Case2-3.『館の案内』
秒針の動く音が響く室内。換気の為に開けられたままの窓からはやや冷たい風が入り込み、カーテンを優しく膨らませた。
静かで穏やかな時間。話すことも思いつかないルカは動くカーテンをぼんやりと眺めていた。
「疲れた?」
ことり、とエミリオはマグカップを優しくテーブルへ戻す。
その音に視線を正面へと戻したルカは掛けられた言葉の意図がわからず瞬きを数度繰り返した。
「ここに来るまで災難だったって聞いたからさ」
「ああ」
道路上で繰り広げられた戦闘の後、運転で手が離せないアルノルドに変わって連絡関係の仕事を引き受けていたルカはこの館へも連絡を入れていた。
電話に出たのは女性であった為、恐らくはイザベラが応対し、その情報を館内へ共有したのだろう。
「まあ……そうですね。日本は治安がいいと聞かされていたので」
「はははっ、いざ来てみたら早速ドンパチじゃあねぇ! いや、本当に災難だったね」
ルカがイタリアにいた時ですら白昼堂々と撃ち合いなどしたことがなかった。それが、更に治安の良い場所だと聞かされた場所へ移動してすぐさま命懸けの戦闘に巻き込まれるなど、災難どころの騒ぎではない。
目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、エミリオは人の気も知らずに笑い続ける。
それをルカが静かに見据えていれば空気が凍り付いたのを感じたらしく、すぐに謝罪の声が掛かる。
「ごめんごめん、怒んないでよ」
エミリオは笑いを押し込めるように深呼吸を数度繰り返す。
そして自分が生み出した空気の緩みを修正するかのように咳払いを一つ落とした。
「日本の治安がいいのは本当だよ。ただ、レーナ様の立場が特殊なせいで度々厄介事が発生しているだけで」
「うちに限らず大型組織の幹部やその家族を狙うのには大きなリスクが付きまとう。だからこそ幹部を巻き込んだ表立った抗争は殆ど行われない。そういう認識でいたんですけど……そんなに狙われるんですか?」
「本来ならその認識で間違いないよ。ただ、レーナ様が特殊なのは何もボスの娘だからというだけじゃない。ルカくんも大まかには聞いてきたでしょ?」
エミリオの問いかけに、ルカは眉根を寄せる。
レーナが特殊だという言葉の意味。それについてルカが事前に聞かされているのはエミリオの言う通りであった。
その内容はあまりにも大雑把ではあったが。
「特別な才がある――覚醒者だからだと」
――覚醒者。
それは世界でも希少で有数な存在。
表社会では公にされておらず、裏社会でも一部の組織しか把握していない、ごく少数にのみ認知された特別な存在だ。
平たく、俗的に言うなれば覚醒者とは即ち超能力者のこと。人の極致と理屈を超えた能力を司る者のことだ。
覚醒者の知識が現代社会にて公にされていないのは、希少であり様々な利用価値を秘めた存在故にそう呼ばれる者達が総じて裏社会の者の手に墜ちるからと言われている。そしてその強大な力を失わないよう、彼らは自らの所有する覚醒者の情報の殆どを徹底して秘匿する。
ボスの娘、レーナが覚醒者であるという話はラフォレーゼファミリーの一員であれば開示される機会のある情報だ。
とはいえボスの娘に関する機密事項。勿論全員が等しく得られる情報ではない。
それを知ることが許されるのは功績を上げ、組織から評価されたものに限る上に他言無用の秘匿情報として取り扱われている。
組織の信用に足る人物として認められた者のみが覚醒者とレーナに関する情報を得、覚醒者の絡んだ任務を優先して与えられることとなる。
ルカも実際に覚醒者絡みの任務に携わったことがある。しかしレーナについては彼女が覚醒者であるという事実以外聞かされていない。
レーナの御守りを命じられてからも詳しい説明を受けることはなく、詳細は関係者から聞くようにと上司から指示を受けていた。
「……それだけです。詳細は現地の者から聞けと」
「うんうん、上の口が堅いのは想定内かな。どこから情報が漏れるかわからない以上、迂闊に話すよりも関係者しかいない場所で話を聞いた方がいいと判断したんじゃないかなぁ」
エミリオは器に盛られた一口サイズのバウムクーヘンをつまみ取ると右手と口を使って器用に封をこじ開けた。
「……欲しいものがあるなら言ってください」
「お、気が利くねぇ。じゃあこれとこれとー……」
どうにも食べ辛そうな動きが気になってしまったルカはバウムクーヘンを口へ放ったエミリオへ物を言う。
片手だけでの生活に慣れているのか、特に気にしていなさそうなエミリオはしかし、手伝って貰えるのであれば楽だということに変わりないと思ったのだろう。ルカの言葉に甘える形でいくつかの菓子をつまみ上げては器の横へと並べた
ルカは皿の外へと転がされた菓子達の封を黙々と破っていく。簡単な作業を行いながら考えていたのは先の戦闘でのレーナの様子であった。
(強いて言うなら、先の戦闘でアルノルドさんに指示を出したのは彼女の能力が関わっているのではと考えることが出来るが……それでも大まかな部分しか予測できない)
ルカはテーブルへ転がされた菓子達の封全てに切り込みを入れた上で、それらをエミリオの傍へと並べてやる。
それに対し述べられた礼には短く返事してから、話の続きを促すようにエミリオへと視線を戻す。