13話 勝負を左右する母
今日は、珍しく母さんが帰って来る日だ。こよみは、いつも通りに僕の家に来ている。
「ふふっ。はると君のお母さんに、私の好きなところ、言ってくれるかな?」
ニッコリと笑って、そんな事を言ってくる。昨日のあれは、冗談じゃなかったみたいだ。
となると、かなり困った。あんなこと、こよみ相手にしか言えないぞ。母さんの前で言うなんて、どんな罰ゲームだよ。噂で聞いた、エロ本を机の上に置かれるやつより恥ずかしいんじゃないだろうか。
実際に言ってしまったら、母さんの前で恥ずかしい姿を見せて負け。言わなかったら、こよみから逃げたことになって負け。完全に、八方塞がりだ。
こよみマジックは、留まるところを知らない。どんな状況でも、飛んでくる。
だが、せめてダメージを減らしたい。どうにか、ごまかせないだろうか。
僕はこよみと目を合わせながら、なんとか避けるための言葉を出す。
「せめて、こよみさんも同じことをしてよ。それなら、納得できるんだけど……」
「よわよわなところが好きって言われて、はると君は納得できるのかなー?」
ニヤニヤとしながら、僕を見ている。僕をよわよわなだけだと思ってくれるなよ、こよみ。
なんだかんだで、こよみは礼儀を気にするタイプ。ちゃんと、知っているんだぞ。
僕が頷いたとして、本当に言えるのか? 試してみても良いけれど、より万全な勝利を狙いたい。
母さんの前でも同じ態度が貫き通せるのなら、僕の負けだ。だが、勝負だ! これが、僕の必殺技!
「お母さんに、苦笑いされちゃうかもしれないよ?」
どうだ! 僕は自信を込めて、こよみの目をまっすぐに見る。すると、少しだけ目をそらされた。
こよみは軽く唇に触れて、下を見ながら考え込んでいる。今度こそ、大きな一撃を与えられただろう。
そんなこよみは、もう一度僕の方を向いてきた。
「もう、お母さんの威を借るなんて。いつから、はると君はそんな悪いことを覚えちゃったの?」
そんなことを言われるが、構うものか。何とでも言えば良い。母さんの前で好きなところを言わされるくらいなら、卑怯にでもなってやるさ。
今の僕は、ダークはると。そう。闇に手を染めてでも、勝ってみせるんだ。
「今だよ。こよみさんがお母さんを武器にするのなら、僕だって使うだけ。そうでしょ?」
「そっかー。じゃあ、今回は勘弁してあげるね。優しい私に、感謝してね?」
小首を傾げながら、そんなことを言われる。
くそっ、まるで勝った気がしない。どういうことだ。僕が全力を尽くしても、こよみにとっては単なるじゃれ合いでしかないのか。
母さんの前で恥ずかしいことを言うのは避けられたはずなのに、なぜか敗北感がある。僕は、接待プレイをされていただけなのか?
