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Case14-4『仲直り』

(だって、あの話は何かの意図があってした……合理性のあるものだったとは思えない)


 だとすれば。

 館の構成員の最年少でありながらここまで優秀な彼はどんな人生を歩んで来たのだろう。

 学校に通うべき歳で組織に入り、生死の境を生き抜いてきた彼が教わったことが人を欺き、殺す知識と術だけだったとすれば。

 ――人として当然に持ち得るものを教えてくれる者が傍に居なかったのだとしたら。


「俺は……おれ、は……」


 自分の発言に自信を持つ彼らしくもない。

 不安定に途切れる言葉はあまりに拙い。


「っ、ルカ……!」


 レーナは声を上げる。

 彼に届くように。

 そして同時にアスファルトを強く蹴り上げ、彼の元へと駆け出していた。

 自分から離れていく手をシアは静かに見送った。


「――っ!」


 ふと、爪が食い込む程に握りしめられていた両手をレーナが包み込む。

 レーナはルカと距離を詰めると、頭を下げていた彼の顔を覗き込んだ。


(……ああ)


 レーナは涙を溢れさせたまま顔を歪ませる。

 けれど彼女以上に歪な表情がそこにはあった。


(こんな)


 震える唇を押さえつけるように強く噛みしめ、声を押し殺す。

 必死に顔を顰めて溢れ出しそうな感情に耐える表情。


(こんな顔をしてる人が、嘘なんてつける訳ない……)


 ルカが初めて見せた歪な顔が作りものであるなど、レーナにはどうしても思えない。

 レーナは初めて彼の本心に触れられた気がした。


 突如距離を詰められたことに驚いたルカは目を見開いていたが、何か言わなければと焦ったのだろう。

 震える唇が薄く開かれる。


「……俺、エミリオさんには、ほんとに」

「…………もう、わかった」

「だから、シアさんも……殺したく、ないです」


 胸の奥が温かくなるのをレーナは感じた。

 彼の隠していた真実も、大切な人を失った悲しみも深い。けれどそれに寄り添うような小さく拙い感情が、彼女の心を僅かに救ってくれる。


「……ルカ」

「…………はい」


 レーナはルカの拳を開かせる。

 嗚咽を何とか呑み込みながら彼女は言葉を絞り出す。


「仲直り」


 レーナは両手を広げ、ぎこちなくルカへと触れる。

 ルカの体に収まった彼女は両腕を背中に回すとそこに顔を埋めた。


 濡れた服越しに伝わる他者の温もりにルカは暫し呆然とする。

 自分よりずっと小さくてか弱い存在。体に収まる彼女は小さく震えている。

 どうにかしてやらなければと思いながらも、ルカは正解が見つけられない。


(……いや、違う。今すべきなのは正解を見つける事ではない。感情で、接する事だ)


 自分が何をすべきかではない。何をしたいのか。

 レーナが先に示してくれた事に自分も答えるのだ。

 そう決めたルカは酷く緩慢な動きでその場に屈み、レーナの背に両手を回した。

 そしてとても優しい力で彼女を抱き返す。


 背中に伝わる感触に気付いたレーナはルカの胸の中で目を見開く。

 だがそれも束の間。彼女は包まれた温もりに縋るように腕の力を強めると嗚咽を漏らし始めた。


 心の傷を訴えるように声を上げて泣きじゃくる。

 それをすぐ傍で聞くルカは強く顔を歪め、彼女の悲しみに寄り添うのだった。


 暫し泣きじゃくっていたレーナは気持ちの整理がついたのか、やがて落ち着きを取り戻していく。


「……かえる」


 掠れた声でレーナは言う。

 未だ悲し気な声に胸を痛めながら、ルカは小さく頷いた。


「はい。……帰りましょう」


 ルカはバイクを引きながらレーナとシアと共に館へ向かう。

 道中、GPSが止まった事に気付いたアルノルドが車で合流し、三人を乗せた。

 車内では殆ど会話がなく、このまま静かに館へ戻るのだろうと誰もが思っていた。


 だが館までの短い移動距離の中、不意にルカは体の痛みを思い出す。

 それは目覚めた時よりも明らかに重度の痛みであり、嫌な予感がすると服を捲った彼の腹部からは血が流れていた。どうやら治療直後の無理が祟り、傷口が開いたらしかった。

 初めこそ涼しい顔を取り繕っていたルカだが徐々に顔色が悪くなりぐったりとし始め、レーナがパニックに陥る。

 アルノルドはレーナを宥める為に懸命に声を掛け続けながらも一足先に館へ戻っていたイザベラへ治療の準備をするように指示を出した。


 一難去ってまた一難。

 せわしない車内の片隅に座っていたシアは、意識を飛ばしたルカと、半泣きになりながら彼の体を揺さぶるレーナを静かに見つめていたのだった。




 ルカはゆっくりと瞼を持ち上げる。

 記憶に新しい天井に眉を顰める。

 直前の記憶を辿り、自分が車内で気を失ったらしい事を思い出す。


 意識を覚醒まで手繰り寄せたルカはふと、すぐ傍から聞こえる寝息に気付く。

 体を起こし、ベッドの傍らを見る。

 彼の傍には突っ伏したまま眠っているレーナの姿があった。

 肩にブランケットを掛けられている彼女は目元が涙で濡れ、赤く腫れている。

 しかし寝顔はとても安らかで、うなされている様子もなかった。


 ルカはレーナの顔に掛かっていた髪を指先でどかしてやる。

 そしてその寝顔を改めて観察しようとしたその時。

 視界の端に黒い影が映り込んでいる事に気付く。


 心臓が飛び出すような衝撃を受けながら、ルカは肩を跳ね上げ、そちらを見た。


「…………その気配の無さ、どうにかならないんですか」


 影の正体は微動だにしないシアだった。

 彼は部屋の隅に用意された椅子に座ったまま真っ直ぐとルカを見ていた。


 文句を零すも、勿論声は返されない。

 ただじっと見つめられている居心地の悪さに耐え切れず、ルカはすぐに視線を落とした。


「お騒がせしてすみません。ありがとうございました」


 レーナに追い付けたのはシアの協力があったからだ。

 ルカは視線を逸らしたまま礼を述べる。

 だが返されるのは沈黙。

 想定内だとルカ自身も気に留めようとしなかった。


 だがその時。

 ほんの僅かな空気の振動をルカは感じる。


「……は」


 その気配の正体に憶測を付け、彼は咄嗟に顔を上げる。

 黒い瞳は相も変わらず真っ直ぐとルカを見ている。

 その口角が――僅かに持ち上がっている。

 だがそれはルカの瞬きと共に姿を消す。


「…………気のせい、か……?」


 怪訝に思いながらシアを観察するも、彼は無表情だ。

 結局ルカは答えを追い求める事を諦めた。

 大きな溜息が吐き出される。


「……あんたの未練って、何なんですかね」


 その問いは空気に吸い込まれて消えていく。

 ルカは再度息を吐き出したのだった。

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