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「今日は実践編ね」
放課後、いつものように和歌奈が俺の席までやってくると、開口一番そう言った。
「……実践?」
「そ。座学ばっかりやってても意味ないでしょ?」
「いや、座学すらまともにやってないんだが……」
「細かいことは気にしない。ほら、行くよ」
有無を言わさず立ち上がらされ、俺はまた和歌奈に連れられて学校を出た。
もはや日課になりつつあるこの流れ。
クラスメイトの視線も、最初ほど気にならなくなってきた。
――いや、嘘だ。めちゃくちゃ気になる。
「で、どこ行くんだよ?」
「ん? どこだと思う?」
「知らねえよ……」
「じゃあ着いてからのお楽しみ。サプライズは嫌い?」
和歌奈はそう言って、スタスタと歩いていく。
黒髪が春の風に揺れて、後ろ姿だけでも絵になる。
俺はその後ろを、少し離れた位置から追いかける。並んで歩くのは、まだ少し恥ずかしい。
学校から徒歩十分ほど。
和歌奈が立ち止まったのは、駅前のファミレスだった。
「……ここ?」
「そう。入るよ」
「ちょ、待て。なんでファミレス……」
「実践演習に決まってるでしょ」
そう言って、和歌奈は自動ドアをくぐっていく。
俺は一瞬躊躇したが、ここで逃げたら一生後悔する気がして、慌てて後を追った。
店内は、夕方の中途半端な時間帯でそこまで混んでいなかった。
店員に案内されたのは、窓際の四人席。
「二人なのに四人席?」
「向かい合って座るためでしょ。ほら座って」
和歌奈は当然のように俺の対面に座る。
テーブルを挟んで、正面に美少女。
(……これ、どう見てもデートじゃん)
心臓がうるさい。
いや、うるさすぎる。
こんなシチュエーション、ゲームの中でしか見たことない。
「猿飛君、顔赤いよ?」
「う、うるせぇ……」
「緊張しすぎでしょ。ただのファミレスだよ?」
「お前と二人で向かい合ってる時点で普通じゃねえんだよ……」
和歌奈はメニューを開きながら、楽しそうに笑っている。
「さて。これから『デートの予行演習』をします」
「デ、デート!?」
「そ。アンタが将来、誰かとデートするときのための練習」
「い、いや、まだそんな段階じゃ……」
「関係ないよ。どうせ最初は失敗するんだから、今のうちに慣れておかないと」
そう言って、和歌奈は俺をじっと見つめる。
「まず、メニュー見ながら会話してみて」
「は?」
「デートって、ご飯食べながら話すでしょ? だから練習」
「いや、それは……」
「ほら、私が何頼むか聞いてみて」
「えっと……」
メニューを見る。
文字が頭に入ってこない。
というか、和歌奈の視線が痛い。
「……何、頼むの?」
「はい、0点」
「早ッ!?」
「棒読みすぎ。感情ゼロ。ロボットの方がまだマシ」
「ひでぇ……」
和歌奈は呆れたようにため息をつく。
「いい? 会話ってのは、相手に興味を持つことから始まるの。『何頼むの?』じゃなくて、『何か決まった?』とか『おすすめある?』とか、もっと自然に聞くの」
「そ、そんなこと言われても……」
「はい、もう一回」
「マジで!?」
「当たり前でしょ。できるまで何回でもやるよ」
俺は深呼吸をして、もう一度メニューを見た。
和歌奈の顔を見る。
黒い瞳が、じっとこっちを見ている。
「……何か、決まった?」
「うん、まあまあ。50点」
「厳しい!」
「だって声が震えてたし、目が泳いでたもん」
「そりゃ緊張するだろ……」
「デートで緊張してたら相手も緊張するよ? もっとリラックスして」
「無理言うな……」
和歌奈はクスクス笑いながら、メニューを指さした。
「じゃ、私はこのハンバーグセットにする。猿飛君は?」
「えっと……じゃあ、俺もそれで……」
