5話 カレーの隠し味当て合戦
そろそろあたりも暗くなってくる頃だ。こよみはこれから夕食を作ってくれる。
こよみのエプロンが当たり前に置いてあることを考えると、侵略されているような気もする。まあ、それは良い。
大事なことは、ポニーテールエプロンを見せてくれるということ。変な反応をしないように、気合を入れないと。僕は自分の頬を叩いた。
「はるとくーん、もうこっちに来ていいよー」
こよみの呼ぶ声が聞こえたので、僕はリビングへと向かう。
その先で、こよみは食材を準備している様子だった。冷蔵庫の中を見ながら、いろいろと取り出している。
こよみはエプロン姿で、ポニーテールにしている。今は野菜室から野菜を取り出していることもあって、かがんでいる。
ポニーテールが時々揺れて、その奥からうなじが覗く。僕は、ちょっと息を呑み込んでしまった。
食材を取り終えたこよみは、台所の上に置いていく。そして、いたずらっぽい顔をしながら僕の方を振り向いてきた。
「どうかな? はると君の大好きな、ポニーテールエプロンだよ」
「す、すっごく素敵だよ……」
何かを考えるまでに、言葉が出てきてしまった。魂が負けを認めてしまっている。
だって、仕方ないだろ。ただでさえ、こよみは圧倒的なビジュアルを持っているのに。
カツカレーにハンバーグを足したものなんて比較にならないくらい、最強なんだ。
だけど、悔しい。いくらこよみが無敵状態だからって、手も足も出ないなんて。
これじゃあ、戦う前に白旗を掲げたようなものじゃないか。
こよみはとっても楽しそうで、余計に悔しさがつのる。
「今回は、素直になっちゃうんだね? 仕方ないかー。だって、大好きな私が、大好きな格好をしているんだもんね?」
その言葉に、何も返せなかった。何を言ったところで、傷口を広げるだけ。わざわざ自分で傷口に塩を塗る趣味はないんだ。
ただ、こよみから笑い声が聞こえてきた。ちくしょう。反撃の余地がない。タップする前にレフェリーが止めに入るレベルだぞ。
なら、少しでも耐え続ける時間を短くするだけだ。僕は話をそらしに向かう。
「今日は手伝おうか? いつも、大変でしょ?」
「気にしなくていいよ。どうせなら、私が全部作りたいんだ。だから、ね?」
そう言って、微笑みかけてくる。僕は、ただ頷いた。
本当にずるい。僕のために、毎食しっかりと作ってくれるんだから。そういう時の笑顔には勝てない。勝とうとすら思わない。
もう一度はにかんだこよみは、手を伸ばして僕を席につくようにうながす。
こよみは鼻歌を歌いながら、食材をトントンと切っていた。とても手際が良くて、慣れを感じさせる。人参やじゃがいも、肉なんかを切っている。
切り終えたこよみは、食材に火を通して水を入れていく。僕の言った通りに、カレーを作ってくれているみたいだ。
火が通った頃に、ルウを砕いて入れているのが見えた。うん、当たっているみたいだ。
そして、何かしらをスプーンから入れているのも分かった。具体的に何かまでは、分からなかったけれど。まな板の上だと、ここからでも見えるんだけどね。
食材を入れ終えたこよみは、時々かき混ぜつつ、ゆっくりと鍋を見ている。良い匂いがただよってきて、ちょっとお腹がなった。こよみはこちらを見て、クスクスと笑っていた。
しばらくして、出来上がったカレーがお皿に盛られて運ばれてくる。見ただけでも、美味しいやつだと分かった。
まあ、こよみのご飯がマズかったことなんてないんだけど。今回も、間違いなく美味しい。
つばを飲み込む僕を見ながら、こよみは楽しそうに僕に告げる。
「このカレーの隠し味を当てられたら、今日は一緒に寝てあげるよ」
「帰らなくて、大丈夫なの?」
「連絡はしてあるから、問題ないかな。明日はお休みだし、嬉しいよね?」
「そ、それは……」
「素直になったら、ヒントをあげても良いんだけどなー?」
ちょっと首を傾げながら、こっちを見ている。
くっ、ナメられている。僕になんて料理のことは分からないだろうと。事実ではあるのだが。
こよみに料理を任せ続けて、自分で台所に立つ機会なんてない。いや、言い訳かもしれないけれど。
だが、僕はこよみの料理をずっと食べ続けてきたんだ。少しくらい、分かるはず。
今度こそ、こよみをあっと言わせてやる。
「だ、大丈夫だよ。ちゃんと当ててみせるからね」
「ふふっ、そう来るんだ? 簡単に負けないでね? ふふっ、頑張って素敵なところ、見せてほしいな? そうしたら、私に勝てるかもねー」
両手の上にあごを乗せながら、こよみは僕のことを見ている。
ちょっとだけ手に汗を握りながら、僕はスプーンを口に運ぶ。とても美味しいカレーとしか言いようがない。
ほどよい辛さとコクを感じる。できるだけ舌の上でカレーを転がすと、ほんのちょっとだけ優しい味が奥にあるように思えた。
「ちょっとまろやかさを感じる気がするし、ホイップクリームとか?」
「もしかして、料理したことない? いくらなんでも、君に食べさせるものにそんなのは入れたりしないかなー」
目を細めながら、僕を見ている。憐れむかのような気配を感じる。
確かに、カレーにホイップクリームというのは変だったかもしれない。とはいえ、こよみが台所に入れてくれないんだけど。
でも、仕方ないのかな。ここは、甘んじて受け入れよう。
というか、いつも美味しいとは思っていたけど、やっぱり気をつけて作ってくれているんだな。今後も、しっかりと覚えておかないとね。
それはさておき、今は回答の時間だ。もう一口食べたが、さっきと変わらない。
なら、まろやかさがヒントになるはずだ。だったら、次はこれ。
「だったら、チョコレートとか? 聞いたことがあるよ」
「えらいえらい。定番の隠し味、ちゃんと知ってたんだね。でも、ハズレー!」
両手でバツ印を作っている。やっぱり、僕の料理スキルをおこちゃまレベルだと思っているみたいだ。
きっと、さっきのホイップクリームがよほどひどい答えだったのだろう。いま抵抗するのは、愚かなこと。
九九を暗唱できない時に、他の問題でいくらアピールしても挽回できない。仕方のないことなんだ。
ただ、4分の3ほど食べても分からない。
もはや何も思いつかない。まろやかさを感じて、カレーに入れられるもの。何がある。
分からない。なら、食材を言っても当たらないだろう。それこそ、サイコロを振って100回連続で1を出すレベルの話になる。
なら、これしかない!
