8話 こよみの部屋でふたりきりの勉強会
今日はこよみの家で勉強会をする。両親が珍しく帰って来る日なので、のんびりしてくれれば良いとのこと。
ということで、僕はこよみの家に向かう。といっても、本当にすぐ隣なんだけど。ドアを出て10歩やそこらで着いてしまう。
チャイムを鳴らすと、ドタドタという音がして扉が開く。その先には、こよみと父親が居た。こよみはすました顔で、父親はニコニコしながらこちらを出迎えてくれる。
「ゆっくりしていってくれ、はると君。こよみも、とても楽しみにしていたんだ」
「うるさい、お父さん! もう、あっち行ってて!」
「わざわざ普段より長く掃除をしていたくらいなんだ。本当は、嬉しいんだろう?」
「ほんと、邪魔! 自分の部屋に居ればいいでしょ!」
こよみは顔を赤くしながら父親をにらんでいる。父親の方は、軽く受け止めている様子だ。
猛獣とはいえ、やはり人の子だと分かる光景だ。父親は、完全に手慣れている。親子として、長い関係が見て取れる。
こんな風にからかえば、こよみに勝てるのかもしれない。参考にする価値は、きっとある。
でも、本当になんとなく、僕とこよみの理想とする関係ではないんだろうなと思った。
今はまだ、どうしてなのかは分からない。ただ、分かった時に僕は一歩前に進めるのかもしれない。
僕の考えていることを知らないで、父親はちょっとだけ申し訳無さそうに頭を下げている。ほんの一瞬だけ、僕と目が合った。
「ああ、すまない。せっかくの、はると君とのふたりきりだものな」
「余計なことを言わないでって、言ってるでしょ!」
「じゃあ、はると君。こよみを、よろしく頼むよ。今日は出かけてくるから、気を使わなくてもいいんだぞ」
そう言いながら、父親は僕の肩を叩く。それって、そういう意味なんだろうか。
というか、年頃の娘と男をふたりきりにしてどうするんだよ。僕が変な気を起こしたら、こよみが傷つくんだぞ。
いや、僕は絶対にそんなことしないけど。こよみに誓っても良い。
とはいえ、ちょっと変なことを想像してしまったのは事実だ。ちょっと顔が赤かったりしないだろうか。
「は、はい……」
「もう、変なことを言わないで! はると君が意識しちゃったら、どうするの!」
「すまんすまん。はると君は、純情なんだったな」
僕が照れることよりも、こよみが傷ついていないかの方が大事だ。顔を見る限りでは、ちょっとうざったいと思っている程度ではありそうだけど。
でも、言わなきゃいけないことは言う。こよみの父親だろうと、遠慮なんてしない。
「それよりも、こよみさんの気持ちが大事だと思います」
「はると君……」
「俺は、はると君ならこよみを傷つけないって信じている。だから、任せるんだ。じゃあ、今度こそ行ってくるよ」
父親は、もう一度僕の肩を叩く。そして、振り返らずに出かけていった。
ふたりきりになって、こよみはすぐに歩き出す。それに着いていって、こよみの部屋に入る。
ファンシーな様子で、可愛いものがいくつか置かれている。ぬいぐるみとか、小物とか。
棚の上には写真立てが置かれていて、小学生くらいの頃の僕とこよみが写っている。頬がひっつくくらいに密着していた。
あの頃は、恥ずかしくなかったんだよな。今は同じ写真なんて取れないだろう。石像のように固まってしまうのは明らかだ。
というか、今でもちょっとギクシャクしているかもしれない。甘い匂いもして、ドキドキしてしまう。
こよみと一緒にテーブルに座ると、真面目な目でこっちを見られた。
「はると君、お父さんの言ったことは、気にしなくて良いからね」
「う、うん……」
何も言葉が出てこない。つい、ベッドの方を見てしまう。本当に、思春期丸出しじゃないか。こよみは平然としているのに、僕だけ気にしていてどうするんだ。
こういうところでも、差を感じてしまう。こよみの強さは、常に余裕を持っていること。明鏡止水にだってたどり着けたりしないだろうか。
いや、さすがにそれはないか。こよみだって、たまには動揺している。僕の方が、落ち着きがないだけで。
