グリムベルドという国について
「ふふふ、あははははは、わはははははははははッ!」
魔王は大声を出して笑った。鋭い犬歯をむき出しにし、ただただ純粋に面白いことがあったから笑っているという態度だった。
あまりにも健康的で爽やかに笑うせいで、法廷全体によくわからない不可思議な空気が広がっていた。
「あははは……」
魔王は顔を伏せ、右腕を盛大に振り上げるとバンバンと自分の膝の上を叩いて哄笑を続ける。
「何が、おかしい」
僕は魔王を睨めつける。すると笑い声がピタリと止まり、魔王はゆっくりとした動作で顔を上げ、僕を見る。
「おかしいんじゃない。面白いんだよ」魔王はニタリと口角を上げ、囁くような声で言う。
「実は俺、今まで一度も負けたことがないんだよ。ケンカでも試合でも、スポーツでも勉強でもな。あらゆる分野でナンバー1だったんだ」
――パーフェクトなんだよと、魔王は言う。
「弟の出来は悪いのに兄貴の方は優秀だから、よく神童だなんて言われてたよ」
……何を言ってるんだ?
今の話が本当ならば、魔王に関する歴史的な新事実だな。甚だしくどうでもいいことだが。
「なのに、なんなんだよ、お前わ」
魔王は椅子から立ち上がった。そしてカツカツと足音をたてながら、まっすぐにこちらに向かって歩を進める。やがて証言台に立つと前かがみになって、言う。
「たかが弁護士だろ?金で雇われてるだけの三流だ。そのお前がなんだって俺に楯突く?お前みたいなのは本来、俺の人生に立ちふさがっちゃダメだろ、おい」
――カンッ!木槌の音が響き、裁判長が言う。「証人は言動を慎みなさい」
なんだかちぐはぐだ。確かに証人であることに間違いないのだが、この眼の前でニタニタとドヤ顔を浮かべているのは証人である前に魔王なのだ。
――いや、違う。こいつはやっぱり、ただの証人だ。
「沢山いるよ」
「あ?」
魔王はドヤ顔を引っ込めた。僕は続ける。
「お前、50年前この国と戦わなかったんだろ?じゃあ知らなくて当然だ。この国にはお前なんかより強い奴は沢山いるんだよ。大して世の中を知りもしないくせして偉そうなこと語ってんじゃねえぞ、この馬鹿野郎が」
ざわざわとしていた法廷がそのときだけ静かになった。誰も一言も発せず、黙って僕の言葉を聞いていた。
傍聴人も、裁判長も、クラウディアも、検事も、魔王自身さえも口を開かず、黙っている。だから一瞬、時間が停止してしまったような気がした。
最初に口を開いたのは、魔王だった。
「ああ、そうだったな。じゃあ、どっちが強いか勝負といこうか」
先ほどまで無表情だった魔王だが、今では元通りドヤ顔を浮かべている。
――ゲス顔だな、どちらかといえば。
「なんで認めたと思う?」
「はあ?」
突然の質問に、僕は頭が真っ白になった。
「俺がなんでわざわざ50年の沈黙を破って、こんなところでわざわざ自分が魔王だってことを認めたと思うんだ?」
「それは……」
そういえば何でだろう?そもそもこの男が魔王だと断じれるだけの根拠など、僕にはなかった。ただ状況から推測して、魔王じゃないのかと問いただした。ただ、それだけだ。
証拠なんて何一つない。どれも曖昧な推測ばかりで、確たる物証はない。
だから、反論しようと思えばいくらでできるはずだった。なのにこの男、自分が魔王であることをわざわざ認めてしまった。
――これではまるで……
「困らないから、でしょ?」
僕の心を見透かすようにシェーファー検事が言う。
「50年前、我が国は世界戦争に参加しなかった。これは建国以来の憲法の理念に則った選択の結果で、それは今もこれからも同様です。昔から我が国はあらゆる紛争に介入しないし、与しもしない。常に中立であること、それこそがグリムベルドの国際社会における立ち位置です」
「ふむ。だからこそ我が国は世界で唯一の国連非加盟国であり、世界史上もっとも長きにわたって他国との紛争がない平和国家であるのですが……それが今回の件とどういう関係が?」
裁判長の疑問に僕が答える。「大有りですよ、裁判長」
「グリムベルドは50年前の世界戦争に参戦していません。つまり、当時の戦争犯罪について魔王を裁く権利がない、ということです」
「その通りだよ、諸君」
魔王は堂々とした態度で続ける。
「俺が魔王?だからどうした?お前らあの戦争に参加しなかったんだろ?じゃあダメだ。お前らに国際裁判への参加資格はないんだよ、馬鹿共が」
――だから面白いんだよ、と魔王は言った。
「だ、だけどお前が魔王だってわかった以上、そんなことは関係ないだろ。他の国連加盟国が起訴すれば、すぐにでも国際裁判は再開できる」
「どうやって?」
魔王は問いかける。
「おいおい、俺は警備員やってる最中、ちゃんとお前らの国の司法について勉強したぜ。お前ら、外国と犯罪者の引き渡し条約、結んでないんだろ?じゃあ、俺を引き渡すことはできないな。現状では俺を拘束する法律はないんだから。誰も俺を裁けないんだよ」
――なんていったってグリムベルドの法律が俺を守っているからな、と魔王はよく響く胴間声で語りかけてきた。
……こいつ、こいつ、この野郎。
ドンッ!思わず机を叩いてしまった。
こいつ、こうなること、わかってたんだ。
不思議だった。何もかも不思議だった。どうして先の大戦と縁もゆかりもないこの国で、魔王だの勇者だの、わけのわからない犯罪が起こるのか、不思議でしょうがなかった。
だが、ようやくわかった。
こいつ、最初っから利用するつもりだったんだ。この国が長年かけて培ってきた努力を、すべて悪用するためにわざわざやってきたんだ。
くそったれ、頭にくる。
――これじゃあ、なんの意味もないじゃないか!
魔王かどうかなんて、まったく意味がない。この国にいる限り、魔王は魔王ではない。ただの証人でしかない。
……どうしたら、いいんだよ?
「あははははは、はあ。じゃあせっかく俺の正体もわかったことだし、証言を続けようぜ」
魔王は証言台に立っている。
「まだ裁判は終わってないだろ。そこの小娘にちゃんと真実を教えてやるよ」
ランランと目を輝かせながら、魔王はニタリと笑みを浮かべていた。
クラウディアはただじっと椅子に座っていた。ただその表情に余裕はなく、僕には彼女がひどく怯え、恐怖しているように見えた。




