9
土曜日の朝。
目覚ましより早く目が覚めた。
時計を見ると、7時。
(流石に早すぎる……)
でも、二度寝なんてできる状態じゃない。
ベッドから起き上がり、窓を開ける。
いい天気だ。
(今日、何するんだろう……)
不安と期待が入り混じる。
8時には、もう準備を始めていた。
鏡を見て、一応髪を整える。
不思議と、いつもより丁寧に整えている自分がいる。
服は、結局いつも通りの黒いTシャツとジーンズにした。
「時間も時間だしそろそろ出るか…」
駅に向かう道を歩く。
土曜日の朝、街は人で賑わっている。
家族連れ、カップル、友達同士。
みんな楽しそうだ。
(緊張する……)
駅前に到着。
時計を見ると、9時50分。
少し早く着いてしまった。
人混みの中、和歌奈を探す。
見つからない。
(遅刻じゃないよな……俺……)
スマホで時間を確認する。
9時52分。
まだ大丈夫だ。落ち着け。
深呼吸をする。
そのとき――
「よっ、早いじゃん」
後ろから声をかけられた。
「うおっ!?」
振り返ると、そこにいたのは――
和歌奈だった。
でも、いつもと違う。
黒髪をポニーテールにまとめて、白いブラウスにワイドパンツ。
いつもの制服姿とは違う、春らしく落ち着いた感じで、少し大人っぽい雰囲気。
「…………」
言葉が出ない。
「どうしたの?固まって」
「い、いや……なんでもない」
「ふーん?じゃ、行こっか」
和歌奈が歩き出す。
俺は、慌ててその後を追った。
駅ビルに入り、エスカレーターを上る。
「とりあえずお茶しよっか」
「お、おう……」
カフェに入る。
席に案内され、向かい合わせに座る。
メニューを開くが、文字が頭に入ってこない。
(どうしよう……何頼めばいいんだ……)
視線が定まらず、ふと和歌奈の方を見る。
白いブラウス。
その胸元に、視線が――
「…ねぇ」
「な、なんだ?」
「さっきから胸ばっか見てない?」
「みっ、見てない!!」
顔が一気に真っ赤になる。
「嘘。絶対見てた。もう5回は視線が胸にいってたよ」
「数えてんのかよ!?」
「当たり前でしょ。そういうの、女は気づくもんだよ?」
「うぐ……」
「ていうか、デートのときにそんな露骨に見てたら一発アウトだから」
「わ、わかった……気をつける……」
「ほんとに?」
「ほんとに!」
「じゃあ私の顔見て」
「…………」
和歌奈の顔を見る。
でも、緊張して目が泳ぐ。
「目ェ泳いでる」
「うっ…」
「まあ、いいけど。で、何頼むの?」
「え、えっと……」
メニューを見る。
文字がやっと頭に入ってきた。
「アイスコーヒーで……」
「ふーん。じゃあ私はカフェラテ」
店員を呼んで注文する。
注文が終わると、また沈黙。
「緊張しすぎでしょ」
「だって……」
「だって?」
「お前と二人で……こういうの初めてだし……」
「練習でしょ?」
「それは……そうだけど……」
「じゃあリラックスして」
「無理言うな……」
和歌奈は、呆れたようにため息をついた。
「アンタ、本番でこれ以上緊張したらどうなんの?」
「わかんない……多分、固まる……」
「ボス相手にそれでいいわけ?使えないわね…」
「自分で自分のことボス呼びかよ…」
「この可愛さ…ラスボス級でしょ…?」
「自己評価高すぎないか!?」
ドリンクが来て、二人で飲む。
しばらく沈黙が続いた後、和歌奈が口を開いた。
「じゃ、カフェ出たら買い物行くよ」
「買い物?」
「そ。会話練習するには、何か共通の話題があった方がいいでしょ?」
「まあ……そうだけど……」
「だから、一緒に店見ながら会話する練習」
「なるほど……」
「ていうか、アンタ服のセンス壊滅的だから、ついでに見てあげる」
「余計なお世話だ!!」
「ほんとに?その黒Tシャツ、何年着てんの?」
「…………3年」
「引くわ」
「うるせぇ!!」
和歌奈は楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、少しだけ――
ほんの少しだけ、緊張が和らいだ気がした
カフェを出ると、和歌奈は迷いなく歩き出した。
「どこ行くんだ?」
「服屋」
「マジか……」
「マジだよ。アンタの服装、ほんとどうにかしないと」
「別にいいだろ、俺の服なんて……」
「よくない。女の子は意外とそういうとこ見てるから」
そう言いながら、和歌奈は俺の服装を上から下まで見る。
「黒Tに色落ちしたジーンズ……靴はスニーカー。うん、完璧に『何も考えてない男子』って感じ」
「ひどい評価だな!?」
「事実でしょ? 今朝、鏡見て『これでいいや』って思ったでしょ」
「……思った」
「ほら」
ぐうの音も出ない。完全に思考が読まれていた。
駅ビルの中を歩いていると、和歌奈が一軒の店の前で立ち止まった。
「ここ」
そこは、若者向けのカジュアルブランドの店だった。
「入るぞ」
「ちょ、待て……」
「待たない」
和歌奈に腕を引っ張られ、店内に入る。
店内は音楽が流れていて、マネキンが並んでいる。
俺、こういう店に一人で入ったことないんだけど。
「ほら、こっち」
和歌奈はさっさと店の奥へ進んでいく。
俺は、周りをキョロキョロ見回しながらその後を追った。
店員の視線が痛い。いや、別に見られてないかもしれないけど、そんな気がする。
「これとか似合いそう」
和歌奈が手に取ったのは、白いシャツだった。
「白?」
「そ。アンタ、黒ばっか着てるから、たまには明るい色着た方がいいよ」
「でも……」
「でも?」
「白って……汚れ目立つし……」
「それ、おじさんの発想だから」
「おじさん!?」
「高校生が『汚れが目立つ』とか言ってどうすんの」
「いや、でも……」
「ほら、試着してみて」
「え、マジで?」
「マジで」
和歌奈は、有無を言わさず俺にシャツを押し付けた。
「試着室、あっちだから」
「お、おう……」
俺は、渋々試着室へ向かった。
試着室で、シャツに袖を通す。
鏡を見ると――
(……意外と、悪くない?)