「はい、ダメ」
「なんで!?」
「相手に合わせすぎ。自分の意思がない」
「いや、別に本当にハンバーグでいいんだけど……」
「じゃあ最初から『俺もハンバーグがいいな』って言えばいいでしょ? 『じゃあ俺も』って、完全に受け身じゃん」
「う……」
また痛いところを突いてくる。
「恋愛って、ある程度は自己主張も必要なの。相手に合わせるだけじゃ、ただの都合のいい人で終わるよ?」
「……わかった」
俺はもう一度メニューを見て、今度ははっきりと言った。
「俺、ハンバーグがいい」
「うん、合格」
和歌奈は満足そうに頷いて、店員を呼んだ。
注文を終えると、和歌奈はテーブルに肘をついて、俺を見つめてきた。
「じゃ、次は雑談の練習ね」
「雑談……」
「そ。デート中の会話って、大体が雑談でしょ?だから、何でもいいから話してみて」
「何でもいいって言われても……」
「ほら、趣味とか、好きなこととか」
「趣味……ゲームくらいしかないんだが……」
「じゃあゲームの話でいいよ。私も少しは知ってるし」
「マジで?」
「うん。まあ、そこまで詳しくはないけど」
意外だった。
和歌奈がゲームをやるなんて、想像もしていなかった。
「何やってんの?」
「んー、スマホのやつ。パズルとか、RPGとかあ、あとたまに友達と協力プレイするやつ」
「へぇ……」
「猿飛君は?」
「俺は……まあ、いろいろ。最近はMMORPGかFPSばっかりやってる」
「ああ、オンラインのやつね。フレンドとかいるの?」
「一応……何人か」
ゲームの中だけの関係だけど、それでもフレンドはいる。
リアルよりよっぽど気楽に話せる相手たち。
「ふーん。じゃあゲームの中では社交的なんだ?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「でも、少なくともリアルよりはマシでしょ?」
「……否定できない」
和歌奈は少し考えるような顔をしてから、言った。
「ねぇ、猿飛君。ゲームの中で話すのと、リアルで話すのって、何が違うと思う?」
「え……」
「どっちも『人と話す』ってことには変わりないのに、猿飛君はゲームの中だと普通に話せるんでしょ?」
「それは……顔が見えないからかな……」
「正解」
和歌奈はパチンと指を鳴らした。
「要するに、アンタは『相手の反応が怖い』から話せないんだよ。顔が見えなければ、相手がどう思ってるかわからないから気楽に話せる。でも、リアルだと表情が見えちゃうから怖くなる」
「……その通りだ」
「でもね」
和歌奈は少し優しい声で続けた。
「相手の顔が見えるからこそ、伝わることもあるんだよ。表情とか、声のトーンとか、距離感とか。それって、ゲームの中じゃ絶対に味わえないものでしょ?」
「まあ……そうだけど……」
「だから、怖がらないで。最初は失敗してもいいから、ちゃんと相手の顔を見て話す。それだけで、印象は全然変わるから」
その言葉に、少しだけ勇気が湧いた。
和歌奈は本気で、俺を変えようとしてくれている。
からかってはいるけど、決して見捨てたりはしない。
(……なんでだろうな)
そう思った瞬間、店の入口が開く音がした。
「あ、井上さんだ!」
その声に、俺の心臓が止まった。
振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの女子グループ。
三人組で、いつも一緒にいる子たちだ。
「え、猿飛君も一緒なの?」
「うそ、マジで?」
三人の視線が、一斉に俺に突き刺さる。
(やばい、やばいやばいやばい)
全身が固まる。
呼吸が浅くなる。
手が震える。
こういうとき、どうすればいいんだ?
挨拶? でも何て言えば?
というか、なんで俺がここにいることがこんなに驚かれるんだ?
