橋姫(はしひめ)
本文が短かったため、覚(本話の前半部分)と橋姫(本話の後半部分)を結合しました。内容には変わりありませんが、話数が変化しています。申し訳ありません。※題名は内容に即した方を引き継いでいます。
誠曰く「夕襲の国」は昔、別の名前があったという。しかしある時一人の異世界人が迷い込んでから、世界の状態が変わってしまった。
「その時迷い込んだのが若い男で、おそらく大正・昭和時代の人間だったんだと思う。どんな因果関係でこの世界に来てしまったのかはわからないけど」
「どうしてわかるの?」
「ここの伝承を調べたんだ。洋服に関しての記述がそれほどなかった。ってことは、大体この国の人と同じようなものを着ていたんじゃないかと思う。確証はないけど」
調べた、ということは随分前からこの世界に来ているのだろうか。色々質問事項はあったけれど、とりあえずは夕襲の国について聞くのが先決と思い、話の先を促した。
「初めは帰る方法を模索していたらしいんだけど……まぁ、愛着が湧いたみたいで、結局残ることになった。
で、趣味か仕事かはわからないが、男はこの世界で絵を描くことにしたんだ。もしかしたら元いた場所を懐かしむ気持ちもあったのかもしれない。自分の知っている妖怪の絵をたくさん描いて、それを本にした」
……妖怪。なんだかキナ臭い。
自然と釦の顔が曇る。それを見て誠は「なんとなく想像がついたみたいだけど」と言い、続けて
「月日が経ち彼が寿命で死んで、その妖怪の本だけが残った。この国の人から見てみればただただ気持ち悪い本だ、燃やしてしまおうということになった。けど、男は長年この世界にいたことで魔法も覚えてしまっていたらしい。端的に言えば、その絵に意思が宿っていたんだよ。付喪神みたいな。それらが危険を察知して本から逃げ出してしまった」
「その本はどうしたの?」
「長谷川、この世界に召喚されたとき、本を見たんじゃないか?」
「本? ――あ、」
パンフレットのようで、安そうな、薄い本。表紙は何かが抜け出してしまったかのような空白があった。
「見た。図書館で、それを見て、急に光って、それで……あれ? あの本は」
「これじゃないか? 少し先に落ちてた」
誠がそっと本を差し出してくれる。紛れもなく、釦をこんなところに追いやった元凶だった。
「『百』って書いてあるな。俺はほとんど同じデザインで『行』って書かれていた。何の事だか。
まぁ、見てわかる通り、それがこの世界に迷い込んだ男が書いた本だ。さっきも言ったが、俺たちはそこから抜け出してしまった妖怪を退治するために召喚された」
「どうして私たちが」
「同じ世界の人間なら妖怪を倒せるかもしれない、そう考えたらしい。俺たちからしてみたらとんだとばっちりだが」
そう言って誠は苦笑した。いや、笑ってる場合じゃないって。対象を間違っているとはわかっているが、それでも腹が立った。
「じゃあ私たちじゃなきゃいけなかったわけじゃないんでしょ。私、帰りたい。帰して」
そう言って釦が誠に詰め寄ると、彼は平然と無理だよ、と言い放った。
「え?」
「無理だ。魔法で償還されたってことは、魔法を使ってでしか帰れない。この世界の人たちは俺らに『妖怪退治』を望んでいるんだ、それを達成しなくちゃ帰れない」
「じ……じゃあ時間は? 妖怪退治をしている間の時間はどうなるの?」
ほとんど糾弾するかのように質問したその時、荷馬車がピタリと止まった。突然のことに釦がバランスを崩すと、さっと体を抱きとめてくれる。
「あ……ご、めん」
釦としては『抱きとめてもらってごめん』の意味で言ったつもりだったが、どうやら誠は違う内容に捉えたらしい。抱いている腕の力を一層強くして、ぽつりと呟いた。
「いや、辛いよな。理不尽だもんな。俺も、本当に最初は辛かった。でも、長谷川ができるだけ困らないように、悲しい思いをしないように、できる限りのことをするから。必ず一緒に帰ろう」