いつもの黒Tとは全然違う印象。
少しだけ、爽やかに見える気がする。
試着室から出ると、和歌奈が待っていた。
「どれどれ」
和歌奈が、俺を上から下まで見る。
「うん、いいじゃん」
「そう?」
「そう。黒ばっか着てるより全然マシ」
「マシって……」
「褒めてるんだよ? これ買いなよ」
「いや、でも……」
「でも?」
「金が……」
「あー、そういうこと」
和歌奈は少し考えてから言った。
「じゃあ今日は買わなくていいよ。でも、次からは少しは服装気にしなよ?」
「……わかった」
「よし。じゃ、着替えてきて」
試着室で元の服に着替えて戻ると、和歌奈が別の服を見ていた。
「あ、戻った? じゃ、次行こ」
「次?」
「雑貨屋」
「まだあんのかよ……」
「当たり前でしょ。会話練習なんだから、いろんな場面で練習しないと」
和歌奈は、またさっさと歩き出す。
俺は、疲れた足を引きずりながらその後を追った。
雑貨屋に入ると、和歌奈は楽しそうに店内を見て回り始めた。
「あ、これ可愛い」
手に取ったのは、小さなぬいぐるみのキーホルダーだった。
「……可愛いな」
「でしょ?」
和歌奈は満足そうに頷く。
でも、すぐに次の商品を見始める。
「これも可愛い」
「うん」
「これは?」
「可愛い」
「これは?」
「可愛い」
「……アンタ、全部可愛いって言ってない?」
「え?」
「ちゃんと見てる? それとも適当に相槌打ってる?」
「い、いや……ちゃんと見てるけど……」
「じゃあ、さっき私が『可愛い』って言った最初の商品、何だった?」
「え、えっと……」
思い出せない。
和歌奈は、呆れたようにため息をついた。
「はい、アウト。会話するときは、ちゃんと相手が何言ってるか聞かないとダメだから」
「うぐ……」
「適当に相槌打ってるのバレバレだから」
「ご、ごめん……」
「まあ、いいけど。次からはちゃんと聞いてよ?」
「わかった……」
反省する。
でも、和歌奈はもう次の商品を見ている。
本当に、このペースについていくのは大変だ。
雑貨屋を出ると、もう昼時だった。
「お腹空いたね」
「まあ……そうだな」
「じゃ、ご飯食べよっか」
「どこ行くんだ?」
「フードコート」
「フードコートか」
「そ。いろんな店があるから、選びやすいでしょ?」
「まあ……そうだけど……」
「それに、注文するときの練習にもなるし」
「……まだ練習するのかよ」
「当たり前でしょ。今日は練習の日なんだから」
和歌奈は、当然のように言った。
俺は、もう諦めてついていくことにした。
フードコートに到着。
いろんな店が並んでいて、いろんな匂いが混ざっている。これぞフードコートといった感じだ。
「何食べる?」
和歌奈が聞いてくる。
「……和歌奈は?」
「私はパスタかな」
「じゃあ俺はスガキヤで」
そう答えた瞬間、和歌奈が俺を見た。
「女性と二人で出かけてるのにスガキヤってどうなのよ…」
「スガキヤ美味いだろうが!愛知県民の血液の半分はスガキヤの豚骨ラーメンが流れてるんだぞ!」
「いや美味しいけどね」
「ちなみに血液のもう半分は八丁味噌だ」
「だいぶ体に悪そうね…」
和歌奈は、呆れたように呟いた。
「こんな話してたら、私もスガキヤ食べたくなってきたじゃない!」
それでこそ愛知県民だと、満足そうに頷いていると…
「じゃ、注文してきて」
「え、俺が!?」
「当たり前でしょ。練習なんだから」
「いや、でも……」
「ほら、行った行った」
背中を押される。
俺は、仕方なくスガキヤのカウンターへ向かった。
店員が笑顔で迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「あ、えっと……スガキヤラーメン二つ……ください……」
「はい。スガキヤラーメンですね。ただいま期間限定フレーバーのアイスクリームがありますが、いかがでしょうか?」
「え、アイスクリーム?」
「スイートポテト味とモンブラン味がございます」
「あ、じゃあ……1つずつください……」
「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」
