さな声でクラウディアはそう呟いた。
「魔王を殺そうとしただけなのに。どうしてこうなるの?なんで、なんで、なんで……」
見るに耐えない姿だった。今まで気丈に振舞っていた少女の姿はもうどこにもになかった。
勇者とは程遠い、一人の壊れかけた少女がいるだけだった。
「さて、こんなもんでいいかな?」
証言台に立つ魔王はクラウディアを一瞥もせず、裁判長に言う。
「事件の疑問はすべて解消されただろ?複雑でよくわからない事件だったが、蓋を開けてみればなんてことがない。ただの頭のイカれた馬鹿なガキが勘違いした挙句、正義の味方気取りで人を襲った、それも別人をな。それだけの事件さ」
裁判長は両目を閉じて難しい表情をしながら魔王の言葉を聞いている。
「極めて悪質だ。自分を世界で一番正しい人間だと思い込んでいるあたり、性質が悪い。人にはそれぞれ価値観があるってことを学んだ方がいいな」
――もう手遅れだけどな、と魔王は下衆めいた笑い声をあげながら言った。
「ふむう。確かに、被告の不遇な生い立ちには同情します。しかし、いかなる理由があるにせよ、殺人を正当化することはできません」
「仰るとおりです、裁判長」
……なんだろう、この空気は?
歴史的な事実を鑑みれば、今この法廷内にいる全生き物の中で、もっとも罪深い者はこの魔王自身の筈なのに。
なぜか、クラウディア一人だけが悪者のような雰囲気が法廷を支配していた。
確かにこの国の法律で魔王の罪を裁くことはできない。だが、何かが腑に落ちない気がした。
――それが何なのかわからないし、言葉にもできない。そんな僕は弁護士失格だ。
これで終わりなのか?
クラウディアは完全に戦う意欲をなくしている。疲労がピークに達したような、呆然としたその表情には諦観に近いものが漂っていた。
この事件には、まだ謎が残されている。だが、それは本当に曝してもいい真実なのだろうか?
事件の核心を突けば突くほどクラウディアが傷ついているこの状況で、これ以上謎を追いかける意義はあるのか?
……もうここで、終わらせるべきなのか?
戦う意思を失いかけていた。だから、シェーファー検事の「そうかしら?」という反論の言葉に一瞬救われるような思いをした。
「絶対的に正しいものがないなら、法律なんて不要でしょ?人それぞれ価値観が違う?だから何?ここでは個人の価値観なんてどうでもいいのよ」
――法律こそ絶対なの、とシェーファー検事は堂々と言い切った。
「気に入らないわね、あんたのやり方」
「……ちょっと言っている意味がわからないんだけど、あんたは急に何を言い出しているんだ?」
魔王は不愉快なものでも見るような目つきで検事を睨む。
「せっかく被告が有罪になろうとしているのに、なんで検事が口を出す?そういうのは一流のプロがやる仕事ではないな」
「私が検事になったのは徹底的に犯罪者を懲らしめるためよ。そのためならあらゆる手を尽くすわ」
身を持って体験しているだけに、やけに説得力があった。
「人助けをしたくてこの仕事をしているのじゃないの、犯罪者を炙りだして牢獄にぶち込むために検事をしているの。確かにそこの被告は罪を犯したわ。でもね、あんたも犯しているでしょ、法律を」
シェーファー検事は一瞬こちらを見て、すぐに魔王の方に視線を戻した。あまりにも短い間の出来事だったので気のせいかと思ったが、確かに僕を見た。何かの合図だろうか?
「私があんたをこの法廷に呼び出すのに、どれだけ苦労したと思っているの?冗談じゃない。このまま逃したりしないわよ」
「ああ、なるほどね。そういうことか」
魔王はようやく納得したといった様子で検事を見る。
……もしかしてアイツ、最初から疑っていたのか?
確かにケイトの今までの裁判での言動は傍から見るとわずかばかり、いやかなり無理があるようにも思えた。完璧な証拠が揃っているのに、どこか綻びがある。
それでも意見を押し通そうとした結果、僕から反論を受けることになり、結果的に論理が破綻することになった。常に勝訴を追い求めていたかつての彼女とは正反対な行動だった。
考えすぎか?それとも……
「俺の罪を告発したいのか、検事さんよ」
シェーファー検事は何も言わない。ただ黙って魔王を睨むだけだった。
「しかし、そうなるとこの法廷は場違いというものだな。そう思いませんか、裁判長」
「へ?私ですか?」
突然名指しを受けて裁判長は一瞬狼狽するも、すぐにプロの顔に戻して答える。
「ふむう。確かに証人の言い分はもっともです。この法廷はあくまで被告の殺人罪を問うものであって、証人の罪を問うものではありません」
「全くその通りです、裁判長。俺の罪を問いたいのならば、まずは逮捕して、起訴をしてからにしてほしいな。ここは法治国家なんだ。ちゃんと手続きは守れよ、検事さん」
――もっとも、逮捕できるような罪があればの話だがなと、魔王は嘯いた。
「……私は、法律は守りますよ。だから、ここであんたの罪を暴こうとは思いません」
女検事は冷笑した。
「でも、そこの型破りな弁護士さんは違うようです。どうやら証人に一言、いいえ、二言三言反論したいことがあるようです」
「え?」
思わずバカ面を浮かべてしまった。
「そこの弁護士さんは――あなたが真犯人じゃないのかと反論したいようですよ」
「な、なんですと!」
裁判長は目を見開き、まるで初耳だといわんばかりの表情をした。ちなみに、僕も今の検事の話は初耳だった。
「ど、どういうことですか、弁護人!あなたまさか、法廷で真犯人を告発をするつもりですか?」
「え?え?」
――ちょっと待ってよ。
なんだかおかしな話の流れになってきた。
「私は被告が真犯人だと信じて疑いませんが、どうやら弁護士は絶対に被告は殺人犯ではないと信じて疑わないようです。もちろん、変なことやデタラメを言うようでしたら、すぐさま看破するつもりですが――ここは法廷。どんなに荒唐無稽な理屈であっても、反論の機会は与えるべきです」
――だからねえ、教えてよ、と女検事は楽しそうに僕に言う。
「どうして被告は犯人ではないと思うの?ついでに、証人が真犯人だと思う根拠も教えてほしいわ」
――こいつ、こいつ、こいつ……
僕をハメやがったな。
いつの間にか、法廷の視線が全て僕に集まっていた。好奇の目、敵意の目、そしてクラウディアからは期待と不安の入り混じった視線がくる。
そんな目で見るなよ。もともとはただ金が欲しいだけで引き受けた仕事なんだぞ。
そんな目で見られると――助けてやりたくなるじゃねえか。
やるしかないのか?でも、本当にできるのか?
僕は今までの事件の情報を振り返る。確かに、いくつか矛盾を指摘出来る箇所がある。
そして、お誂えむきにも今法廷には、疑問に答えられる人間が揃っている。
魔法と科学の専門家に、かつての大戦を知る生き証人。魔王に勇者まで揃っている裁判なんて滅多にお目にかかれないだろう。
――でも、真実を曝してどうなる?もっと傷つくかもしれないぞ。
僕はクラウディアを見た。彼女の顔は儚げで、これ以上衝撃を与えてしまえば壊れてしまいそうだった。
壊れるか、救えるか、一か八かだ。
救える可能性があるのならば、そちらに賭けるべきなのか?
僕は思案し、そして主張した。「弁護側は――真犯人を告発する準備ができています」