だが、ここで本気を出させたらダメだ。母さんに告白まがいのセリフを聞かせられるなんて、耐えられない。
今は勝負を預けておくよ。次を待っていることだね、こよみ。
ちょっとだけうつむきながら、気合いを入れ直す。そうしたら、エンジンの音が聞こえてきた。窓を覗くと、車が見える。帰ってきたみたいだ。
こよみを見ると、頷かれる。僕たちは、ふたりで玄関に向かった。
向かった先でドアが開いて、母さんが出てくる。スーツを着こなした、キャリアウーマンっぽい感じだ。僕には、あんまり似ていない気がする。
こよみは、すぐにペコリと頭を下げていた。それを見て、母さんは薄く微笑む。
「おかえり、母さん。元気そうで、良かったよ」
「そっちこそ。こよみちゃんとの関係も良さそうで、良かったわ」
「お久しぶりです、ふゆこさん。もちろん、はると君のお世話はちゃんとしていますよ」
リビングに向かって歩きながら、会話を続ける。母さんも父さんも忙しいから、こよみに頼っている面もあるのだろう。
実際、こよみはいろんな事をしてくれている。それについての感謝は、忘れたつもりはない。
一応、僕からもちゃんと言っておこう。
「こよみさんには、本当に助けられているよ。母さんも、安心して良いと思う」
「そうですね。はると君の面倒は、ずっと見続けるつもりです」
母さんは頷いて、カバンの中から財布を取り出す。そして、封筒を出してこよみに差し出す。
「こよみちゃん、いつもはるとをありがとう。これ、お小遣いね」
「ありがとうございます、ふゆこさん。でも、別にお金なんて必要ないですよ」
パタパタと両手を振りながら、遠慮している。顔を見る限り、お金をもらうようなことではないと思っているのだろう。
けれど、毎日ご飯を作ってくれて、いろいろ用意してくれて、勉強まで教えてくれるんだ。多少のお小遣いくらいなら、バチなんて当たらないだろうに。
「受け取っておきなさい。こよみちゃんが困った時に、使えばいいの」
「それなら……。あらためて、ありがとうございます」
こよみは、両手で受け取っていた。そして、深く頭を下げていく。
「これからも、はるとと仲良くしてあげてね。はるとってば、こよみちゃんのことが大好きだもの」
「はい、よく知っています」
ちらりとこちらを見て、頬を釣り上げてくる。ちくしょうめ。
結局、何も言わなくても似たような展開になるじゃないか。僕はベルトコンベアの上を走り続けて、逃げた気分になっていただけなんだ。
そして、こよみは計算していたのだろう。楽しげに、僕を見てくるのだから。
だが、さすがに母さんの前では反撃できない。分かっていてマウントを取ってくるんだ、こよみのやつは。
そんな僕たちを見て、母さんはクスクスと笑っていた。くそっ、顔が赤くなってたりしないだろうな。
「じゃあ、私は部屋に戻るわ。ちょっと、邪魔みたいだもの」
「そんな事はありませんけど……。でも、お疲れなら休んでください」
「うん。母さん、これからも忙しいんでしょ? こっちのことは、気にしなくて良いよ」
「ありがとう。はると、こよみちゃんに失礼なことをしないようにね」
「当たり前だよ。僕だって、こよみさんには感謝しているんだから」
そのまま、母さんは振り返らずに自分の部屋へと向かっていく。実際、それなりに疲れているのだろう。あんまり家にも帰ってこないくらいだし。
去っていく母さんを見送って、僕はこよみさんの方を見る。
「それで、こよみさん。お小遣いは、貯金するの?」
「半分は貯金するかな。なにー? 実は自分ももらいたかったの? 残念だったねー?」
「ううん。こよみさんには感謝しているし、僕よりもしっかりしたことに使えるだろうから」
「そ、そう。せっかくだし、今日の夕飯は期待していても良いよ? 軍資金もあることだからね。感謝してくれても良いんだよ?」
いくらなんでも、僕のためにお小遣いを使っていることは分かる。それでからかえば、反撃はできるはずだ。
でも、そんな勝ち方はちょっと違う。僕は正面から正々堂々と、言い訳の余地を許さない勝利がしたいんだ。
だけど、黙っていればこっちの得点になる審判のミスを、わざわざ指摘したみたいな気分だ。ちょっとだけ名残惜しさを感じつつ、僕はこよみに笑顔を向けた。
「もちろんだよ、こよみさん。楽しみにしているね」
「そんなに私の料理が嬉しいんだー? 胃袋までつかまれちゃって、はると君はどうなっちゃうのかなー?」
どこまでも唇を緩めて、ニヤニヤとこちらを見てくる。
やっぱり反撃しておけば良かったかな。そんな事を考えながら、今日は負けだと認めるしかないと実感していた。
「これからも、こよみさんに頼っちゃうかも。でも、手伝えることがあったら言ってよ」
「はると君は、素直にお世話されていれば良いんだよ。お母さんにも、その姿を見てもらおうね?」
こよみは、ニンマリと嬉しそうに僕の方を見ていた。
母さんの威を借ることですら、こよみには勝てなかった。それを、強く思い知らされたんだ。