その気持ちは、完全に見透かされているみたいだ。獲物を見つけたような顔で、こよみは唇を釣り上げていた。
「それとも、本当に意識しちゃった? 純情なんだねー?」
「こ、こよみさん……」
「でも、まだまだダメだよ。まずは、テストで私に勝たないとね?」
「そ、そうだね……」
くそっ、ろくに言葉が出てこない。こよみの話は、理解できている。キスだってまだなのに、その先なんて早いどころじゃない。
だから、まずはキスを目指さないと。いや、僕は何を考えているんだ。無心。無心になるんだ。深呼吸だぞ、僕。
そんな情けない僕の理想を体現するかのように、こよみは落ち着いた様子でノートを並べていく。
「じゃあ、勉強しよっか。分からないところは、ある?」
「英語なんだけど、文型についてが……」
「そっか。じゃあ、ノートのここを見て?」
こよみの指差したノートを見ると、とても丁寧に書かれていることが分かった。文字の大きさや色で大事なものを強調して、レイアウトもしっかり意識されている。
1ページ1ページがしっかりまとまっていて、ひとつの内容は、見開きを見れば大体分かる。
こういうところでも、こよみの努力が分かる。とても分かりやすいノートを作っている。それだけでも、僕には想像できないくらい大変なはずだ。
なんだかんだで、白鳥みたいなものなんだ。優雅に泳いでいるように見えて、水の中でバタ足しているみたいな。
だったら、僕もなりふり構っていられない。こよみの手を借りてでも、どれだけカッコ悪くても、点数という結果をつかんでみせる。
一文字一文字しっかり読んでいき、ある程度は理解できた。
「な、なるほど……」
「分かったのなら、私に説明してみせてね。できたら、また手をつないであげるよ?」
「Sと同じものを表しているかどうかで、第二文型と第三文型が変わるんだよね? それで、Oと同じかどうかで、第四文型と第五文型が変わるというか」
こよみは、僕の説明を受けて少し考え込む。これは、どっちだ。ちゃんと理解できているのか、違うのか。
答えが返ってくるまでの間。僕は鼓動が早くなっているのを感じた。
しばらくして、こよみは頷く。そして、笑顔で手を差し出してきた。
「そういうことだね。じゃあ、手を出して? 今回の、ご褒美だよ」
「う、うん……」
こよみは、すぐに恋人握りをしてくる。以前より、暖かさと柔らかさを強く感じるような。体の芯まで、届いてきそうだ。
その感触にドキドキしながら、僕はゆっくりと息を吸って吐いた。
「ふふっ、手は震えなかったね? 慣れてきたかな?」
「せっかくの時間を、無駄にしたくなくて……」
「そ、そうなんだ……。じゃあ、しっかりと楽しんでね? ほら、ちょっと強く握ってみたよ」
「う、うん……」
こよみは、まずはちょっとだけ力を入れてくる。その後、それぞれの指だけに力を入れてみたり、強弱をつけてみたり。
手の感触がいろんな形で伝わってきて、僕はこよみにされるがままだった。
完全に、こよみにもてあそばれている。分かっていて、何も抵抗できない。
そんな時間が、とても長く感じた。
「あはは、カッチコチになっちゃったね。じゃあ、ここまでかな」
こよみは、ゆっくりと手を離していく。遠ざかる手を、僕は見てしまう。何度か、手を開けて閉じてしてしまった。
名残惜しいと思っているのは、こよみにはバレバレだろう。
「う、うん……」
「同じことしか言えなくなっちゃったねー。この調子で、次はどうなっちゃうのかなー?」
こよみは挑発するような笑顔を向けてくる。だが、今回ばかりは何も返せない。
なにせ、自分でも同じことしか言えていないのは分かるのだから。いくらなんでも、緊張しすぎだ。いくら、父親の言葉でちょっと意識したからって。まったく。もっと踏ん張れ、僕。
きっと、テスト期間が続く限り、似たような勝負が待ち続けているのだろう。
果たして僕は、ちゃんと勉強に集中できるのだろうか。そんな不安も、少しだけある。
だけど、絶対に結果を出してみせる。こよみの想いを、無駄になんてしない。それだけで、良いんだ。




