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放課後のチャイムが鳴った瞬間、俺は席に固まっていた。
(マジで行くのか……?)
いや、別に“行きたいかどうか”で言えば行きたい。
美少女と一緒に帰るとか、漫画の主人公みたいな展開だし。
でも俺は猿飛仁。モブの中のモブ。
画面タップ以外にコミュニケーション経験ゼロの、対人戦には圧倒的に不利な陰属性。
そんな俺が、和歌奈みたいな高スペック女子と一緒にいたら――
(絶対、周りに変に思われるし……)
「あ、猿飛君。ぼーっとしてないで行くよ?」
すぐ横から、当然のように声がかかる。
「うおっ……!」
振り返ると、和歌奈が机に手をついて覗き込んでいた。
距離感どうなってんだこの人は。
「そんなビビらなくても取って食べないから」
「いや、距離……」
「これくらい普通でしょ。女の子と話したことないの?」
「……ほぼない。業務連絡がいいとこだな」
「おお、即答。まあ知ってたけど」
「知ってたんかよ」
「そりゃあね。アンタって、昼休みに一人でパン食べてスマホの画面睨んでるイメージ強すぎるし」
「そんな観察されてたのか俺……」
「教室にいると勝手に目に入ってくるだけ。存在感は薄いのに、行動は目立つんだよね、いろんな意味で」
「悪口やん」
「褒めてるよ? “珍しい生き物”って意味で」
「結局悪口だろそれ!」
軽口を叩き合いながらも、気づけば俺は立ち上がっていた。
体が勝手に動いていたというか、逃げるのを諦めていたというか。
教室を出ると、放課後特有のざわざわした空気が広がっていた。
部活へ向かうやつら、昇降口へ走る声、廊下を雑談しながら歩く友達同士。
そんな中、俺と和歌奈が並んでいる。
(やば……絶対見られてる……)
「アンタ、そんなに下むいて歩いてどうすんの。カバンの中に爆弾でも入ってんの?」
「俺はテロリストかよ!」
「違うわよ、あんたの目線が怪しいってこと」
周りの視線を感じて、思わずうつむく。
「いや、なんか……視線が気になるっていうか……」
「大丈夫だよ。クラスの女子は“気まぐれで陰キャに絡む和歌奈”くらいにしか思わないし、男子は“なんであいつ和歌奈と喋ってんの!?”って嫉妬してるだけだから」
「後者めっちゃ怖いんだけど!」
「大丈夫、アンタに害はないよ。多分」
「“多分”って言うな!」
和歌奈は俺の慌てっぷりを見てニヤニヤしている。
本当に楽しんでるんだろうな、俺を弄ぶの。
階段を降り、昇降口で靴を履き替える。
「で、どこ行くんだよ?」
「ん? どこ行くと思う?」
「いや知らんよ……」
「ふふ、正解は――“帰り道を歩きながら雑談する”だよ」
「普通か!」
「普通ができないから練習するんでしょ?」
「う……確かに……」
ぐうの音も出ない。
外に出ると、夕方の風が春の匂いを運んでくる。
校門を出たあたりで、和歌奈が唐突に言った。
「じゃ、まずは質問ね。猿飛君って、どんな子が好みなの?」
「えっ……」
「ほら、女の子と話す練習なんだから、そういう話題も必要でしょ?」
「いや、それは……そうだけど……」
急に恋愛話とか、ハードルが高すぎる。
でも逃げたら絶対言われる。
(……どう答えるべきなんだ? こういうのって、正直に言っていいのか?)
「別に気取らなくていいよ。アンタが本気で彼女欲しいなら、ちゃんと好きなタイプ言わないと」
「……じゃあ……その……」
喉が乾く。
言葉が出てこない。
俺がこんなに緊張するなんて、自分でも笑えてくる。
「黒髪……とか……」
「ふーん?」
「落ち着いてて……優しい子……とか……」
「へぇ~」
つまらなさそうな顔。
「典型的で面白みがないわね……」
「自分から聞いといてなんなんだよお前は…」
恥ずかしさで死にそうだ。
和歌奈は小さく笑ってから、少しだけ真面目な声で言った。
「でもさ、アンタの“好み”はわかったよ。そんくらい正直な方が、恋愛経験ゼロのわりにはいいんじゃない?」
「そんくらいって……」
「で、次の課題ね」
「まだあんの!?」
和歌奈は俺の前に回り込んで、ようやく真っすぐ顔を合わせた。
「猿飛君、女の子と話すときは“逃げない”こと。目をそらしたらダメ。ちゃんと相手の顔を見て、普通に話す。それだけで印象は変わるから」
「いや、でも……」
「“でも”禁止。恋愛したいなら、まず自分の態度直さないと始まらないよ?」
「……うぐ……」
正論すぎて言い返せない。
俺が俯いていると、和歌奈が少しだけ、ほんの少しだけ優しい声で言った。
「まあ、いきなり全部は無理でもさ。今日みたいに、まず私と話せるようになればいいんじゃない?」
「……それ、俺のハードルめっちゃ高くね?」
「美少女と話す練習なんて、贅沢でしょ?」
「自分で言うな!」
「事実だから。一ミリも謙遜する気ないけど?」
和歌奈はそう言って、髪をかき上げながら笑った。
その笑顔は、いたずらっぽくて、でもどこか楽しそうで。
俺はこの時初めて――
ほんの少しだけだけど、“この時間が悪くない”と思ってしまった。
(……変だな。俺、ホントに恋愛とか興味なかったはずなのに……)
「はい、今日の練習はここまで!」
和歌奈がぱん、と手を叩く。
「え、終わり?」
「不満?」
「いや……別に……」
「ふふ。じゃあまた明日もやるから。逃げないでね、猿飛君?」
言い捨てて、和歌奈は先に帰っていく。
夕暮れの光で黒髪がオレンジ色に染まり、妙に綺麗だった。
一人残された俺は、ただその背中をぼーっと見つめていた。
(……なんだよこれ。本当に、俺の人生……変わるのか?)
変わらないと思っていた毎日。
気づけば、もう動き始めていた。




