Case5-2.『子供を手懐ける方法』
ルカの背中を見送りながら煙草をふかしていたイザベラは、彼が曲がり角を曲がって姿を消したところで口を開いた。
「盗み聞き?」
「うわっ」
驚いた声は壁にもたれるイザベラの背後、換気の為に開けられた窓から聞こえたものだ。
イザベラはそちらを振り向き、意地悪く笑う。
窓の先、息を潜めて様子を窺っていたエミリオは驚きから顔を強張らせた後に拗ねるように口を尖らせる。
「気付いてたなら言ってくださいよぉ」
「彼も気付いていたわよ」
「うわ、何で皆無視するのさ。邪魔しないようにボクなりに気遣っただけなのに!」
「変にこそこそしなければいいだけでしょう」
「途中から入り辛い空気だったじゃないですか! 二人とも黙ってるし!」
エミリオが口を開いた途端、その場が賑やかになる。
イザベラは煙草を咥えながら愉快そうに喉の奥で笑った。
自身の所在に気付かれたエミリオは開き直ったように窓の縁に肘をついて身を乗り出す。そして笑っているイザベラの表情を眺めながら口角を上げる。
「彼はどう?」
問いを受け、丸く大きなレンズの下で睫毛が伏せられる。
小さく笑う気配を零しながらイザベラは答える。
「良いと思うわ。私は好きよ」
指で叩かれた煙草の灰が地面へと落ちる。
それを眺めてからイザベラは再び睫毛を持ち上げる。
そこに浮かんだのは笑み。しかし人の好い穏やかな微笑とは打って変わり、邪悪さを瞳に孕んだ表情。
「ああいう、生意気な目をしたクソガキはね」
「うわぁ」
「皮肉じゃないわよ」
イザベラの裏の顔は館の者であれば周知されていることだ。
しかし唐突に吐かれた毒にエミリオは言葉を失い、笑顔を引き攣らせることになる。
その反応を見たイザベラは、一つ訂正を挟んでから普段の振る舞いのように優しく笑う。
「可愛いじゃない。澄ました顔をしているあの子が子供に振り回されてるところ、見ていて飽きないわ」
「あー、まあ……少しわかるかな」
エミリオは廊下ですれ違った時のルカを思い出して小さく吹き出す。
ルカが今日持っていた本は『必見! 不登校の子の心がわかる本』というタイトル。
この一週間、彼が持ち歩いている本のタイトルは定期的に変化するが、その全てがコミュニケーションの向上や子供心を汲み取る為に必要なことを記したものである。
それはルカが自分なりに考えた『人のことを知る』手段の一つなのだろう。
言葉を用いて明確に記された答えを頭の中に詰め込む作業。
それを繰り返しても納得のいく答えが見つからず苦悩する姿。
笑うエミリオをよそにイザベラは短くなった煙草を携帯灰皿へ押し付けた。そして二本目を咥える。
「優秀であるが故に物事全てが自分で何とか出来るものだと思い込む。そういう若さと愚かさって嫌いじゃないの」
煙草の箱とライター、携帯灰皿。
ポケットのないメイド服を着たイザベラはそれらを直接手に持っていたが、煙草に火を灯すにはそれらの荷物が少々煩わしい。
イザベラは煙草の箱と携帯灰皿をエミリオへ見せるように軽く持ち上げる。
「彼って、本来培われるはずであった情緒を疎かにしたまま大きくなってしまった赤子みたい。もしくは急に命を吹き込まれた人形とか」
イザベラの動きの意図を察したエミリオは仕方がないと言うように肩を竦め、手を伸ばす。
その掌に箱と灰皿が乗せられた。
「そんな子がきちんと自我を持った子供と仲良くしようったって、上手くいくわけがないのは当たり前」
灯されたライターの火。それに擦り付けられた煙草の先が煙を上げる。
指の先に挟みながら二本目の最初の一口をイザベラは堪能する。
そしてうっすらと笑みを浮かべながら、赤い紅に彩られた唇から煙を吐き出した。
「だからこそ、面白いと思うわ。彼がレーナ様との距離を縮めることが出来た時、どれだけの変化が彼を待っているのか」
煙草を唇の隙間へ戻し、エミリオに預けていた二点セットを受け取るイザベラ。
彼女はライターと灰皿を同じ手に握り、もう一方の手で三本目の煙草の半身を箱から出す。
そしてそれをエミリオへと差し出した。
「いる?」
「遠慮しときますよ」
だがエミリオは首を横に振る。
意外だと眼鏡の奥で瞬きを繰り返したイザベラだったが、すぐに何かを思い出したように頷いた。
「……ああ」
三本目を箱へしまい直し、目を細める。
再度煙草を口から離したイザベラは深く息を吐き出した。
「そういえば止めたんだったわね」
上る煙を追うように空を仰ぐイザベラ。
その瞳は景色を映しながらも、その更に遠く離れた場所を見ているかのように細められていた。