Case2-2.『館の案内』
清潔感の保たれた屋内、広々とした廊下、豪奢な装飾。
館の中はどこもかしこも手が込んでおり、相当な金額が費やされた空間であることは誰が見ても明らかであった。
エミリオは手始めにルカの居室となる部屋を案内し、荷物を置いてから、順に館の中を案内していく。
玄関から始まり、リビング、調理室、手洗い場や風呂場、使用人の部屋等々。中を確認できる部屋は扉を開けて内装を見せながら丁寧に説明される。
そして一通り全ての部屋の位置を確認し終えたところでエミリオは案内を終えたはずの調理室へルカを連れてやってきたのだった。
料理人は休憩中なのか、調理室には二人の他に誰も居ない。
「まあ、一先ずこんな感じかな!」
「ありがとうございます」
感謝の意をルカは簡潔に伝える。
館の外観や部屋の配置、館に住まう組織関係者の表向きの職と組織としての裏の顔の役割。それら全ては事前情報としてルカの頭に入っている。
しかし実際に観察して見なければわからないような情報も少なからず存在する。エミリオの丁寧な案内はその欠点を補う要因となり得た。
「いいえー。休憩しよっか」
述べられた礼に左手を挙げて答えるエミリオ。両手に嵌められた黒い革手袋が照明に照らされてその光沢を主張した。
やがて空いていた右手が棚からコーヒー豆の入った瓶を取り出して調理台の上へ移動させる。
「ルカくん、コーヒー飲める?」
「はい」
「うわ、大人だ。ボクなんて飲めるようになったの最近なのになぁ」
愛想のない短い返答に気を悪くすることもなく、間延びした口調で会話が続いていく。
エミリオは随分お喋りな性格らしい。案内の最中も同じ様に話し続けていた姿がルカの中で彷彿とされた。
調理室の脇に設置されているコーヒーメーカー。そこにコーヒー豆を入れてエミリオはスイッチを押す。
「勝手に使って大丈夫なんですか?」
「平気平気。ここは自由人ばっかりで規則とか結構ゆるゆるだし、これもアルノルドさんの私物だしね」
居室ではない場所に私物を置くことも、人の私物を当たり前のように使っていることもルカにとっては驚くべきことであるのだが。エミリオの手慣れた様子はどちらも容認されていることを示唆していた。
「館の部屋も、人の居室とかレーナ様が使用中の部屋以外なら割と自由に使えるよ」
マグカップを二つ、食器棚から取り出される。
更に別の棚から小分けの菓子を底が深めの皿へ移し替える。
手際よく休憩の支度をするエミリオだが、その動きは観察し続ければし続ける程相手へと違和感を齎す。それはルカも例外ではない。
コーヒーを用意する動きを静観していたルカは僅かに眉根を寄せた。
やがてコーヒーメーカーの電源が落ちる。
それに気付いたエミリオはカップを持ってコーヒーメーカーへと近づいた。
「やりますよ」
「おっ」
そこへルカがエミリオとの距離を詰める。
そしてエミリオの持っていたマグカップを静かに回収し、コーヒーを二人分淹れ始めた。
自然と相手の厚意に甘える形となったエミリオは後方から注がれるコーヒーを眺めることとなる。
「ありがとね」
「いいえ。片手だけだと手間でしょうし」
ルカが覚えた違和感。その要因はコーヒーを準備する間……否、案内の時間も含め、エミリオが右手しか使わないという光景にあった。
エミリオの事情を事前に聞かされていたルカは彼が左手を使わない理由も知っている。故に驚いたりすることはなかった。
ただの手間と効率を考えれば両手を使える者が動いた方がいいだろうという合理的な考え。それに従ってルカはエミリオの手伝いを申し出たのだった。
「ミルクと砂糖はいる派?」
「大丈夫です」
「ませてるなぁ」
砂糖とミルクのありかを探していたらしいエミリオは、ルカの返答を聞き届けて探し物を中断する。
湯気と共に、コクのある香りが二人の鼻腔を擽った。
「立ち話もなんだし、談話室借りよっか。そっち頼んでもいい?」
「はい」
ルカは世間話や他愛もない話を苦手とする。しかし館の勝手や規則を理解していない以上一人で時間を潰すことも困難である。
故にルカは先輩であるエミリオの提案に乗っかった。
ルカは二つのマグカップを、エミリオは菓子の入った器をもって移動する。
ローテーブルを囲うように上質なソファがいくつか並んだ談話室。使う時期としては尚早な暖炉は火を灯さずに息を潜めている。
部屋の脇に配置された複数の棚には娯楽用のボードゲームやゲームソフト、DVDや本等が整理されて置かれており、壁の真ん中には大きな壁掛けテレビが取り付けられている。
エミリオはそれらを横目に奥のソファへと腰を下ろし、好きな場所へ座るようにとルカを促す。
それに従ったルカは小さな会釈の後、マグカップ二つをテーブルへ置いてからエミリオの体面に位置するソファへ腰掛けた。
「うん、やっぱりいい豆で淹れるコーヒーは香りが違うよね」
テーブルに置かれたマグカップの内一つを右手で引き寄せながらエミリオは笑みを浮かべる。
そして香りを楽しむようにカップを鼻先へ近づけてからコーヒーを一口、口へと含む。
それにつられるようにしてルカもコーヒーへ口をつける。
コクのある苦みの中、僅かに混ざる酸味と深い香りが口の中へ広がる。
その風味を楽しむことに集中するようにエミリオが口を閉ざすことで、自ら話題を提供する性格ではないルカも自ずと沈黙を貫くこととなる。