思えば、誠は釦よりも前に召喚されたのだ。いくら釦が泣こうが喚こうが、彼女よりもつらい思いをしてきたであろうことは確実で、そのことを思うと不思議と怒りも弱まった。
「……うん」
「じゃあ、行こう。これがこの国の城だ」
目の前には、絵本の中に紛れ込んでしまったのではないかと錯覚するほど(いや、絵本も異世界も同じようなものかもしれないが)、豪華で大きな城がそびえ立っていた。
城は襲撃に備えてか周囲をぐるりと水路で囲まれており、さらには豪華な石造りの塀が空に向かって伸びていた。中心の様子が全く窺い知れない構造が、何かに似ているな、と思って釦が考えを巡らせていると、隣から「皇居にそっくりだろう」とネタバレされた。
「私たちの世界と何か関係があるのかな」
「どうかな、この造りは割と多いんじゃないか? 外国でもあったと思うし」
それでも、と釦は思う。それでも何かの関連性がないとは言い切れないじゃない。
荷馬車は水路の付近で止まり、馬が低く嘶いた。が、どこにも入口らしきものが見当たらない。
「どうやって入るの?」
「ちょっと待ってて」
誠はそう言って、ポケットからペンと小さな紙切れを取り出した。さらさらと何かを書き連ねて、紙飛行機の様に折っていく。
「これを、こうやって……行けっ」
彼の手から放たれた瞬間、小さな紙飛行機はすぅーっと空へ舞って行った。
「何をしたの?」
「あのメモ用紙には魔法が込められてるんだ。言葉を書いた人間が届け先を念じれば、そこに行くシステムになってる。俺たちがここにいることを書いて送ったんだよ」
「なんだか……メールみたいだね」
「あぁ、俺もそう思う」
こくりと誠も頷く。と同時に、根本的な問題に気付く。
「あれ、でも、まさか日本語を書いたわけじゃないよね? というより、この世界では私たちの言葉は通じるの?」
明らかに母国語が使われていないような国で、どうやって彼はコミュニケーションをとってきたのだろう。
すると、彼は意外な答えを返した。
「この国の使用言語は英語だよ」
「え……いご?」
本当に近世ヨーロッパのようだ。
「そう、俺も初めはびっくりしたけど。ただ、小学生の時3年間海外で暮らしたことがあるから、会話には不便してないな」
今のところ、と誠は小さく笑いながらひょいと荷馬車を降りた。そのまま手を伸ばして、釦が降りるのを手伝ってくれる。
「知らなかった」
「中学から日本に戻ってきたから、編入とかはしてないんだ。だから誰かに聞かれることもなかったし、言う必要もなかったんだよ」
釦はそっと彼の横顔を盗み見る。中学生の時からかっこいいと評判だった誠。決してメリハリがあるとか、男らしさやたくましさを感じる顔立ちではない。けれど、すっきりとした面持ちにどこか非人間的な、同い年とは思えない異質な空気をまとっている彼は、様々な女の子から人気があった。もしかしたら、留学経験で培った何かが関係していたのかもしれない。
「そこを見て」
誠が指差したのは、高く積み上げられた塀の一部分だった。釦が目をやった瞬間、ゴゴゴゴ、と石臼を挽くような重たい音がし、堅牢だと思っていた城壁にゆっくりと隙間が現れ始めた。
「跳ね橋だ」
「すごい。初めて見た」
感嘆する釦に、彼は続けて説明する。
「城を出入りする人間が多い時間帯は、ずっと開けっ放しになってるけどね。このぐらいの時間だと閉まっている確率が高い。とはいってもまあ、日が傾く前に大抵の人が城に戻るんだけどな」
ということは、夕方以降は外を出歩かないということだ。釦からしてみれば、放課後まっすぐ家に帰ることに等しい。冗談じゃない。
「どうして?」
「妖怪が出るからだよ。さっき、この世界は『夕襲の国』って呼ばれるって話をしただろう。夕方に襲うでゆうがさね、だ。危険だから誰も外に出ようとしない」
その言葉とほとんど同時に、ドン、という音がする。跳ね橋が下りきったようだ。
「行こう」
説明ばかりになってしまいました……。
次回からようやく話が動き出します(予定)。