「それなら……。あ、あいじょう……」
「きっこえなーい! もっとハッキリ言ってくれなきゃダメだよ。ねー、なんて言ったの?」
あからさまにニヤニヤしながら、こちらを見ている。くそっ、間違いなく聞こえているだろうに。
だが、僕の声が小さかったのは事実だ。なら、言うしかない。僕は息を吸って、ハッキリと声を出す。
「あ、愛情!」
「はっずかしいこと言っちゃって~! そんなの入れてほしかったんだー!」
「か、隠し味の定番だから……」
「ふふっ、照れちゃって。……ちゃんと、入ってるよ?」
まっすぐにこちらを見ながら、とても優しい声で言ってくる。なら。そう期待を込めて、こよみを見る。
だが、こよみは肉食獣のような笑みを浮かべるだけ。それだけで、僕は自分の命運を察した。
「でも、回答権は一回使っちゃいましたー!」
確かに、逃げだったと言わざるを得ない。こよみに勝ったとは、胸を張って言えないだろう。
僕はただ、こよみが正解を教えてくれるのを待つだけ。まるで、刑の執行を待つ気分だった。
「ちなみに、正解は塩麹! 子供舌のはると君には、ちょっと難問だったかもねー」
そう言われて、残りのカレーを食べていく。でも、よく分からない。
というか、そもそも塩麹ってどんな味なんだろうか。それを知らない時点で、僕の負けは決まっていた。
こんなことなら、もっと料理の勉強をしておくんだった。そうしたら、こよみの努力ももっと理解できたはずなのに。
ただ、こよみは最後まで食べる僕を、ずっとニコニコしながら見つめていた。
そしてお互いに食べ終えて、一息つく。隣に寄ってきたこよみは、薄く笑みを浮かべてくる。
「残念賞はー、5秒だけ手を繋いであげるよ?」
そう言って、手を差し出してくる。僕は、ゆっくりと手を繋いでいった。
すると、こよみは指を絡めてくる。これは、噂の恋人繋ぎというやつだろうか。柔らかくて暖かい。なんか、スベスベしている。
僕の胸は、爆発するのかもしれない。それくらい、おかしくなっていた。
「はい、ごー、よーん、さーん、にーい、いーち、ここまでだねー」
こよみは、ゆっくりと手を離していく。その5秒は、とても長かったような。あるいは一瞬だったような。
とにかく、こよみの手の感触がずっと伝わってきて、僕はドギマギし続けていたんだ。
「はると君の手が震えてたの、こっちにまで伝わってきたよ。そんなに緊張してたんだー かーわいいー!」
こよみは得物を見つけたような笑顔で、僕をからかってくる。
くそっ、かわいいだなんて。だが、否定もできない。手を繋ぐだけのことで、限界まで緊張していたのだから。
そんな僕に、こよみはさらに追撃を重ねてくる。
「まさかー、手を繋ぐだけで震えちゃうなんてね。一緒に寝るなんてことになったら、心臓が止まってたんじゃない? 良かったねー、正解できなくてー」
僕は、なにひとつとして反論できなかった。
こよみが隣で寝ていたら、さっき以上の緊張をしていたのは間違いない。
ほっと息をなでおろす僕を見ながら、こよみはまた笑みを深める。
「はると君にも、しっかり私のカレーを味わってもらったし?」
こよみのやつ、勝負以外にも狙いを持っていたのか……。僕をからかえて、カレーの味にも集中させられる。
つまり、一石二鳥ということ。猛獣でありながら、高度な策まで練ってくる。これもまた、こよみマジック。なんてやつなんだ、こよみ……。
敗北感に打ちひしがれそうな僕に、こよみはもっと笑顔を見せてくる。
「せっかくだし、明日は外でカレーを食べてみよっか。私のカレーとどう違うのか、よく食べ比べてね?」
きっと、こよみのカレーがすごいことを感じるのだろうな。それだけは、心の底から確信していた。




