15話 猛獣の母
今日は、こよみの家に向かう。母さんやこよみのお母さんも一緒に、温泉宿に向かう。ということで、あいさつをするためだ。
大事なことだから、文句はない。こよみの手のひらなのは、困ってしまうけれど。
「もう話は通っているから、細かい話はしなくていいわ。これ、持っていきなさい」
母さんに、菓子折りを渡される。それを受け取って、少し疑問が湧いた。母さんは、一緒に来ないのだろうか。話としては当事者なのだし、母さんからのあいさつも大事だったりしないのかな。
「あれ、ついてこないの?」
「後で個人的に向かうわ。たぶん、そっちの方が良いもの」
薄く笑いながら言われた。意図はよく分からないけど、母さんが言うのなら意味はあるのだろう。こよみのお母さんなら、最悪多少の失礼があっても許してくれるだろうし。
まあ、菓子折りも持って行くし、ちゃんと礼儀正しくするつもりではあるけれど。あまり緊張はしなくていいかな。
母さんに見送られながら、家から出る。そしてすぐに、こよみの家にたどり着く。チャイムを鳴らすと、すぐに扉が開いた。
そこから出てきたのは、こよみが大人になったみたいな外見の人。当然、こよみのお母さんだ。
「あら、はると君。いらっしゃい。今日はゆっくりしていきなさいな」
「おはようございます。あかねさん、今日はよろしくお願いします。これ、母さんからです」
菓子折りを渡すと、仕方ないなあとでも言うような笑顔を浮かべられる。でも、受け取ってもらえはした。
「そんなの、気にしなくても良かったのに。でも、受け取ったんだから一緒に食べるよ。ついておいで」
そう言って、あかねさんは歩いていく。僕は、後ろをついていった。
「今日は母さんが来ていないんです。問題ないですか?」
「あー、なるほどね。はると君と話をする時間を作ってくれたってことだね。大人同士の話には、入りにくいからね」
ママ友同士の井戸端会議みたいなやつだろうか。確かに、僕たちはのけ者になるかもしれない。あかねさんへのあいさつって考えると、確かに納得できる。
「こよみー、はると君が来たわよー! あんたもあいさつしなさい!」
あかねさんが呼ぶが早いか、こよみはすぐに出てきた。そして、ニンマリとした顔を向けてくる。
「いらっしゃーい。はると君、しっかり温泉の準備をしようね?」
まずは、こよみの一撃。混浴を狙っているなんて、あかねさんに思われたくない。というか、誰が相手でも嫌だ。
ひとまず、部屋分けで別々になってしまえば心配はなくなる。そうなってくれ。
「う、うん……。あかねさんも、来るんですよね。部屋割りは、お互いの家ですか?」
「いや、四人にしたよ。私たちの関係で、遠慮することもないでしょ。はると君のおしめを替えたこともあるんだから」
あっけなく、希望は打ち砕かれた。神は死んだ。そう言うしかない。いや、ずっと家族ぐるみで過ごしてきたし、分かる話ではあるんだけど。
ただ、もはやこよみの暴走を止めるものは無くなってしまった。荒れ狂う暴風雨に、ただ耐えるしか無いんだ。
「はると君ってば、ふゆこさんと一緒の部屋が良かったのー? かーわいいんだー」
くそっ、どうして混浴じゃない方向から攻めてくるんだよ。それは金的レベルのルール違反だろ。僕がどれだけ痛がっているか。
だけど、有効な反撃なんて特に無い。今はただ、されるがままになるだけ。救いの手は、無いのか……?
