Case6-1.『学校へ行く方法』
物思いに耽るルカの前で、レーナは用意されたスープをスプーンで掬ってゆっくりと口へ運んだ。
シアの食事もレーナの食事の隣に並べられてはいるが、それに本人が手を伸ばす様子はない。
その代わりにとレーナは自分の食事の合間を練って頻繁にシアの食事を彼の分のカトラリーで取り、その口まで持って行く。
そうして漸く彼は僅かに口を開いて運ばれる料理を受け入れた。
ルカは手早く食事を摂り終えると、レーナとシアの食事風景を観察した。
歩く死体である流浪者に食事は必須ではない。エミリオのようにある程度の自我が確立していれば嗜好品の一つのような扱いで飲食を楽しむ事もあるが、無理に摂らなければならないような物ではない。
レーナがシアへ食事をさせるのは彼女自身の気持ちの問題が強かった。
(恐らくはシアさんを普通の人間として扱いたいという気持ちの表れだろう)
理屈ではなく、感情の問題。
それはルカにとって共感は決して出来ない領域ではあるが理解は出来た。人の大半は感情を切り離せない生き物であり、合理性に欠ける選択をする。
そしてルカは共感は出来ないが仕組みは理解できる人の心理を利用し、実際に何人もの命を手に掛けてきたのだ。
「食べるのが早いのね」
「まぁ……」
食事に娯楽を求めないルカにとって、それは作業に等しいものであった。
時間の無駄を省く為に物を胃に流し込む、それだけの行為。
一方のレーナはまだ発達も未熟で一口も小さい上、度々シアの面倒も見ている。食事の速度に差があるのは当たり前の話であった。
レーナがルカへ声を掛けたのは会話の糸口を見つけようとしたが故の事だった。
だが、ルカはそれに曖昧で短い返事だけを返してしまう。
会話が途切れたその場には何とも言えない空気が漂った。
(今のは良くなかったな)
子供が相手である事、そして一度意図せず形で泣かせてしまった経験。それらがルカを慎重にさせる。
だが素っ気ない態度が大人子供に拘らず好まれないというのは常識だ。
「レーナ様はお好きな食べ物などはありますか?」
「パンケーキ」
「甘いのがお好きなんですね」
午前の勉強を始める前、ルカがホットミルクを持って来るとレーナは蜂蜜を淹れたがった。
それを思い出したルカの言葉にレーナは小さく頷く。
「何度か、厨房を使って皆んなで作った事があるの」
「へぇ。じゃあ思い入れが強いのも理由の一つなんですか?」
「うん。……ルカは?」
「俺は」
ルカは言葉を詰まらせそうになる。
好物はない。だがそう答えれば会話は途切れるし、レーナが望んでいるのは具体的な料理名である事も理解していた。
「甘い物は好きですよ。強いて上げるならケーキとか」
「……少し意外」
「そうですか?」
不自然に声が途切れぬよう、そして考える時間を稼ぐ為の言葉を選んでからルカは偽りの好物を上げる。
若くは見えるが落ち着いた雰囲気のルカと甘い物が上手く結び付かなかったレーナは最初目を丸くした。
「ケーキも好きよ。お揃いね」
「そうですね。今度機会があれば買いに行ってみましょう」
「良く買ってもらうお店があるの」
「そうなんですね、俺も知りたいです」
「今度教えてあげるわ」
レーナは上機嫌になってはにかむ。レーナは心なしかそわそわとしていて、今交わした約束が果たされるその時を心待ちにしているようであった。
ルカの感情が常に一定で動いていない事や彼が偽った言葉にレーナは気付いていなかった。
(……ほら、やっぱり大した事はない)
最初は理屈が通用しない子供に苦手意識を抱いていたルカだが、一度レーナを懐柔させた事でその印象も大きく変化していた。
一度失敗しているからこそ油断は出来ないが、それでも子供と接する事が必要以上に身構える必要のない物だと彼は判断した。
(単純で浅はかで、わかりやすくて扱いやすい。頑固ではあるがそれを理解した立ち回り方さえしていれば問題もない。何も気負う必要はなかったな)
行きつけのケーキ屋にはどんなケーキが置いてあるのかという話から定期的に変わる季節限定のスイーツがあるという話まで、レーナは自分が気に入っているケーキ屋の話を暫く続けた。
上機嫌なレーナの話に相槌を打っている最中、ルカの視線はふと室内の内装へ向かう。
これまで締め出されていたせいで部屋の中の様子を確認する機会を失っていたのだ。
万が一に備えて、物の配置などは頭に入れておこうと考えたルカであったが、暫く動いていたその視線はふと一つの物へ集中する。
「あの植木鉢が気になるの?」
「……あ。まあ、はい」
窓際に置かれた一つの植木鉢。
そこに植わった一輪の花はとうの昔に枯れ、茶色く変色したまま萎んでいた。
「新しいものに変えないんですか?」
「うん。あれはいいの。あれは……シアが初めて咲かせてくれたお花だから」
同意を求めるように、レーナがシアの顔を見上げる。
彼の頬を撫でる少女を視界の端に留めながらルカは枯れた花を見つめ続けた。
「シアさんには園芸の趣味が?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるわ」
「……どういう事ですか?」
「シアって、植物を育てる事だけは駄目なのよ」
「ああ……植物をすぐ死なせてしまうっていう事ですね」
「そう。他の事なら何だって器用に熟すのに」
過去の事を思い出し、レーナがくすくすと声を出して笑う。
彼女はまだ学校に通っていた時のことをルカへ話した。
アサガオを育てる課題があった時、レーナはそれなりの達成感を覚えた。
そしてシアは無事に花が咲いたことを喜ばしく思うレーナを見て、彼女は花が特別好きなのだと勘違いしたらしい。
そしてレーナが望むのであればいくらでも用意しようと啖呵を切ったものの――何をどうしたのか、一切花を咲かせることが出来なかったようである。
「いつの間にか、シアが新しく植えた種や植木の様子を見るのが日課になっていたわ。彼が植物の世話をするのを私が見張るの。……それでも枯らしてしまうんだから、見張りなんて無意味だったと思うけど」
「でも、きちんと咲かせる事が出来るようになったんですよね?」
「そうよ。けど、それだってただの一回の奇跡に過ぎなかったかも。克服した、なんて断言はできないわ」
ルカの問いにレーナは苦笑する。
肩を竦めた彼女は呆れたような面をしながらも切なげに瞳を揺らす。
「シアがお花を咲かせてくれたのは、あれが最初で最後だったから」
下手に何か声を掛けるべきではないだろうとルカは判断する。
感傷に浸るレーナを静かに見守っていれば、彼女は再び話し始めた。
「私ね、シアよりもよっぽど喜んだわ。……気付かないうちにシアがお花を咲かせてくれるのを楽しみにしてたのね。それにお花を二人で見守るのも、今度こそなんて意気込むシアをちょっとからかうような毎日も、きっととても気に入っていたの」
ねぇ、とレーナがシアに同意を求める。
返事はない。分かり切った反応でもレーナは満足そうに微笑むのだった。




