第6話 ルナの涙と迫る刺客の影
あれから、俺たちは一週間ほどリーフェン村に滞在していた。
日中は村の畑仕事を手伝ったり、山に入って新しいハーブやベリーを探したりする。ルナは相変わらず図鑑の修正に勤しんでいるが、スライムのスイーツは俺の足元でご機嫌にぷるぷるしていた。
プロの料理人としての勘が、この異世界の食材たちに刺激され、俺は日々新しいレシピを生み出していた。村の食卓は豊かになり、俺たちはもはや不審者どころか、村の「ごちそう係」の一員として完全に溶け込んでいた。
「リョウさん! これ、村で採れたてのキノコです! 今日のお昼はこれでスープはどうですか?」
マイが摘みたてのキノコを持って、俺の作業場(村の広場の一角)にやってきた。
「ああ、いいな。これは……香りがいい。バターと合わせて焼いても美味そうだ」
「わぁ! リョウさんの料理、何でも美味しくなっちゃいますね!」
そんな他愛もない会話を交わしていると、村の入り口の方から、馬車の音が聞こえてきた。
この村では滅多に見ない、しっかりとした革張りの馬車だ。
「珍しいな。誰か街から来たのか?」
馬車から降りてきたのは、背筋を伸ばした中年の男性。高価そうな服に身を包み、鋭い目つきで村を見回している。どう見ても旅人ではなく、行商人か、あるいは街の有力者だ。
「あのー、この村に、炎を飲み込むスライムを連れた奇妙な料理人がいると聞きましたが」
男性は村長にそう問いかけた。村長は困った顔で俺の方を見る。
「やっぱり、噂になってるのか」
俺はため息をついた。ハニービーをパンケーキでテイムし、スライムが火事から村を守った一件は、瞬く間に村の外にも広がり始めていたらしい。
「私がその者ですが。何か?」
俺が名乗り出ると、男性は目を細めた。
「私の名はザック。交易都市ベルデのギルドで情報収集を担っている者です。あなたには是非、私の都市に来ていただきたい」
勧誘か。予想通りだ。
「悪いが、今はここでやることがある。旅に出るつもりはない」
「お待ちください! もしや、お連れの女神様が、あなたを縛っているのでは?」
ザックは、俺の背後に立つルナに目を向けた。ルナは顔を青くしている。
「彼女は俺の仲間だ。縛ってなどいない」
「ふむ……。しかし、あなたの持つ【エサ】のスキル。それは、この世界にとって脅威にもなりえます。強大な魔物をテイムし続ければ、いずれ人間社会を崩壊させる可能性すらある」
「だから、料理で平和的にやっているだろう」
「その平和的な方法が、最も恐ろしいのです」
ザックは懐から羊皮紙を取り出した。
「交易都市ベルデには、この世界で最も古い図書館があります。そこには、神界の記録が残されているとも言われています。あなたのスキルの謎、そして、その女神が何者なのか。知るべき情報があるはずです」
俺はルナをちらりと見た。彼女は俯いたまま、何も言わない。
ザックはそれ以上強引には誘わず、最後に「あなたが街に来る日を楽しみにしています」と言い残し、立ち去った。
日が沈み、村に静寂が戻ってきた。
俺は川辺で、一人考え込んでいた。リョウさん、と、控えめな声がする。ルナだった。
「リョウさん、あの……ごめんなさい」
「何がだ?」
「全部、私のせいです。私が、うっかり【エサ】のボタンを押したから、リョウさんがこんな目にあって……」
ルナは震える手で、俺の袖を掴んだ。
「あのスキルは……神界でも、禁忌とされてきたものなんです」
「禁忌?」
「はい。その昔、そのスキルで、時の神をテイムしようとした人間がいたそうです。結果は失敗。そのスキルは神界の奥底に封印され、二度と使われないはずでした」
ルナは顔を上げ、目に涙を溜めていた。
「それが、私の初仕事のミスで、よりにもよって神格存在である私をテイムしてしまった……」
「それで、誰か来るのか?」
俺の問いに、ルナはこくりと頷く。
「はい。神界から、私の契約を解除する専門の監査官が派遣されています。私の先輩で、とても優秀な方です。もう、かなり近くまで来ているはず……」
ルナの涙が、ぽつり、ぽつりと地面に落ちる。
「リョウさん、私、あなたが火事で死んだこと、すごく悲しかったんです。でも、異世界に来て、あなたが毎日楽しそうに料理をしているのを見て、私、嬉しかったんです。だから……」
ルナは、俺を真っ直ぐに見つめた。
「明日、私が契約を解除されそうになったら、私を置いて、すぐに逃げてください」
「ふざけるな」
俺はルナの頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。
「お前は、俺の最初の仲間だ。プロの料理人が、自分の出したエサで懐いた仲間を見捨てるわけがないだろう」
そう言い切った俺のポケットで、スライムのスイーツがぷるん! と、力強く揺れた。
「それに、俺のスキルは【エサ】だ。戦うためのものじゃない」
俺は、ルナに背を向け、村の灯りがついた広場へと歩き出した。
「どうせなら、迎え撃ってやるさ。最高の料理で、な」
そのとき、村の奥の森から、冷たい風が吹き込んできた。それは、リーフェン村の温かい空気とは全く違う、鋭く、研ぎ澄まされた気配だった。
「来たな」
ルナは息を呑んだ。
いよいよ、神界の刺客がこの村に到着したのだ。




