五月
定期演奏会当日。私はいつも通り緊張もなく、会場入りした。
「咲夜!おはよう。」
「おはよう。」
話しかけてきたのはトロンボーンの同級生だ。いつもテンションが高いが、
本番が近づくにつれて静かになっていく。緊張しいなのだ。
今日もお昼過ぎには一言も話さなくなるだろう。
全体ミーティングが終わり、各自音出しを始めた。
「橋本部長、すみません。」
こそこそと隣に来て話しかけてきたのは、打楽器の一年生だ。
「どうしたの?」
「実は、衣装を忘れてきちゃった一年生がいて…」
昨日のリハーサルで衣装は忘れることがないよう、持ち帰らないようにと連絡していたのだが、
持ち帰ってしまったのだろう。とりあえず、本番までに衣装があればいい。
「本人から顧問に相談するように伝えて。
たぶん、自分で家に電話をかけて保護者の人に持ってきてもらうことになると思うけど、
家に届けてもらえそうな人、誰かいるかな。」
「確認してみます!ありがとうございます!」
後輩はそう言うと離れていった。
「さすが部長、家に人がいるかまで確認するのはすごすぎる。」
隣のフルートの同級生が私の肩を指でつんつんしながら話しかけてきた。
「部長は関係ないでしょ。」
「その確認ができるから部長なんだよ。」
後ろからクラリネットの同級生が入ってきた。人から認めてもらえるのは嬉しいが、
いつもは部長だからといって敬わないくせに、こういう時だけ都合がいいのはいただけない。
私は二人の楽譜に付箋を貼り付けてやった。
「なになに~?」
「なんも書いてないんかい!」
私は二人が突っ込むのを聞きながら、また音出しを始めた。
最後のリハーサルが終わり、お昼になった。
結局衣装の件は保護者が持ってきてくれるとのことだった。
「お昼食べ終わったら各自出迎え準備お願いね。」
私はそう言い、食べ終わったお弁当を片付けた。隣では一言も話さなくなったトロンボーンの同級生が、
エナジーチャージをちゅうちゅう吸っていた。
「私アナウンスあるから裏行っちゃうね。何かあったら連絡して。」
私はアナウンスの台本と携帯、リードケースを持ち、舞台裏へ向かう。開場まで十分程度だ。
「よろしくお願いします。」
舞台スタッフに挨拶をしながらマイクの前に向かう。最後にもう一度台本の確認をしよう。
私は深呼吸をした。
開場五分前、スマホに連絡が入った。全員の出迎え準備が整ったとのことだ。
私は了解のスタンプを送り、自分も気合を入れた。
その時、同級生のLINEグループが突然動き始めた。
「野球部?珍しい。」
野球部がせっかくの休日練習を休みにして演奏会に来てくれているというのだ。
そんなことは今までなかったが、何かあったのだろうか。まあ、理由は知らなくてもいい。
私たちは練習通り演奏するだけだ。
無事演奏会は終わり、ロータリーで出てくる客を出迎える。
野球部も出てきており、同じクラスなのだろうか、各々声をかけているようだ。
「あ!橋本さん!」
呼ばれた方向を見ると、人懐っこい笑顔があった。背が高い野球部の中にいても少し頭が出ている、
よく教室で見る顏。井島くんだ。
「お疲れ様!」
「ありがとう。それに野球部全員で来てくれたんだね。せっかく一日練習できる日なのにありがとう。」
「実は、何人か野球部と吹部で付き合ってる奴らがいて、
どうせならみんなで見に行こうかってなったんだ。」
ルートはそこか。ということは声を掛け合っていた人のほとんどは恋人同士なのか。
一気に会場がまぶしく感じた。私は悲しいことに?そんな人は人生で一度もいたことがないため、
後輩が野球部と話している姿を見ると、少し焦る気持ちはある。
「俺、楽器はできないからさ、すごいなぁ。」
私は運動ができないから、野球できる井島くんの方がすごいよ、と思いながらも、
周りが気になり言葉が出ない。こんなにも恋人同士がいることに驚きを隠せないのだが、
表情に出ていないだろうか。井島くんにもかわいい彼女さんがいるんだろうな。
同い年なのにすごいなぁ。
「橋本部長!」
「え!?部長なの!?」
「あ、お話し中すみません!体調不良者が出て…」
後輩は困ったような顔で井島くんと私を見比べた。
もしかしたらいらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。
まあ、訂正しなくてもいいか。むしろもっと怪しまれそうだ。
「ごめん、せっかく話しかけてくれたのに。」
「いや、全然、じゃあまた!」
「今日はありがとうね。」
私は再度部長スイッチを入れ直し、後輩に向き直った。
井島くんが来ることは予想外だったが、最後に会えてよかった。
演奏を聞かれることは少し恥ずかしい気もするが、見に来てくれたことは素直に嬉しかった。
五月五日
今日は最後の定期演奏会。
野球部が来てくれて驚いた。
ソロも上手くいったし、楽しく演奏できて本当に良かった。