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Q.人が死ぬのはいつか

作者: 武闘鬼人

当たり前のことを書きなぐっただけですので、お気に召さないかたもいるかも・・・


Q.人が死ぬのはいつか


A.寿命が来た時


この質問の意図をよくわかっていないようだね。

確かにその通りではあるが、今回問うているのはそういう問題ではないのだよ。




Q.人が死ぬのはいつか


A.心臓が止まった時


先ほどの質問と微塵も変わらんな。

肉体的な死を、今は取り扱っていないだろう?




Q.人が死ぬのはいつか


A.誰からも必要とされなくなった時


確かに、人と人の間を生きる者、ということで「人間」なのだからな。

人の死はそこにあるのかもしれん。


だが、誰からも必要とされなくなったところで、その者は自分が死んだなどとは微塵も思わない。




Q.人が死ぬのはいつか


A.一人きりになった時


上の解答に近いが、微妙にニュアンスが異なるな。

先ほどのと違い、その個人が孤独感を感じている、ということだ。


しかし、世の者共はそれでも生きるだろう。

どのような経緯であれ、ただ一人きりであっても生きる者はいる。




Q.人が死ぬのはいつか


A.誰からも忘れられた時


人の記憶に残らなくなった時、だな。

これはよく言う「○○は死んだが、心の中で生き続ける」ということの反対だろう。


だが、そんなものは他者の感情だ。

当人にしてみれば、まったく関係のないことだ。死に際の安心感にはなろうがな。


よって、当人を介さないその解答もはずれだ。





Q.人が死ぬのはいつか


A.退屈に押しつぶされた時


もっとも今回の正解に近い。

が、おしいな。


それは「死に方」であって「死ぬ時」ではない。

肉体的に置き換えると「車にひかれた時」と「車に引かれて内臓が潰れた時」との違いだ。


少し先に行き過ぎた解答だったな。




なに?では正解は何かと?

そろそろ諸君らの頭にも、答えは出ているのではないか?




Q.人が死ぬのはいつか


A.彩りを感じなくなった時


まさしくこれだ。

意外そうな顔をしているな。だが、大真面目だ。



先ほどの「退屈」とは、その先に生まれるものだ。

彩りを失った結果、それが「退屈」に向かうのか「忘我」という方向に向かうのか、ということだ。


よって、私はこれを正解としている。




では、「彩り」とは何か。


人生の彩りだ。



諸君らは、彩りを感じているか?

その若さで彩りを感じないというのならば、よほど空虚な人間だな。


そういった空虚な人間が、突発的な事件を起こしやすいものだ。気をつけたまえ。



さて、話を戻そう。

彩りとは何か、だったな。



正直、何でもいい。

つまらない、と言う顔をしているな。だがそう感じるのもまた彩りだ。


人生のアップダウン。

感情の動態。


その瞬間に高鳴る感情がなければ、人間は死んだも同然だ。



それはつまらない、と言うのではないか?


君たちは幸せなことに知らんようだ。

本当に「つまらない」と感じるときにはな、人間の心にはそんな感情すら生まれない。


つまらないならつまらないなりに感想を述べることもできようが、本当に何もなければそんなことすら起こらない。



そうなった時、人間は別の何かを求める。

そして、それが見つからなかった時、人は死ぬのだよ。



君らにわかりやすく言うと「やりたいゲームもない。読みたい本も漫画もない。楽しみになる番組もない。やりがいのある趣味もない。嗚呼、ただここで息をしているだけのようだ」という感覚だ。



近年になって、どうして様々な娯楽作品に傾倒する人間が増えたと思う?


答えは単純だ。世の中に面白みを感じることができない人間が増えたからだよ。

ゆえに、娯楽を求め、それに傾倒する。死にたくないからな。


楽しい作品、面白い物、好きになれる趣味。

それらを得ることで、彼らは彩りを得ているのだ。





人間の寿命の訪れは、身体の老化から来るものだ。

我々の肉体は日々、体内外にかかわらず古い物を排除し新しい者にすげ替えられている。聞いたことがあるだろう。それが新陳代謝と言う者だ。


年をとると共にその力が弱まり、肉体は新しい物と変わることなく、古い物のままになる。

これが老化現象と言う者の、ざっくばらんとした説明だ。



医学的に正しいのだろうが、私はこうも考えている。




人はそういった楽しみを失ったからこそ、死にゆくのではないか、と。



様々なものを楽しみ、人生を彩り、そして心臓が高鳴って行く。


だが、歳と共にそれも失い、身体から、人生から、心から、彩りを失っていく。

次第に心臓は高鳴ることを忘れ始め、しだいには鼓動すらしなくなる。



そして、人は死に眠るのだ。




老人たちが寿命を全うして死ぬのは、その人生をやりきったということ他ならない。

もうやることもなく、この先に彩りが見えなくなり、この世と訣別するのだよ。


ちなみに、この話に病人は含まんぞ。

病人は外的なものによって殺されるからな。




では、寿命とは何か。

安らかに肉体が限界を迎え、現世にもう彩りを見出すことができなくなって消えゆく魂の期限はいつなのか。



人間の欲望にそこはない、とは言うが、ならば人間に寿命などないのではないか。


当然、そう考えるだろう。

楽しみ続け、彩りを見出し続ければ人は死なないのか。



私はその上限が満足の回数だと、考えている。


人には満足する回数が決められている。

それをやりきった時、人は今先の未来に彩りを失い、そして死にゆくのだ。



なに?では満足しなければ死なないのか?

忘れたかね。それこそ人生から彩りが失われているではないか。


楽しまず、満足もせず。彩りもない人生ならば、またそれは死だ。

その人間に生きている意味などなくなるだろう。




さて、諸君らはこの先の人生で、一体どれだけ満足できるのかな?

果たして、その上限まで満足しきることはできるのか・・・・



結局人生とは、どれだけ楽しんだかによって決まるのだよ。



楽しみを探せ。

娯楽を見いだせ。


何をすればいいのか分からなくなる、などという日常が来たらおしまいだ。

何かやることを探したまえ――――




私かい?

実は私も、すでに空虚な人間でね。限りなく無色だ。


やりたいこともなければ、やる気も起きない。

やってみたいという好奇心も起こらない。


ああ、私は寿命(じょうげん)が近付いているのかもしれんな。



私が今やっているのは、ただ一つ。

それ以外の時間は、私は自室で何もせずにいるのだよ。その時、私はまさに「死んでいる」。


半ば義務のように、無理やり体を動かしているんだ。

一体、何をしているのかだって?


それは―――



この少し高いこの台に立って、君らにこうして語ることだよ。

語り終わるまでが、上限さ。

思ったことを書きなぐっただけの、稚拙な文をお読みいただき、ありがとうございました。

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[一言] 遅くなりましたが…誤字・脱字報告&感想です! ディライン その在り方より ディライドの行動はノロい。 だがディケイドが飛び掛かり、地から足が離れ神津堂の変更ができなくなった瞬間に、ディラ…
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