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Case12-4.『白い煙がみせた夢』/Case13-1『合格』

 アヤが空いた手で口元を押さえながら目を潤ませる。

 どんな感情が彼女をそうさせているのかまでははっきりと分からないが、彼女が見せる表情が拒絶ではない事だけは確かだ。

 それを認識すると同時、エミリオは体の力が全て抜けてしまいそうな程の安堵に襲われた。


「…………よかった、やっと言えた」


 生前のエミリオは、この気持ちを明かすつもりはなかった。

 立場が違い過ぎる二人には万が一なんてものすら存在しない。客と店員という一定の距離感を保つ事こそがアヤの幸せを尊重する形だと理解をしていた。

 しかし死を覚悟した時、エミリオの頭を過ったのはカフェでアヤと交わした何気ない会話の光景と、自分の想いを打ち明けておけばよかったという強い後悔であった。


 そしてそれこそが自分を流浪者として蘇らせた要因であるという答えにも、エミリオはとっくの昔に辿り着いていた。


(それでも言い出せなかったのは……やっぱりボクに勇気が足りなかったせいだけど。……でも、間に合ってよかった)


 今まで抱えて来たものを手放す事が出来た瞬間、僅かに残っていた体の感覚が急速に遠のいていくのをエミリオは感じる。


「ごめん、もう行かないと」

「え……! でも私、まだ返事も」

「ボクが言いたかっただけだからいいよ。次いつ会えるかわからないしさ」

「そ、そんなお別れの仕方……! ずるい!」

「あははっ! ごめん! 言ってなかったけどボク、結構自分勝手で意地悪なんだ……ああ、泣かないで」


 アヤの目から涙が溢れる。

 目尻に溜まった涙を右手で掬いながら、エミリオは優しく囁く。


「じゃあ、もしアヤさんがボクの事を忘れなかったら……今度聞かせてよ。こっそり日本まで会いに行くからさ」

「……本当ですか」

「うん。約束」


 アヤの涙が止まったのを確認し、エミリオは一歩後退する。

 傘から出た体が雨に打たれる。


「じゃあ……バイバイ、アヤさん」

「はい、また」


 フードの下で弧を描く口につられるように、アヤも笑みを浮かべる。

 互いに手を振り合った後、エミリオは夜の闇に溶けるようにしてその場を去ったのだった。




 ルカはカフェの前へ辿り着く。

 既に看板はしまわれ、店の窓からは店主が客席の片付けをしている姿が確認できる。


(この道にはいないか……)


 見たところ、カフェのある通りにエミリオらしき者の姿は見えない。

 だが近くに彼がいるはずだという事をルカは確信していた。


(ここへ連れられた時は、エミリオさんの言っている事が分からなかった)


 ルカは周辺をしらみつぶしに探そうと近くの道を曲がる。

 雨と夜の闇で先が見えない道を、目を凝らして進む。


(けど、今なら少しだけ分かる)


 表面上で親しくするだけではなく、感情を知るべきだと彼が言った理由。

 敢えて安いコーヒーを飲む為にカフェへ通っていた理由。

 考えている事が分からないと言われた彼が『自分は分かりやすい方だと』答えた理由。


 それらの答えが次々とルカの頭の中で組み立てられていく。


(多分あの人は、俺達の中で誰よりも人らしい人だった)


 傷の痛みに目も向けず走り回っていたルカはやがて足を止めた。

 彼の前方に立つ人影が一つあった。


 ルカは拳銃を取り出し、構えながら相手へにじり寄る。

 そして確実に急所を狙い撃てる距離まで近づいてから口を開いた。


「……エミリオさん」


(流浪者も根本は人間だ。再生能力は異常であっても人としての急所を叩き続け、二度目の死を実感させれば殺す事が出来る)


「うん」


 エミリオはゆっくりと振り返る。

 そしてルカの姿を認めると彼はフードを取っ払い、隠していた素顔を晒した。


「……っ」


 彼の顔半分は姿を消し、朧げな煙だけが失った箇所を補っている。

 右腕も同様だ。

 彼の右袖は平面的で肩から垂れ下がっており、中に腕が存在しない事が窺える。


「おめでとう、初級合格」


 冗談を溢す彼の声には隠しきれない寂しさが滲んでいる。

 エミリオは大きく肩を竦めて苦笑した。


 だがルカはそれに言葉を返さない。

 彼の注意は人としての姿を保てなくなったエミリオの体へ向けられていた。


「上手く制御が出来なくなっちゃってさ」


 ルカの視線の先に気付いたエミリオは己の体を見下ろす。


(この様子だと……エミリオさんが異形化した時、実体は存在しないかもしれない)


 完全な煙と化してしまえば彼を『殺す』事はほぼ不可能となる。

 彼の暴走を止めるならば彼が人である内に仕留めるしかない。


(わかってる。なのに、どうして)


 そこまで思考が辿り着いているのに、ルカは引き金を引けずにいた。

 これまで簡単に動いた人差し指が鉛のように重かった。


(引き金が引けない)


「撃てないでしょ」


 全てを見透かしたようにエミリオが言う。


「当てる事を目的とした射撃。彼が当たると判断すればその銃弾は必ず標的へ命中する……やっぱり、組織のデータは参考にならないね。それが事実なら、ボクはここには来られていない」


 半分を失った顔には優しい笑みが浮かべられていた。

 愛しむような……仲間を害そうとする者には決して見えない、柔い微笑みだ。


「キミは変わった。変えられてしまった。ボクや、レーナ様……館の人達に」

(引け。俺は引かないといけない。その為に俺はここに――)


 ルカは動けない自分自身を奮い立たせようとする。

 だがその時、別の声が頭を過った。


(……俺はどうしてエミリオさんを追いかけたんだった……?)

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