桜、終焉の記憶
初の短編です。
連載長編と併せて
こちらもご一読よろしくお願いします。
この日、最後の桜がこの地で終焉を迎える。
その桜はヤマザクラ。日本固有種で五種ある野生種の一つ
それが本日深夜0時に、この陸上自衛隊 箱須賀基地で、サクラ属最後の一本が終焉を迎える。
サクラの異変が人々の口にのぼり出したのは、七年前の冬だった。
どこの誰が最初だったのかわからない、SNSでのつぶやきからだった。
『うちの庭のフジザクラが盗まれた』と。
それは、フォロワー数百人の匿名アカウントによる小さなつぶやきだった。
誰も最初は気にも留めなかった。ただの苗泥棒か、春に向けての転売目的かと。
だが、その数日後、別の地域からも似たような投稿が相次いだ。
「近所の森林公園の桜の木が消えている。植っていた場所には蝋が溶けた様なものが残っていた。役所は何も知らないって」
「ヤバイ。裏山のクマザクラが消えて山の斜面が崩れた。雨による大規模の土砂崩れが心配」
それらのつぶやきは、当初、誰もがただの酔狂な悪戯か、庭師のミスかと考えた。だが、その後、全国各地から同様の報告が次々と上がった。
それら全て、日本固有の野生種ばかりが根こそぎ消えていた。
春になるとさらに深刻な話題が飛び交った。
「神社の桜の木が蝋細工の様になっている」
「桜が蕾をつけない」
「今年は、桜が咲かなかった」
「観桜のバスツアーが全て中止。毎年楽しみだったのに」
等々。
やがて全国各地のヤマザクラ、オオシマザクラ、フジザクラ、チョウジザクラ、クマノザクラといった野生種の桜たちが、静かに、しかし確実に消えていった。
それらの現象の陰でさらに桜の消失に拍車をかけたのが、海外の美術オークションだった。
富裕層が所有する古木、あるいは山奥で自生する銘木が驚くほどの高値で取引されているという噂だった。
消えゆく桜を売買する組織。「ジャパン・チェリー・シンジケート」
いつしかそう呼ばれるようになったこの盗難組織の目的は明瞭だった。日本のサクラ、特に神聖視されてきた野生種を、『生きた骨董品』としてコレクションする者たちへ供給すること。
そして、その需要を加熱させたのは、皮肉にも、数年前に始まった『超インバウンド景気』だった。
空前の円安と、コロナ禍の終息による反動で、日本には世界中から人々が押し寄せた。彼らの最大の目的の一つが『サクラ』だった。SNSで拡散された幻想的な日本の風景は、彼らにとって、単なる花見を超えた『体験の証』となった。
だが、観光客の増加は、同時に各地で摩擦を生んだ。『オーバーツーリズム』という言葉は、すぐに『生活破壊』という憤怒に変わった。
ゴミ、騒音、交通渋滞。古都の住民たちは、押し寄せる異邦人によって、静かな日常と、伝統的な美意識を汚されていると感じ始めた。
その不満の矛先は、すぐに『盗まれたサクラ』の話題と結びついた。
「どうせ、サクラを金に換えようとしているのも、それを買うのも、外国人だ」
ネットの片隅から始まった排他的な声は、またたく間に社会を覆い尽くした。一部の過激なグループは、公然と『サクラ防衛隊』を名乗り、外国人観光客が集まる名所や、彼らが経営するホテル、民宿の前で、威嚇的なデモを始めた。
「日本の魂を盗むな」「ヤマザクラは我々の血だ」
彼らの主張は、サクラ盗難事件のニュースが報じられるたびに勢いを増した。ヤマザクラが一本、また一本と消えるたび、それは『日本文化の流出』であり、『国益の毀損』であると喧伝された。
サクラは、『日本人固有の精神』の象徴となり、それゆえに外国人による『盗掘』は許されない、という論理がまかり通った。
そして、事態を最も悪化させたのは、盗掘されたヤマザクラのDNAが、実は現代のソメイヨシノの耐病性を研究するための貴重な遺伝資源だった、という事実が公になったときだ。
『未来の日本から、希望を奪っている!』
各地でシンジケートと思しき外国人グループとサクラ防衛隊を名乗る過激な人々との間で抗争が勃発した。
その矛先が無関係な一般外国人にも被害が及ぶ事を恐れた日本政府も重い腰を上げた。
だが時すでに遅く、事態は外国人の排斥運動にまで発展していた。
『外国人は出て行け』
『外国人の入国を禁止しろ』
『貿易? 知らん、鎖国じゃ!』
暴徒と化したデモ隊と機動隊が繰り広げる騒乱の火は、日を追うごとに激しさを増して行く。
それらの声が沈静化する事なく、また世論に押された企業、政府をも含め、日本は徐々に世界への門戸を閉ざし始めた。
