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Case9-1.『ホットケーキとも呼べぬようなホットケーキ』

「……そういえば、ケーキ」

「ああ」

「ケーキ?」


 エミリオの手が自分の頭から離れた頃、レーナは思い出したように呟いた。

 ルカは帰り道の途中、ケーキを買いに行く約束をレーナとしていた事を思い出す。


「今日、学校の中まで入る事が出来たので何かご褒美でもと言うお話をしてたんですけど」

「ほぉ!」

「まぁ! レーナ様、本当なんですか?」

「……一歩だけよ。シアも一緒だったし」

「それでも充分素晴らしい事ですよ、レーナ様。頑張られましたね」


 アルノルドの落ち着いた声がレーナの努力を称賛する。

 イザベラも目を輝かせ、満面の笑みを咲かせながら頷いていた。


「これは確かにお祝いしないといけませんね。……そうだ、ケーキを買いに行くのは後日になってしまいますが、良ければ一緒にホットケーキでも作りましょ?」

「げぇっ」


 手を一つ打ったイザベラの提案に顔を歪めたのはエミリオだ。

 あからさまな嫌悪を滲ませた声はイザベラの目つきを鋭く冷たいものとさせる。

 獲物を刺し殺せそうな程の鋭い視線を向けられたエミリオは思わず背筋を伸ばし、何でもないと小刻みに首を横に振る。


「……シアのは私が焼くわ」

「私はその……仕事が残っております故、遠慮しておきます」


 アルノルドは普段と同じ笑みを浮かべているものの、その顔色は青白い。

 ルカはこの日初めて、アルノルドが感情を表に出す瞬間を見た。


「あら、残念。……エミリオさんは勿論一緒にお祝いしますよね?」

「もっ、モチロンモチロン! でも出来ればレーナ様が作ってくれたのが食べたいかなぁ……なんて」

「私が作った物は食べられないと?」

「…………まっさかぁ!」


 妙な空気感、顔色の悪いエミリオとアルノルド、そしてイザベラから気まずそうに目を逸らすレーナ。

 更にはここに至るまでの会話。


 初めはぎこちなさを感じる空気に首を傾げていたルカもここまで来れば流石にどういう事情が背景にあるのかも理解する。


(要は、イザベラさんは料理が上手くないんだろう。……というか、壊滅的なのかもしれない)


 ある程度の状況を理解したルカの肩にエミリオの手が置かれる。

 彼はイザベラの視線の圧に顔を強張らせながら口角を釣り上げた。


「ルカくんもほら……洗礼を受けようね」

「はぁ」


 元より食に固執しないルカはエミリオの誘いに気乗りはせずとも、拒絶もしない。

 酷い時には草や虫で食い繋いでいたルカにとって、今更味や食感で食事が受け付けないなどという事はない。

 故にイザベラの料理がどれだけ壊滅的であろうとも自分は大丈夫だろうと高を括っていたのだ。

 ――実際に目の前に現れたホットケーキを見るまでは。




 レーナの許可を経て、ダイニングルームの長テーブルに向かい合うようにしてルカ達は座る。

 ルカとエミリオ、シアとレーナがそれぞれ隣り合い、満面の笑みを浮かべたイザベラはテーブルの傍に立って四人の様子を窺っている。


「さあさ、冷める前に召し上がってください」

「……正気ですか?」

「ルカくん! シーッ!」


 自分の前に置かれた料理を見たルカが辛辣な言葉を吐くも、エミリオが慌てたようにその口を塞ぐ。

 レーナとシアの前に置かれたのは歪でやや平たくはあるものの、ホットケーキと名状しても差し支えのない料理だ。

 だが問題なのはルカとエミリオにそれぞれ用意された料理であった。


 まず、色がおかしい。赤、黄、青が混ざり合いマーブル模様を生み出したそれは料理というよりは芸術か容姿で威嚇をする類の生物が纏う模様のようだ。

 更にツンとした酸い臭いが鼻をつく。

 ナイフを通し、一口大に切り分けてみれば生焼きと表現するべきかも怪しい、どろりとした液状の生地が溢れ出す。辛うじて固形を保っている箇所をフォークで刺して持ち上げればまるで泥を捏ねるような粘着質な音が料理から聞こえた。

 更に断面同士は粘着きのある糸が引いていた。


 最早食べ物と評していいのかも危うい物が二人の前には並べられていた。


(上手い下手以前の問題というか……最早これは料理ではなく悪意の塊と言った方が的確なんじゃ)


 人に食べさせようと思って作った物とは到底思えない何か。人の胃を再起不能にする意図をもって作られたのではと勘繰ってしまうような出来のそれは最早料理とは言い難い。

 人が食べられる物であれば殆ど許容が出来るルカであったが、人体に悪影響を及ぼしそうな物を食すことを強いられている現状には流石に強い抵抗感を覚えていた。


 だが、イザベラの視線や笑顔からは自分の振る舞う料理を食べてくれる期待――否、期待を通り越した圧を感じる。

 イザベラは一応上司に当たるのだ。下手に相手の反感を買って機嫌を損ねるのは避けたい。


(仕方ない……。食べるまでこの時間も終わらないんだろうし、さっさと食べ切るのが一番手っ取り早い)


 ルカは自分の口を押さえる手を払いのけ、切り分けたホットケーキをゆっくりと口元まで運ぶ。

 どれだけ観察しても人の食べ物とは思えないそれを、ルカは意を決して口に入れた。


 口の中に広がる味は最早認識できない。粘つく食感と口内を満たす液状の記事。それに溶けきっていない粉の塊の存在が大きく主張をする。

 主張の強い食感の情報によってホットケーキ本来の味は殆ど打ち消され、代わりに舌の上を刺激するのは強い酸味と苦味。特に酸味の強い刺激はやがてひりつく痛みとなって舌が痛みを辛さと誤認する。

 最早味覚がどこまで正しく機能しているのかすら判別が付かない料理を喉奥へ流し込んだルカは心を無にしたまま二口目、三口目とホットケーキと呼ばれた何かを口に運んだ。


 咀嚼は最低限に。何かを感じるより先に少しでも早く喉奥へ押し込もうと食べ続けていたルカはしかし、半分程まで何とか食べ勧めたところで大きな目眩を覚える。


 独特な異臭と味に冒されてか、体が異常を訴え始め、身の危機と醜態を晒す前兆を感じたルカは勢いよく立ち上がる。


「…………すみません、離席します」

「ああ……ルカくんでも駄目だったかぁ……」


 ルカの隣に座るエミリオはホットケーキを数口食べたまま顔を引き攣らせながら食べる手を止めている。

 

 小さく呟かれたエミリオの声に反応する余裕もなく、ルカは早足でダイニングルームから出る。

 閉めた両開きの扉にもたれ掛かり、深々と息を吐いた彼は次の瞬間、全速力で廊下を走り出したのだった。


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