Case6-2.『学校へ行く方法』
その後もルカとレーナは何気ない話を続け、気付けばテーブルに並んだ皿はどれも空になる。
「ところで、本当にこの後もお勉強でいいんですか?」
「うん」
「わかりました。ただ、根を詰めてやるのは帰って効率が悪いですし疲れてしまいますから、無理のない範囲に留めておきましょう。定期的に休憩も入れます」
「それでいいわ」
ルカがそのままにされていた配膳ワゴンへ食器を重ねて置く。
そして広がるスペースにレーナは自分から勉強道具を広げた。
時折片付けやおやつを運びにやってくるエミリオやイザベラに声を掛けられたり、休憩を挟みながらもレーナは着々と問題を解き進める。
今日はこのくらいにしようとルカに声を掛けられたところで、レーナは既に窓の外では日が暮れていることに気付く。
何かに打ち込む事、達成する事に喜びを覚え、僅かな自信がレーナの中に生まれる。
満たされた気持ちを抱えながら、レーナがソファの上で一つ伸びをしているとルカが何かを考え込みながら赤ペンを持つ。
まさかとレーナが思い至ったのは昼間のエミリオの落書きだ。彼も同じように何か描いてくれるのではと期待し、ノートを見つめながらその時を待つ。
やがて真剣な面持ちでその時を待つレーナの期待に応えるように、ルカがノートにペンを走らせた。
慣れた手つきで素早く滑るペン先。
瞬く間に、ページの上には猫が生み出された。
まごう事なき猫。そのリアリティと技術は美術的な観点から見ても褒められるべき出来栄えであった。
最早正解を示す丸の要素は殆ど存在しないが、その代わりに赤ペンだけを用いた落書きとは思えない完成度の猫がノートに現れる。
だがそれを見たレーナは何故か複雑そうに顔を顰めた。
「……可愛くない」
「え?」
「エミリオの描いた猫の方が可愛い」
「そ、そんな馬鹿な」
どこからどう見てもルカの絵とエミリオの絵の完成度の差は明らかだった。
だがレーナは適当な感想を述べている訳ではない。本心から自身の好みを明かしていた。
(こ、子供の考える事がわからない……っ)
子供の性質を上手く理解したと思った次の瞬間にはルカの予測の範疇を越えた反応をレーナは見せる。
レーナの感性が理解出来ないルカはその場で呆然とするしかなかったのだった。
レーナがルカに心を許し、勉強を始めてから一週間が経った。
習慣になりつつある学習にレーナが嫌がる事もなく、知識も順調に定着している。
「この範囲も問題ありませんね。レーナ様は元々呑み込みが早いですし、この調子なら学校へ行ったとしてもすぐに追いつけるでしょう」
「……そんなこと言っても行かないわ」
(まだ行く気にはならない……か。けど、興味自体は出て来ている)
レーナは学校という言葉を出される度に自分の意志は変わらないと主張する。
だが指導の仕方や勉強に対するストレスを避ける工夫をルカが凝らした事もあり、学習という行為自体はレーナも随分と気に入っていた。
だからこそ新しい事を本格的に学べ、且つ自分の学習結果を他者と競う事の出来る環境は興味を引くのだ。
「そうですか」
(知識欲が出てきている。それに褒美や称賛も嬉しく思っている姿は見て取れる。……これを上手く利用すればその気にさせる事も出来るかもしれない)
ルカは大人しく引き下がるふりをし、ノートに兎を描く。
勉強初日に描いた猫に比べれば随分と簡略化された形の兎。これはレーナが可愛いと判断する絵が現実感を無視した物である事に気付いたルカが様々な手段を講じて生み出した絵柄であった。
「まあまあね」
「これでもまだ駄目なんですね……」
現実を追い求め過ぎない、所謂デフォルメした絵という物の違和感はルカにとってすぐに拭い取れるものではない。
ルカは自分が見た事のあるものであれば大抵のものを絵に起こす事が出来る。だがそれ裏を返せば自分が見た事のないものは上手く形に出来ないという事だ。
調べて出て来た画像を真似すれば済む話ではあるのだが、技術面に於いて誰かに劣る事を嫌うルカはそれを良しとしなかった。
「可愛くはなって来てるわ」
「そうですか」
(まあ、今考えるべきはこれよりも登校の問題だな)
イラストの問題はあくまで勉強のおまけのような物だ。ルカの中でそれよりも高い優先順位を誇るのは勿論レーナの不登校問題であった。
(段階的に出来ること増やし、それを乗り越える度に褒めるという手法が有効だという話は本にも書いてあったし。一先ずは、そうだな……)
「レーナ様、息抜きついでに散歩へ行きませんか」
「構わないけど、どこに行くの?」
「学校、と言ったら……まあ、そうですよね」
レーナはあからさまに顔を顰める。
そして隣に座っているシアの腕にしがみ付くとルカの提案を無言で拒絶する姿勢を取る。
予想通りの反応に、ルカは息を吐く。
「まあ、聞くだけ聞いてください。何も急に登校しろって話をしたい訳ではないんです。俺の気持ちは以前伝えた通り変わっていませんから」
レーナはルカに心を許した日の事を思い出す。
ルカはあの日、無理を強いて登校させたい訳ではないという話をした。そしてそれは今の提案でも考慮していると彼は言う。
「一度学校の前まで行ってみませんか。通学路を歩くだけで構いません。行ってみたら気持ちが変わるかもしれませんし」
「……それはないわ」
「じゃあただの散歩のつもりでいいですよ。もし学校の近くへ行く事さえ嫌だという話でないのならば、に限りますが」
レーナにはシアの傍にいたいという思いの他、多少の意地もあった。
学校への興味は生まれて来ているがそれを素直に認められないのは今まで学校というものを頑なに拒絶して来た手前、今更気になるとは言い難くなってしまったからでもある。
「レーナ様が首を横に振れば以前のお約束通り、この提案はなかったことにします。無理をさせたい訳でも不快な思いをさせたい訳でもありませんから」
ルカは最終的な判断をレーナへ任せ、一度口を閉ざす。
緑の瞳が静かにレーナへと向けられる。
レーナは近くから見つめられる事に若干の気恥ずかしさと後ろめたさを覚える中、彼から視線を逸らしつつ頷いた。
「……散歩くらいなら」




