死の定義
「こんなことは前代未聞ですッ!」
僕は検事を指差しながら裁判長に言う。
「死んだ人間が生き返ったなんて話、聞いたことがありませんッ!」
裁判長は呆気にとられているのか、目をパチパチと瞬かせながら検事側の方、被害者を上から下、下から上へと何度も見返していた。
「これはまた、面妖な……」
傍聴席がざわつく。身を乗り出してもっと近くで被害者の方を見ようとする者がいれば、口をだらしなく開けてポカンとする者もいる。
だが、一番に驚いたのはクラウディア自身かもしれない。彼女は全身を硬直させ微動だにしない。瞬きせず、ただ眼光鋭く被害者の方を見ていた。
もっとも、被害者のハル・アンダーソン自身はそんな周囲の雰囲気などどこ吹く風といわんばかりだ。
ただ面倒そうに目を細め、検事席の近くにある椅子に腰を落とす。
――本当に、本物なのか?
僕の疑念を代弁するように、シェーファー検事が続ける。
「ここにいるハル・アンダーソンは間違いなく本人です。それは科学捜査研究所と魔導心理研究所の双方の鑑定結果より明らかです」
「ほう、それはつまり……どういうことなのでしょう?」
裁判長は被害者から視線をズラし、次は女検事を見て疑問を口にする。
「生前のハル・アンダーソンのDNA鑑定を行った結果、サンプルが一致したとの報告が科捜研より上がっています」
科捜研の診断書を検察事務官のユージンが配布する。僕はそれを受け取り、隅々まで読んだ。
『蘇生後のハル・アンダーソンの血液より採取した遺伝子情報と、現場で発見された遺体の一部より採取したDNA情報、さらに警備会社より提供された被害者のDNAの型がすべて一致』
――なんだこれは?
確かに、診断書の結果を読む限り、証人専用の椅子で腰掛けているのはハル・アンダーソンで間違いなさそうだった。
だけど、なんだよこれ!訳がわからない。
「バカバカしい」
僕は診断書を机に叩きつけ、そして反論する。
「これは第一級殺人罪の裁判だ。死んでいないのならば、そもそも殺人罪の構成要件を満たしていないだろ!」
「バカバカしい?」
女検事は眉根を釣り上げ、僕を睨む。
――ああ、まずい。これは、反撃される。
「第一級殺人罪の構成要件は被害者が死んでいることではありません。加害者が人を殺したことが要件となります」
「そんなのはただの詭弁だろ!どっちも同じじゃないか!」
「いいえ、違います」シェーファー検事は続けて言う。「根拠も教えてあげましょうか、弁護士さん?」
「まずグリムベルドの裁判所は過去に2件、被害者が生きているケースにおいて加害者に殺人罪を適用させたことがあります」
シェーファー検事は裁判長を見る。
「まず一つ目が被告が殺人罪で死刑判決を受けた後に被害者が蘇生したケース。これは70年前の事例で、当時はまだ医療制度が発達していなかったことからくる医師の誤認が原因だったのですが、裁判所は一事不再理の原則通り、被告に死刑を求刑しました」
――バンッ。僕は机を叩き、こちらに注意を引きつけてから反論する。
「それはレイクサイド事件の第一審判決のことですか?だったら、その判例は高裁で覆されたはずだ。第二審で傷害罪が適用されたのだから、厳密には殺人罪で有罪になったわけではありません」
シェーファー検事は首を傾げ、「何を勘違いしているの?」と反論した。
「私は判例は2つある、と言ったはずよ?今のは医療制度の未発達が招いた不幸な出来事を説明しただけよ。問題なのは二つ目、6年前のゴロウト殺人事件」
裁判長が眉根を寄せ、不機嫌そうな顔をした。
「ゴロウト殺人事件では被告は有罪判決が適用、死刑判決を受けたわ。ただこの事件には一つ、大きな問題点があった。被害者は意識こそないものの、体はまだ生きていた。いわゆる脳死状態であったのです」
シェーファー検事は眼光鋭く僕を睨めつけてから、裁判長に言う。
「裁判長はご存知ですよね?」
「ふむ。あの事件は今でも鮮明に覚えていますよ」