「いや、僕たちだって良い年なんだし、同じ部屋で寝るのはちょっと……」
「やっぱり、意識しちゃってるんだー? お年頃だね、はると君?」
こよみのやつ、えげつなさすぎる。肯定しても否定しても、僕がお年頃って結論になってしまう。
完全に、全方位どこにも逃げ場がない。どうなっているんだ。こんなの、どうしようもないじゃないか……。
そんな僕たちの様子を見て、あかねさんは軽く眉をひそめていた。
「もう、こよみ! そんなんじゃ、はると君に嫌われても知らないよ!」
「そ、それは……。はると君……」
目を揺らしながら、こよみはこちらを見ている。どう見ても、不安そうだ。あかねさんの言葉で、僕に嫌われることを想像したのだろう。そんなこと、あるはずないのに。
悲しい顔をしないでほしい。こよみが泣きそうになる姿は、見たくないんだ。
仕方ない。ここはフォローしておくか。あかねさんは、僕を守ってくれたんだろうけど。悪いけど、仇で返すよ。
あかねさんをまっすぐに見ながら、僕は宣言した。ある意味では、白旗を投げるような言葉を。
「大丈夫です。こよみさんは、僕が本気で嫌がることはしませんから。こよみさんは、今のままが一番いいんです」
それに、怪獣みたいなこよみがおとなしいなんて、寒気がする。やたら静かな肉食動物か何かみたいじゃないか。
でも、これを言ったら逃げられないんだろうな。
まあ、こよみが泣くよりはマシか。なら、諦めるしかない。
「あら、余計なお世話だったかい? なら、これからは気にしないよ。でも、ありがとう。ありのままのこよみを受け入れてくれて」
「いえ、気にしないでください。僕は、当然のことをしただけです」
「はると君……。やっぱり、私のことが大好きなんだねー?」
こよみは、うるんだ瞳でちょっとだけ僕の方を見てきた。すぐに、いつも通りのニヤニヤした顔に戻ったけれど。
まあ、こよみはこうじゃないとね。おとなしいこよみなんて、もはや別人なんだし。
それはそれとして、どうやって今から逆転すれば良いんだ。さっきまでだって、勝ち筋が見つかっていなかったのに。
まさか、逃げられないまま、ずっとからかわれ続けるのだろうか。いや、僕は負けたりしないぞ!
「こよみさんも、お母さんには弱いみたいだね。ね、こよみさん」
「あら、はると君。そういう解釈をしたのかい? せっかくのチャンスを、棒に振っちゃったじゃないか。乙女心の理解は、まだまだ甘いね」
あかねさんは、呆れたように額に手を当てていた。
こよみがあかねさんに注意されたという以外に、何があるというのだろう。
情け無用の反則技に対抗したんだけど、使い道を間違えちゃったかな。
まあ、このままルール無用になったら、負けるのは僕の方だったかもしれない。結果的には、救われたのかも。
「はると君ってば、やっぱりよわよわだねー。この調子なら、温泉宿でどうなっちゃうのかな?」
「まったく、こよみったら……。でも、はると君はそんなこよみが好きなんだろう? さっきの言葉、見事だったよ」
あかねさんは、落ち着いた表情で僕の方を見ている。いったい、どっちの味方なんだよ。こよみはニヤニヤを深めているし、最悪だ。このままでは、また2対1じゃないか。
いや、待て。温泉宿では、母さんも一緒なんだよな? もしかして、3対1になったりするのか?
想像しただけで、僕は震えてしまった。なんて恐ろしい未来が待っているのだろう。
それこそ、木の枝で道場破りをするみたいなことになりそうだ。
「い、いや、その……。こよみさんは、いつもの方が良いとは思いますけど……」
「だったら、何も問題ないよね? 安心して、私と一緒の部屋で過ごせるよね?」
「くくっ、追い詰められちまったねえ。いや、当日が楽しみだよ」
本当に楽しそうに、あかねさんは喉を鳴らしていた。くそっ、うっかり弱みを作ってしまったばっかりに。
あかねさんも、こよみの動きを楽しんでいる。僕が振り回されることを、面白がっているんだ。やっぱり、猛獣の親は猛獣なんだ。
ただでさえ、僕はボッコボコにされている。なのに、当日には母さんまで混ざってしまう。
いったい、僕はどうなってしまうんだ。そんな不安が、あふれて消えなかった。




