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IR情報で読み解くダンジョン経済学  作者: カトーユキヒロ
第3章:見えざる手は、俺が作る

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第4話:協議会

 尾道特区協議会は月に一度、特区行政局の会議室で開かれる。


 委員は九名。特区行政局長が議長を務め、ギルド理事長・商工会会頭・特区総合病院の院長・漁協の組合長・東朋マテリアルの木崎らが席を並べる。特区の背骨を決める場である。


 議題は三つあったが傍聴人の姿はない。特区協議会は非公開が原則である。だからこそ委員の本音が出る場でもあった。


 会議の朝。行政局の玄関前で木崎と落ち合った。


「役者が揃っていますよ。理事長は昨夜広島本部に呼び出されていたそうです」


「情報が早いですね」


「プラントの警備会社と本部の警備会社が同じでしてね。世間は狭い」


 木崎は眼鏡を押し上げた。かつて陽太を侮った男は今や最も頼れる共犯者の一人である。


「東朋としての意見書は預かってきました。使いどころはお任せします」


「助かります。ですが東朋の名は最後まで伏せてください」


「なぜです。うちが表で支持すれば、産業界の後ろ盾として一番効くはずだ」


「効きすぎるんです。最初から大企業が旗を振れば、これは大企業と成り上がりが組んで既得権益を奪う構図に見える。まず地元の声で場を作りたい。東朋は、流れが決まりかけた最後の一押しに」


 木崎はしばらく陽太を見て、ふっと笑った。


「湊社長は、いつも一手先ではなく三手先を見ている。フィルターの取引で首を持っていかれかけた身としては、味方でいて本当に良かったと思いますよ」


「あの時は失礼しました」


「いいえ。あれで東朋は更に強くなった。今日はそのお返しです」


 ◇ ◇ ◇


 会議室の末席に参考人として陽太は座っていた。


 顔ぶれの半分は工場の認可や港湾の手続きで顔を合わせたことがある。だが公式の議場で相対するのは初めてだった。理事長とはダンジョン封鎖の騒動以来の再会になる。あのとき頭を下げさせた相手が今日は審判席に座っていた。


 理事長は陽太を一瞥し、すぐに手元の書類へ視線を戻した。値踏みする価値もない、という態度だった。かつて泥まみれの探索者だった頃なら、その一瞥だけで身がすくんだかもしれない。


(因縁は関係ない。数字だけを置く)


 鷹司の言葉が耳の奥にある。地元では綺麗に勝て、一点の曇りもなく。挑発に乗って相手を叩き潰せば、それが中央での弾切れになる。今日ここで積むべきは勝利ではなく、誰の目にも正しい勝ち方だった。


「──以上が実証区域と取引所の構想です」


 説明は十五分で終えた。羽山達の伝票。札幌との三倍の価格差。腕利きが現場を去っていく実態。数字だけを積み上げた。


 最初に口を開いたのは予想どおりの男だった。


「話にならんな」


 ギルド理事長。恰幅の良い体を椅子に沈めたまま陽太を見ようともしない。


「固定価格は四年間この特区の探索者を飢えから守ってきた。セリだと? 値が乱高下すれば真っ先に死ぬのは底辺の探索者だ。君は彼らを博打場に放り込む気か。言っておくが四年間この特区で餓死した探索者は一人もおらん。固定価格が最低限の飯を保証してきたからだ。制度には制度の功績がある。若造の思いつきで壊してよいものではない」


 正面から受け止めるべき論だった。だからこそ正面から返す。


「逆です。固定価格こそ底辺を固定する装置です。私自身が四年近く底辺にいました。どれだけ働いても日給5,000円の床は動かない。あの床は守ってくれる床ではなく踏み抜けない天井でした」


「ふん。成功者の後出しの理屈だ」


 陽太は一瞬だけ言葉を止めた。反論は喉元まで出ていた。だが感情で押し返せば、この議場は成り上がり者と守旧派の意地の張り合いに見えてしまう。それは相手の望む絵だ。


 だから数字を置く。


「では現役の数字を。この特区の探索者登録は減り続けています。スカラーシップ制度を導入してまで増やしたかった探索者が減少しているのです。特に技能の高い層の流出が顕著です。理事長。腕利きが逃げ出す保護制度とはいったい何を保護しているのですか」


 会議室が静まった。理事長の首が初めてこちらを向いた。


「……素材は戦略資源だ。魔石も獣皮も国の血液だぞ。それを誰でも売り買いできる市場に晒す? 管理はどうなる。どこの誰が何を買ったかも分からん闇鍋になるだけだ」


「取引所では全取引が記録されます。売り手と買い手と数量と価格のすべてが台帳に残る。むしろ現在のギルドの帳簿より透明です。──そういえば理事長。ギルドが買い取った素材のその後の売り先は公開されないのですか」