「ゴロウト事件で襲われた被害者は脳に深い傷を負い、病院で脳死判定を受けました」
シェーファー検事はスラスラと資料すら読まずに言う。
「今後一生彼女……被害者の意識が回復することがないことが確定したのですが、問題は被告の体はまだ生きていたことです」
裁判長は渋い表情をしてうなづいた。「医療制度の発達がもたらした悲劇として当時は話題になっておりました」
「現在の医療技術のレベルは非常に高いです。たとえ脳が死んでいたとしても体はそのまま生きた状態に保てるほどです」
――ッ!僕は今朝のジェシカの様子を思い起こした。
全身をチューブにつながれた状態の彼女は完全に自分の力では生きていられず、医療機器によって生かされていた。
「あなたも弁護士なら死の三兆候ぐらいは知っているでしょ?」
女検事は僕に質問する。
死の三兆候。それは……
「心臓拍動停止、呼吸停止、瞳孔の対光反射の消失……人の死を判定する三つの兆候のことでしょ?」
僕はロースクール時代で習った刑法の初歩的な知識を答えた。
「その通り。かつてグリムベルドの司法はこの三兆候を基準に死んだ人間とそうでない人間を区別していました。しかし、脳死はこの3兆候が該当しない」
シェーファー検事はやけに憂いのある表情を浮かべた。
「たとえ呼吸をしていたとしても、心臓が動いていたとしても、脳が死んでしまえばもう会話することも笑うことも怒ることも悲しむこともできません。何もできなくなってしまうのです」
――だから、殺人罪が適用されたのです。
「ゴロウト事件の被告は殺人罪で起訴。我が国で初の脳死による殺人罪で死刑となった判例です」
――この流れは、良くないな。
ゴロウト事件の判例は知っている。その結果については学生の頃さんざん議論したことがある。
司法制度の厄介な点だ。事件が凶悪性を増すごとに論理では覆せない感情が噴き出してくる。
――だけど、僕は弁護士だ。たとえ冷血と罵られても、被告のために反論しないとならない。
「ゴロウト事件については存じています。その判例について異議を唱えるつもりもありません。ただ今回の事件とは明らかにケースが違う。そこにいる被害者の脳が死んでいるようには見えません」
僕は被害者を指差す。さきほどから一言も発していないのに、なぜか余裕そうな表情を浮かべるこの男が、どういうわけか癪に障っていた。
「彼は脳死しているのですか?科捜研の鑑定にはそのような結果は出ていませんが?」
「三つ目の判例について、まだ言ってませんでしたね」
シェーファー検事は最後の最後で妙に自信たっぷりのドヤ顔を浮かべて僕を見下す。
「これはそれほど有名な判例ではありませんのでおそらく知らない人がいても不思議ではありませんね」
シェーファー検事は両腕を組んで続けた。
「実は一週間ほど前、ある泥棒を窃盗犯の罪で起訴しました。ただこの事件の犯人、一つ厄介なことをしてくれましてね。盗んだ品物を後日被害者に返したのです」
なんだ?一つ目と二つ目の判例と比べて、今回はやけにスケールが小さくなった。
だから、逆に不安になる。
「なぜそんなことをしたのか?と刑事が質問すると、盗人はこう答えました。質屋にもっていったら二束三文にしかならない、――と。わかります?この盗人はね、盗んだ品物に価値がないから返却したのです」
――関係ないわよ、とシェーファー検事は底冷えのする声で告げた。
「たとえ道端に落ちてる石っころだろうと、明らかにゴミにしか見えないガラクタであっても、他人の物は他人の物。盗めば窃盗罪。返却したかどうかなんて関係ないのよ。怪我しても治れば傷害罪にならないとでも?お金を盗んでも返せば無罪になるとでも?人の命を奪っても、生き返れば問題ないとでも?」
――バカバカしい、とシェーファー検事は僕に反論する。
「被害者がその後どうなったかなんていうのはね、加害者にはどうでもいいことでしょ?私たちはね、テメエが犯した罪を糾弾してんのよ」
――他人のせいにしてんじゃねえよ、と女検事は締めくくった。