なんとか注文を終えて、席に戻る。
和歌奈が、ニヤニヤしながら待っていた。
「お疲れ様」
「……疲れた」
「でしょうね。カミカミだったもん」
「見てたのかよ!?」
「当たり前でしょ。観察してたよ」
「恥ずかしい……」
「でも、ちゃんと注文できたからよし」
俺は、席に座ったまま天井を見上げる。
疲れた。
まだ昼なのに、もう帰りたい。
しばらくして、二人分の料理が揃った。
「いただきます」
「いただきます」
食べ始める。
さすがスガキヤ。安定した美味さだ。
和歌奈も、美味しそうに食べている。
「ねぇ、和歌奈」
「ん?」
「今日の感想は?」
「感想?」
「今回の練習」
「ああ」
和歌奈は少し考えてから言った。
「まあ、及第点じゃない?」
「及第点か」
「うん。最初よりは全然マシになったよ」
「そうなのか?」
「そう。会話も少しは続くようになったし、注文も一人でできたし」
「でも……カミカミだったし……」
「最初はそんなもん。慣れだよ、慣れ」
しばらく沈黙が続いた後、和歌奈が言った。
「でもさ」
「ん?」
「アンタ、まだ全然リラックスできてないよね」
「……そうかもしれない」
「私と一緒にいるの、そんなに緊張する?」
「そりゃ……お前、美人だし……」
「あー、そういうこと」
和歌奈は、少し考えるような顔をした。
「じゃあ、私のこと『ただのクラスメイト』だと思えばいいんじゃない?」
「無理だろ……」
「なんで?」
「だって……お前、どう見ても普通のクラスメイトじゃないだろ……」
「そう?」
「そうだよ……」
和歌奈は、少しだけ笑った。
「まあ、そう言われると悪い気はしないけど」
「……自覚あるのかよ」
「あるよ。鏡見れば分かるし」
「自信家だな……」
「事実だもん」
和歌奈は、堂々とそう言い切った。
その自信が、逆に清々しい。
食事を終えて、フードコートを出る。
「さて、次は――」
「まだあんのかよ!?」
「当たり前でしょ。まだ午後になったばっかだよ?」
「もう帰りたい……」
「却下」
和歌奈は、容赦なく却下した。
「じゃ、次は――」
そのとき、スマホが鳴った。
自分かと思い確認してみるが違う。
「あ、ちょっと待って」
和歌奈は、スマホを取り出して画面を見る。
「……あー、やば」
「どうした?」
「母親から連絡。過保護なんだよねウチ」
「は?」
「ごめん、今日はここまで」
「え、マジで?」
「マジで。ほんとにごめんね」
和歌奈は、スマホを操作しながら言った。
珍しく、本当に申し訳なさそうな顔をしている。
これじゃあ文句のひとつも言えない。
「じゃ、また月曜日ね」
「お、おう……」
「今日はお疲れ様。ちゃんと成長してたよ」
「……ありがとな」
「じゃあね」
和歌奈は、手を振って駅の方へ走っていった。
俺は、その場に取り残される。
一人になった俺は、駅前をぼんやり歩いた。
もう帰るしかない。
でも、なんだか物足りない気がする。
いや、物足りないって何だ?
さっきまで「帰りたい」って思ってたのに。
駅のホームで電車を待ちながら、今日のことを思い返す。
和歌奈の私服。
一緒に回った店。
カフェでの会話。
フードコートでの食事。
全部、新鮮だった。
緊張したし、疲れたけど――
嫌じゃなかった。
電車が来て、乗り込む。
座席に座って、窓の外を眺める。
流れていく景色を見ながら、ふと思った。
また、和歌奈と出かけたいな。
そう思ってしまった自分に、少し驚いた。
家に帰ると、母親が――いや、誰もいない。
いつも通りだ。
冷蔵庫にメモが貼ってある。
『お金はいつもの所に置いてあるから』
いつものパターン。
俺は、メモを剥がして丸めて捨てた。
部屋に戻って、ベッドに横になり、天井を見上げる。
今日のことを思い返す。
和歌奈との時間。
楽しかった。
いや、楽しかったって言っていいのか?練習なのに。
ふとスマホを見ると、ゲームの通知が溜まっている。
今日もゲームはやる気にならない。この前まで、毎日のようにやっていたのに…。
代わりに、今日のことをぼんやり考える。
月曜日が来るのが――少しだけ、楽しみになった。
ちなみにスガキヤは愛知県のソウルフードです。