だが、桜の消失は 止まることを知らず、野生種に限らず全ての桜が、咲かず、枯れず、白蝋化し沈黙するように次々と眠っっていった。
そして七年の時が流れ……
日本の四季から桜は消えた。
陸上自衛隊 箱須賀基地。
そこに一本だけ、厳重な警備と管理のもとで守られていた最後のヤマザクラがあった。
学術的にも貴重な標本であり、過去にDNA保存とクローン増殖が試みられたが、いずれも失敗に終わった。
有数の研究者による不眠不休とも言える努力の結果も虚しく、判明したのは消失には前兆がある事だけ。
桜の幹全体が白色の粉に覆われ始め、どの木も例外なく日付が変わると同時に命を終える。
そして、白色の粉を薄っすらと纏った桜は、別れの時をひっそりと告げた……。
それは今夜0時だと。
何は来るであろうと覚悟していたが、ついにその日を迎えた。
管理を任されていた職員、隊員たちはひっそりと見送る事にした。
しめやかな終焉こそが、最後まで残ったこの桜にふさわしいのだろう。
深夜0時前
桜の傍に、ひとりの男がいた。
国立遺伝子技術研究所の植物病理学者、陸路研二、49歳。
慌しく記録装置や中継用のカメラを準備する職員達を、研二は見るともなく見ていた。
その研二に向かってひとりの女性が近づいて来た。深夜にも関わら白のブラウスに黒のタイトスカートをきちんと着こなし、汚れひとつない白衣を纏っていた。
「ケン。ここにいたのね」
「ああ、やっぱりそばで見送ろうかと思ってね。メリーも一緒にどう」
振り返った研二は、声をかけて来た女性にそう尋ねた。
「わたしは止しておくわ。見慣れたとはいえ、何も出来なかった自分の不甲斐なさは許せないもの……」
そう言ってドイツから対策、研究のため来日していた環境植物学者のメリー・ザクセンベルクは寂しそうに微笑んだ。
「わたしはモニターで見ているわね。きっと世界中の人も見守ってるでしょう」
「日本が厳しい入国制限とかを課した結果、世界中から嫌われてると思ったけど、思いの外みんな温かかったな」
「当然でしょ。あの措置は仕方ないと思うわよ。じゃわたしは行くわね」
「おやすみ、ケン」
「ああ、おやすみメリー」
桜の周りには研二と数人の研究者だけが残っていた。
「もうすぐか……。まるで、花が咲かないまま終わる人生みたいだな……」
彼は、白く覆われた幹に掌を当てあて、そっと目を閉じた。
その掌に応えるかの様に、桜の根本から淡い緋色の光が浮かび上がった。
瞼に光を感じた研二はそっと目を開けた。
そこには地面に浮かび上がる、不可思議な文様。古代文字をいくつも繋げたようにも見える。
それは花弁の形をした光の陣だった。
「まさか……これは……?」
彼がかつて、学会で異端とされ却下された理論がある。
“桜には記憶がある。人の想いを媒介に、開花する”という仮説。
しかし誰も信じなかった。科学としての再現性がなかったからだ。
だが、今……。この木は、まるで誰かの想いに応えようとしているように、脈動していた。
その想いとは何か。研二は、自らの記憶を掘り起こす。
まだ少年だったころ、祖父に連れられて見た「夜桜」。
誰もいない山中、満月に照らされる中で、枝一面に咲いた薄紅色の光景。
あのとき、祖父は言った。
「桜はな、咲かせるんじゃない。咲いてくれるんだ。忘れんことだ」
研二は、目の前の桜に囁いた。
「咲かせてくれ。君が君である証を。……日本が、日本であった証を」
その瞬間。
一輪の花がそっと咲いた。
誰もが諦めた、最後の桜の木に、たった一輪の花が、静かに、けれど確かに咲いたのだった。
午前0時。
この日、『日本最後のサクラ』は、白蝋化し完全に沈黙した。
だがその枝先には、ほんのわずかに残された花弁が風に揺れていた。
研二は立ち上がり、小さくつぶやいた。
「まだ……終わってない。終わらせない」
…… La fin ……
…………………?
連載【転生したら……えっ! 戦車⁈】
https://ncode.syosetu.com/n2758lc/
もよろしくお願いします。
日本の風景の象徴『桜』
あるのが普通な『桜』
深夜ひとりで観るのは少し怖い『桜』
これが消えちゃったら寂しいだろうなって言う思いから、この物語を紡ぎました。
そしてもう一つの
箱須賀のGTR、ケンとメリーの物語は……。
ごめんなさい! つい……。
わたし
ネタを入れないと死んでしまう病なんです。
機会があれば「ジャパン・チェリー・シンジケート」の話や
サクラ防衛隊の話に加え、メリーさんのお話も書こうと思ってます。
なのでお許しください。