「あ、どうも〜」
和歌奈が軽く手を振る。
「ちょっと用事があってね。猿飛君と」
「用事?」
「うん。まあ、ちょっとしたお願い事」
和歌奈は嘘をつくのが上手い。
いや、嘘というか、本当のことを言わずに誤魔化すのが上手い。
「へぇ〜……」
女子たちは、興味津々といった顔で俺たちを見ている。
特に一人が、ニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「井上さんと猿飛君って、意外な組み合わせだね」
「そう? 別に普通じゃない?」
「いや、普通じゃないでしょ。だって猿飛君、いつも一人で……」
「あー、うん。まあ、そうだね」
和歌奈はさらりと受け流す。
女子たちはしばらく俺たちを見ていたが、やがて別の席へと案内されていった。
店内に、また静寂が戻る。
俺は、ずっと下を向いていた。
「……猿飛君」
「…………」
「顔上げて」
「…………」
「ほら」
和歌奈の声が、少しだけ優しい。
俺はゆっくりと顔を上げた。
「明日から……噂になるな……」
「そうかもね」
「最悪だ……」
「なんで?」
「なんでって……だって……」
俺は言葉に詰まる。
和歌奈は少し呆れたような顔をして、でも笑っていた。
「アンタ、どうせ友達いないんだし、別に噂になったっていいでしょ?」
「傷口に塩塗るな!」
「でもさ」
和歌奈はテーブルに身を乗り出す。
「むしろチャンスだよ?」
「……チャンス?」
「だって、『井上和歌奈と一緒にいた』って話題になれば、少なくとも存在は認識されるでしょ?」
「それ、良い注目じゃないだろ……」
「注目されないよりマシだよ。恋愛って、まず『存在を知ってもらう』ことから始まるんだから」
「そんなもんか……?」
「そんなもん」
和歌奈は自信満々に言い切る。
そのとき、店員が料理を運んできた。
「お待たせしましたー」
ハンバーグセットが二つ、テーブルに並ぶ。
湯気が立ち上り、ソースのいい匂いがする。
「じゃ、食べよっか」
「……ああ」
少し気持ちが落ち着いてきた。
フォークを手に取り、ハンバーグを切る。
和歌奈も同じように、料理を口に運ぶ。
しばらく無言で食べていると、和歌奈がふと言った。
「ねぇ、猿飛君」
「ん?」
「なんで私なんかに付き合ってるの?」
「……は?」
意味がわからなかった。
それ、俺が聞きたいセリフなんだが。
「だって、アンタにとって私って、『からかってくる面倒な人間』でしかないでしょ?」
「まあ……否定はしないけど……」
「なのに、毎日ちゃんと付き合ってくれるじゃん。普通、嫌になって逃げると思うんだけど」
「それは……」
俺は少し考えてから、口を開いた。
「……お前が、本気で俺を変えようとしてくれてるから」
「え?」
「からかってはいるけど、嘘はつかないし。ちゃんと向き合ってくれてる気がするから」
和歌奈は少し驚いたような顔をして、それからふっと笑った。
「……そっか」
「なんだよ」
「ううん。アンタ、意外と素直なんだなって」
「素直……か?」
「うん。少なくとも、嘘はつかないタイプだよね」
そう言って、和歌奈は少しだけ優しい表情を見せた。
いつもの毒舌とは違う、柔らかい雰囲気。
「じゃあ逆に聞くけど」
俺も、ずっと気になっていたことを口にした。
「なんで俺なんかに付き合ってんの? 暇つぶしにしても、効率悪いだろ」
「んー……」
和歌奈は少し考えるような顔をしてから、ニヤッと笑った。
「理由は、教えない」
「なんでだよ!」
「だって、言ったらつまんないじゃん」
「意味わかんねぇ……」
「でもね」
和歌奈は真面目な顔になって、続けた。
「アンタみたいに素直なやつ、意外と珍しいんだよ」
「……素直?」
「うん。変にかっこつけないし、嘘もつかない。バカ正直っていうか、裏表がないっていうか」
「……それ、褒めてんの?」
「半分は」
和歌奈はフォークを置いて、俺を見つめる。
「もう半分は、そういうとこが面白いって思ってる」
