Case5-7.『子供を手懐ける方法』
ルカの口から零れた言葉にレーナは目を見開く。
明確な返答はない。だがその動揺こそが答えであるとルカは踏んだ。
「レーナ様は自分が死に掛けたり、身近な方が死んでしまうような……命の危機を身近に感じる経験を幾度となく重ねて来た。そうですよね」
ルカはゆっくりとレーナへ歩み寄る。
そしてソファの前まで辿り着くと未だ視線を落としたままであるレーナの顔を覗き込んだ。
「制止の狭間に立たされる恐怖も勿論あるかと思います。けど、そういうレーナ様の気持ちをひっくるめて、理解してくれる方がいないという現状が寂しいのではないですか?」
――怖くて、寂しかったんですよね? 一人で頑張って来たんですよね?
かつて、自分に掛けられた声をレーナは思い起こす。
彼は今のルカのようにレーナの顔を覗き込み、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「『大変だったんですね』」
記憶の中の彼と目の前にしゃがみ込むルカの声が重なる。かつて、レーナの気持ちに気付いた青年とは打って変わった感情の乏しい顔で、けれどレーナが求めた言葉をそっくりそのままルカは口にしたのだ。
目の前にいるのはかつての彼とは似ても似つかない相手。だがそこに過去の面影を見たレーナの目が潤み始める。
唇を強く引き結び、目に溜まった雫を零すことは何とか堪えながら、レーナは暫く口を閉ざしていた。
涙を堪えている間、ルカは何も言わない。優しい声掛けも、ハンカチを差し出したりといった気遣うような動きも見せない彼は、今この場でレーナが求めているものが行動ではないことすらわかっているようであった。
ただ何も言わずに静かに見守り続ける。何も言わずレーナの気持ちが落ち着くのを待つルカの姿勢こそ、今のレーナにとって何よりありがたいものであった。
やがて昂った感情が落ち着きを取り戻し、目に溜まった涙が鳴りを潜める。レーナは一つ深呼吸をしてから、引き締めていた口の力をゆっくりと緩めた。
「……勝手にして」
「はい?」
未だルカと視線を合わせようとしないまま、レーナが小さく呟く。
それをルカが聞き返せば、レーナは二度も言わせるなと不貞腐れたように口を尖らせ、逃げるようにルカから背を向けた。
「新しい使用人として働く分には勝手にすればいいってこと。仕事に必要なら、今後は部屋の中にも入れてあげるわ」
「ありがとうございます」
今後は閉め出すことをやめるというレーナの言葉は表情こそ変えなかったルカに確かな安堵を与える。
だが、これでは来日初日に戻っただけ。関係やレーナの現状に進展を持たせる為にもルカはもう少し粘らなければならなかった。
「レーナ様。既に寛大なご配慮を頂いた上で……。大変厚かましいことではあるのですが、ご了承いただきたいことがあります」
「何?」
「学校についてです」
レーナの纏う空気に緊張が走ったことをルカは見逃さない。
相手の気が変わり、すぐに退出を命じられることがないようにとルカはすかさず続きを述べた。
「レーナ様のお世話も任されている立場である以上、俺はこのことについて口を出さなければなりません。ただ、この一週間考えて……レーナ様のお気持ちから目を逸らし、無理矢理学校へ向かわせるということは正しくないとも思ったんです」
レーナは警戒の眼差しをルカへ向ける。
だが相手の言葉に耳を傾ける内、自分へ向けられた言葉が単純な批判による物ではないことを悟る。レーナは口を閉じたままルカの様子を窺った。
「無理を強いられている物に意欲的に取り組めというのは無理な話ですし、勉学というものは特に、積極的に取り組む方が吸収するものも多いはずです。そしてレーナ様が登校に対し、前向きな気持ちを抱いてくれることは俺達にとっても望ましいことでもあります。……ですからこうしましょう」
ルカは一つの提案を持ち掛ける。そしてそれはレーナが思わず口を挟んでしまうような意外な内容であった。
「俺はこれから何度も、レーナ様が学校へ向かえるよう提案させていただきますが……ご自身が学校へ行けると思えるようになるまでは、俺の提案を拒否してくださっても構いません」
「そのやり取りって、意味があるの? 一生行かないって言い続けてもいいの?」
「俺の提案全てが受け入れられない物であるのなら、そうしてくださって構いません」
意地の悪い質問であると理解しながらレーナは口を挟む。だがそれは拍子抜けする程あっさりと肯定されてしまった。
「俺は、無理を強いること無く、レーナ様が自分から学校へ行ってもいいと思える方法を見つけたいと思っています。そしてその為には、レーナ様のお気持ちを伺わなければならない。だからレーナ様のお力もお借りしたいんです」
ルカは誠実さが伝わるよう慎重に言葉を選んでいく。
そして彼の努力は少なからずレーナの心を動かす要因となっていた。
「何故その提案を嫌だと思ったのか、どう感じ、拒絶するのか……ただ嫌だと切り捨てるのではなく、そう思った理由を教えて欲しいんです」
目を離さず、真っ直ぐと自分を見つめ続ける視線。
レーナもまた、迷いを見せた後、僅かに視線を持ち上げてルカの顔を見た。
相も変わらず表情の読めない鉄仮面。だが逸らされることがない視線だけはルカが決してその場凌ぎの薄っぺらい言葉を並べているだけではないことを伝えているようであった。
「……勝手にして」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
声掛けの一切を遮り、耳を傾けず、強く拒絶し、閉め出した。手酷い扱いを受けて尚、諦めること無く言葉を尽くし、それどころかレーナの意志に寄り添おうとした。
そんなルカの姿勢はレーナが彼に抱いていた気持ちを大きく変えることとなった。




