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Case12-3.『白い煙がみせた夢』

 流浪者は皆、生前に強い思いを抱えていた者達だ。

 生への渇望、心残り、死への恐怖……強い感情と成り得るものはいくらでもあるが、エミリオは自身が何故流浪者として蘇ったのかを理解していた。


(完全に理性を失う前に、どう在るべきかはわかってる。……だからこれはただの我儘だ)


 エミリオは住宅街を息を乱して走り抜ける。

 体の感覚はほとんど機能していない。寒さも感じない。

 自分が人とは遠い存在となってしまった事を改めて認識する。


 いつ殺戮に興じる怪物と成り果てるかもわからない。

 罪なき人を巻き込み、多くの命を奪う事になるかもしれない。それこそ自分が好意的に思う相手すら手に掛ける事にもなり得るだろう。

 だがそうなっても構わないと無責任に思う程、成し遂げたい事があった。


 悪天候の夜。人通りのない道を走っていたエミリオは前方に見覚えのある建物を見る。

 足繁く通ったカフェ。その屋根の下、店仕舞いの為に立て看板手に掛けるアヤの姿があった。


「アヤさん」


 エミリオはパーカーのフードを深く被ると駆け足でカフェへ近づいた。

 そして看板を畳み、店の中へ戻ろうとしていたアヤの背中に声を掛ける。

 アヤは馴染みのある声に目を瞬かせ、振り返る。


「え、エミリオさん……!?」

「やあ」

「どうしたんですか、こんな時間に……っていうか、びしょ濡れじゃないですか」


 アヤは店の入り口近くに置かれた傘立てにあった傘を一つ引っ張り出し、それを広げるとエミリオの下へ向かう。

 背伸びをし、同じ傘にエミリオを入れてやりながら、アヤは心配そうに彼を見る。


「エミリオさんが大丈夫ならお店入っていきますか? お父さんも多分大目にくれますし……風邪引いちゃいますよ」

「いや、すぐ行かないといけないから、ここでいいよ」

「じゃあせめてタオルだけでも」

「アヤさん――うわっ」


 アヤは急いで店内へ向かおうとする。しかしその時、彼女の持っていた傘がエミリオの頭に引っ掛かった。


「あっ、ごめんなさい!」

「ふっ、ははっ、大丈夫大丈夫」


 アヤはてきぱきと意欲的に働く真面目な女性だったが、時折そそっかしさを見せる事があった。

 何度か見た事のある彼女の些細な失敗を思い出しながらエミリオは肩を震わせて笑う。


「ごめん、本当にすぐ離れないといけないから、このまま聞いて欲しいんだ」


 よいしょ、という声と共にエミリオが腰を屈める。

 アヤが傘を持ちやすいように計らい、同じ程度の目線で相手の顔を見つめながらエミリオは続ける。


「ボク、仕事でここを離れないといけなくなっちゃって」

「……えっ!?」


 アヤが声を上げる。

 驚きを見せた彼女の顔はすぐに寂し気に曇っていく。

 思った事がすぐに顔に出る彼女のころころと表情が変わる様ももうエミリオは何度だって目にしている。


「いつ、ですか」

「んー、今から」

「い、今から!?」

「びっくりだよねぇ。ボクもすごくびっくりしてる」


 エミリオは普段と変わらない調子でけらけらと笑う。

 そこに深刻さは微塵も現れていなかった。


「だから、お別れを言いに来たんだ」


 日本へやって来て、このカフェに通うようになってからの事を思い返す。

 一度社会の裏へ足を踏み入れたエミリオが二度と戻る事はない世界で、いつも楽しそうに働くアヤの姿はとても眩しかった。

 そして時間を経て行くうちに、その眩しさは別の感情へと変わっていった。


「ボクの仕事ってさ、結構忙しいし、厳しくて……正直きっついなって思う事も沢山あるんだけどね。そういう時にここに来て、美味しいコーヒー飲んだりしながらアヤさんと話すだけですごく元気がもらえたんだ」


「アヤさんの明るい笑顔と声も、気さくなところ、気遣い上手なところ、話が面白いところ、たまにうっかりしちゃうところ……。ボクはね、アヤさんっていう一人の女性にね――惹かれてたんだ」

「……エミリオさん」

「ええっと、つまりね……何が言いたいかっていうと、仕事の疲れが全部吹き飛ぶくらい、アヤさんはすごい人って事」


 アヤは真剣な面持ちでエミリオの話に耳を傾けている。

 突然の告白ばかりで驚いているだろうに、それを抑えて相手の話したい事を尊重する。そんな姿勢を取れる性格もエミリオには魅力的に映っていた。


「誰かをこんなに幸せに出来るくらい、アヤさんは魅力的な人だから……これから大変な事があったりしてもね、アヤさんがすごい人だっていう事は忘れないで欲しいなって思って」

「……褒め過ぎですよ」

「ボクは本気だよ」


 アヤが照れ臭そうに視線を落とす。

 やや真面目な口調で念を押すエミリオの声に、アヤは小さく頷く。


「いつからだったのかは分からないけど、もう結構長い事経つかなぁ」


 動悸が激しい。それが流浪者故に起きている異常なのか、僅かに残っていた人としての正常な部分なのか、エミリオには分らなかった。

 声が震えそうになるのを堪え、一つ大きく息を吸ってから噛み締めるように彼は言葉を紡ぐ。


「アヤさんの事がずっと好きでした」

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