「面白いって……」
「だって、アンタ見てると飽きないもん。リアクション全部わかりやすいし、からかい甲斐があるし」
「やっぱオモチャじゃねぇか!」
「オモチャだよ? でも、大事にしてるオモチャ」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなった。
からかわれてるのに、なぜか嬉しい。
美少女ってのはこれだからずるいのだ。
言ってることは最悪だが、何を言っても様になる。
料理を食べ終え、会計を済ませる。
「ごちそうさま」
「あ、俺が払うよ」
「いいよ、今日は私が出す」
「え、でも……」
「面白いもの見れたお礼。気にしないで」
和歌奈はそう言って、さっさとレジへ向かった。
店を出ると、もう外は暗くなり始めていた。
街灯が灯り、夕暮れの空がオレンジ色に染まっている。
「さて」
和歌奈が振り返る。
「今日の実践演習は、これで終わり――と言いたいところだけど」
「……まだ何かあんのかよ」
「当たり前でしょ。ここからが本番だよ」
嫌な予感がする。
和歌奈は、いつもの意地悪な笑みを浮かべて言った。
「明日、クラスの女子に自分から話しかけてみて」
「…………は?」
「だから、明日。自分から、誰でもいいからクラスの女子に話しかける」
「む、無理無理無理! 絶対無理!」
「挨拶でもいいし、何でもいい。とにかく『自分から声をかける』こと」
「い、いや、それは……ハードル高すぎるだろ……!」
「高くないよ。普通のこと」
「普通じゃねえよ俺には!」
「アンタ、私との練習だけで満足するつもり?」
「そ、それは……」
「他の女子とも話せなきゃ、意味ないでしょ?」
正論だ。
でも、それができたら苦労しない。
「で、でも……」
「じゃあ、できなかったらこの練習打ち切りね」
「えっ……」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「打ち切りって……」
「そのまんまの意味。アンタが本気で変わる気がないなら、私も付き合う意味ないし」
「ま、待てよ……それは……」
「待たない」
和歌奈はきっぱりと言い切る。
「私、本気で頑張る気がない人間に、時間使いたくないの」
「…………」
俺は、言葉が出なかった。
和歌奈は、本気だ。
冗談じゃない。
(この練習が……終わる?)
それは、つまり。
毎日、和歌奈と話すことも。
一緒に帰ることも。
からかわれることも。
全部、なくなるってことだ。
(……嫌だ)
その感情が、はっきりと胸の中にあった。
いつの間にか、俺はこの時間を失いたくないと思っていた。
「……わかった」
「ん?」
「やる。明日、誰かに話しかける」
「本当に?」
「……ああ」
和歌奈は少し驚いたような顔をして、それからニコッと笑った。
「へぇ。意外とやる気あるじゃん」
「お前が脅すからだろ……」
「脅してないよ。事実を言っただけ」
「同じだよ……」
和歌奈はクスクス笑いながら、俺の肩を軽く叩いた。
「まあ、頑張って。応援してるから」
「応援って……見てんのかよ……」
「当たり前でしょ。ちゃんとやったか確認しないと」
「うわ、プレッシャー……」
「大丈夫だって。アンタならできるよ」
その言葉だけは、不思議と優しかった。
「じゃ、また明日ね」
和歌奈は手を振って、先に帰っていく。
黒髪が夕暮れの光に溶けて、少しずつ遠ざかっていく。
俺は、その背中をずっと見つめていた。
(明日……か)
クラスの女子に、自分から話しかける。想像しただけで、胃が痛くなる。でも、やらなきゃいけない。
和歌奈との時間を失いたくないから。
――いや、違う。
本当は、もっと別の理由がある気がする。
でも、それが何なのか。
今の俺には、まだわからなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。俺の日々は、もう”惰性”じゃない。