 理事長の頬がわずかに強張った。狙って放った一石だった。


「……内部の商流について答える立場にない」


「そうですか。実証区域が認められれば少なくとも取引所を通る分は誰でも見られるようになります」


「机上の空論だ!」


「議長。ひとつ質問がええかの」


 手を挙げたのは漁協の組合長だった。日に焼けた顔の老人である。


「セリいうんはわしらの魚市場と同じ理屈か。品を見て競って値を付ける」


「同じです。魚が素材に変わるだけです」


「ほうか。ほんならひとつだけ言うとく。魚市場は百年もっとる。値が乱高下して漁師が全滅した話は聞いたことがないのう」


 会議室に低い笑いが起きた。実務の重みを知る老人の一言は理屈の百倍効いた。理事長の顔がどす黒く染まった。


 陽太は内心で舌を巻いた。自分が数字を十枚重ねて説いた市場の安全性を、この老人はたった一つの実例で証明してみせた。理屈は人を納得させる。だが実例は人を安心させる。


 議論が熱を帯びる前に商工会の会頭が手を挙げた。


「わしは面白いと思うがのう。うちの組合員には素材の加工屋が多い。仕入れがギルドの窓口一本というのは長年の悩みでな。品質を見て選んで買える市場があるなら商売の幅が広がる」


「医療の立場からも一言」


 病院の院長が続いた。


「薬効のあるダンジョン産素材の安定確保は年来の課題です。品質が価格に反映される市場は結果として高品質素材の供給を増やすでしょう。当院は前向きに評価します」


「補足します。取引所は二階建ての設計です」


 陽太は資料をめくった。


「一階は毎日のセリ。魔石や獣系素材といった一般の素材を需給で値付けします。二階は競売。希少で高額な素材だけを扱い、一点ずつ私が鑑定して真贋と等級を保証します。私のアビリティは対象の状態を数値で読み取れる。この保証が市場の信用の土台になります」


「君が値を吊り上げたらどうする」


 理事長が食い下がった。


「私は鑑定するだけで値付けには関与しません。運営は中立の委員会に委ねます。探索者代表と買い手代表と行政と学識者。手数料率さえ委員会が決める。私の会社は設立を担うだけです。──ご心配なら実演をいつでも。この場の任意の品の状態を数値でお読みします」


 木崎は静かに一枚の意見書を提出した。東朋マテリアルとして実証区域を支持する旨の文書である。意見書には具体的な数字が並んでいた。プラント増設に伴い購買する素材の種別は今後三年で倍増する見込みであること。調達先がギルドの窓口一本である現状は供給の危機管理上むしろ懸念であること。大企業の理屈は冷静で、冷静であるがゆえに反論が難しかった。


 産業界の重石が音を立てて賛成側に載った。


 議長の行政局長が場を見渡した。


「では諮ります。本件を広島都市圏規制改革会議へ上程することに賛成の委員は挙手を」


 手が上がっていく。六本。反対は理事長と理事長に近い二人だけだった。


「待たれよ。本件は特区の根幹に関わる。もっと慎重に──」


「理事長。審議は尽くしました。採決の結果がすべてです」


 行政局長は事務的に告げた。この議場で四年間誰よりも重かった男の言葉が初めて手続きに弾かれた瞬間だった。


「賛成多数。上程を可決します」


 陽太は静かに息を吐いた。歓喜はなかった。あるのは、三段の関門の一段目をようやく綺麗に越えたという実感だけだった。


(一点の曇りもなく、か)


 挑発に乗らず、因縁で殴らず、数字と実例だけで六本の手を上げさせた。鷹司の宿題の答案としては悪くないはずだった。だが顔を上げると、理事長が汗ひとつかかず席を立つところだった。負けた男の顔ではない。次の盤へ移るだけ、という顔だった。


 理事長は足早に移動すると、人気のない階段室で携帯端末を耳に当てた。


「……はい。上程は止められませんでした。……申し訳ありません。ですが都市圏の会議は十五人おります。あちらでなら必ず。……はい。連合から黒崎参与を? ……承知いたしました。お迎えの準備をいたします」


 通話を切った男の額には汗が浮いていた。四年間この特区に君臨してきた男が誰かに頭を下げている。その光景を見た者はいない。


 ◇ ◇ ◇


 同日、夜。第二工場の門の前に傘を差した小柄な男が立っていた。


「夜分に恐れ入ります。湊社長でいらっしゃいますか」


 男は深々と頭を下げた。差し出された名刺には日本探索者支援機構広島本部・査定部門と刷られている。


「栗山と申します。折り入ってお見せしたいものがございまして」


「……ギルドの方が私に? 罠にしては顔が出過ぎている」


「罠ではございません。ですが命懸けではあります」


 陽太は男を見た。嘘をつく者に特有の、視線の揺れや呼吸の乱れがない。傘を差す手はわずかに震えていたが、それは恐怖であって偽りではなかった。


「なぜ私に」


「今日の協議会の話は、もう本部まで届いております。理事長が売り先を問われて答えられなかった、と」


 栗山は雨に濡れた名刺入れをしまい、まっすぐ陽太を見た。


「私はギルドで査定の仕事をしております。災害の前から、素材の目利きだけで生きてきた男です。良い品に正しい値をつける。それだけが私の誇りでした。ですが今、私が毎日つけている値は……」


 声が一度詰まった。


「二束三文で買い叩いた品を、誰かが十倍で売っている。その差額がどこへ消えるのか、査定の現場にいる私には見えてしまう」


 栗山と名乗った男は傘の下で静かに言った。


「ギルドが買い取った素材をどこへ幾らで売っているか。その帳簿を私は毎日見ております。──社長。あなたの作る市場が本物なら、私はこの命を賭ける値打ちがあると思っております」

今後も頑張りますので、感想・評価・お気に入り等よろしくお願いいたします。

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