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Case1-1.『平和な国での襲撃』

 行き交う人々、出発時刻を告げるアナウンス、休憩所や喫煙所を設けられた広々としたスペース。

 日本の地へ降り立ったルカは自身のキャリーケースと楽器ケースを確保したまま肩を震わす。


(あの、クソジジイ……)


 ルカはこめかみの血管を浮かび上がらせ、口を戦慄かせる。

 その脳裏で過るのは上司によって語られた日本異動の詳細。


(何が『その腕を見込んだ故の決断だ』だ。あれだけ念を押されて引き受けた仕事がこんなものだなんて……)


 スマートフォンの画面に記された場所へ移動を開始しながらもルカの機嫌は収まらない。元より思っていることが顔に出にくい性質により、その感情が表に出ることは少ないが、彼の胸の内には上司に対する苛立ちが募っていた。


(場所は……あそこか)


 キャリーケースを引きずって歩き出したルカが目指すのは前方に見える時計台だ。

 屋内で良く目立つそれは空港内で待ち合わせをする人々にとってはメジャーな場所なのだろう。時計台周辺には多くの人が集まっている。


 連絡手段がスマートフォン一つであれば合流にも骨が折れたことだろう。

 しかし合流相手には容姿を含めた情報が行き渡っていると聞かされているし、ルカ自身も顔を合わせることになる相手の情報は頭に入れている。

 故に合流にはそこまで手間取らないだろうと考えながら時計へと近づく。


 しかしその足はすぐに止まった。


(……視線)


 自身の死角から感じる視線。職業柄、他者の気配に敏感になっているルカはそれが敵意を持ったものではないと悟りながらも本能的に振り返る。


「ルカ・ヴァレンテさんでお間違いありませんか?」


 同時に低く、落ち着いた声がルカの名を呼ぶ。その言葉は母国――イタリアのものだ。故にルカは声の主を視界に入れるよりも先に相手が同志であることに感づくことが出来た。


 ルカの視線の先に立つのは質の良い執事服に身を包んだ初老の男。

 アルノルド・テレジオ。ルカの属するマフィア組織、ラフォレーゼファミリーの一員。

 事前に与えられた情報を基に目の前の人物の正体を明らかにする。


「アルノルドさんですね。初めまして」

「初めまして」


 愛想笑いの一つも浮かべることなく、小さく会釈を返すルカ。一方でアルノルドの方は微笑を湛えながら丁寧なお辞儀を一つした。

 頭を下げた互いの視線が再び交わったのを確認してからアルノルドは一歩脇へと逸れる。

 そして自分の背後に隠れるようにして立っていた人物を片手で示した。


「そしてこちらがレーナ様とその世話係のレイ・シアです」


 右目を眼帯に隠した黒髪の青年と、その陰に隠れるように彼の腕にしがみ付く金髪の少女。少女の服は黒が基調となりレースが至る所にあしらわれている、所謂ゴスロリ服と呼ばれるものである。

 どちらも一風変わった容姿にルカは目を見張る。レーナ・ラフォレーゼもレイ・シアも事前情報として報告書に目を通してはいたが、ルカが確認していた写真とは大きく異なった印象を与えた。


 しかしいつまでも驚いている訳にもいかない。

 ルカはレーナへ深々と頭を下げる。それはアルノルドに対して向けた会釈よりも深く、敬意を示すものだ。


「お初お目に掛かります。ルカ・ヴァレンテです」


 頭を下げながらも、レーナの様子を盗み見る。

 彼女はシアの腕に絡んだままルカを見据えていた。その顔に浮かぶのは人見知り特有の怯えや狼狽えではない。

 眉間に刻まれた皺はルカを嫌悪と蔑みの対象として見上げていた。

 そのことに疑問を覚えながらもルカは挨拶を続ける。


「本日よりレーナ様の側仕えと護衛として――」

「いらないわ」


 必要事項を淡々と話す声は幼い声に遮られる。

 可愛らしい高音でありながらも強い意志を以てはっきりと伝えられる言葉。

 それに話すことを止め、相手の顔色を窺うように顔を上げれば、未だ嫌悪を顕わにしている少女が再び短く言葉を吐いた。


「この人、いらないわ」

「レーナ様、そうは言いましても……」

「護衛も世話もシアだけで十分だもの。代わりなんて、いらないわ」


 優しく宥めるようなアルノルドの声をも少女は容易く切り捨てる。

 シアの片腕を抱きしめる小さな両手には決して放さないとでも言うように一層の力が籠められる。


「帰る」

「れ、レーナ様……!」


 機嫌を損ねたらしいレーナはシアの腕を引っ張って踵を返す。その方向にあるのは空港の駐車場――恐らくはアルノルド達がやって来た方角だろう。

 腕を引かれたシアはルカやアルノルドを一瞥することもなく、されるがままその場を後にする。


「帰っていいってことですか?」

「まさか」


 遠ざかる二つの背中を眺めながら問われた質問に、アルノルドが慌てて首を横に振り、丸眼鏡を押し上げて呟いた。

 その眼鏡の奥の瞳は、困ったように細められている。


「レーナ様はシアのことをとても慕っているようでして……。聡明な方ですから、恐らくは貴方の配属が彼の代わりを務める為のものであることにも気付いているのでしょう」

「なるほど」


 ――だから敵を見るような目で見られていたのか。

 レーナの表情を思い出しながらルカは納得する。

 ルカの隣ではアルノルドが小さく肩を落としていた。


「詳しい話は後程。とにかく一度移動しましょう。レーナ様達を放っておくこともできませんから」

「わかりました」


 レーナとシアを見失わないようにと速足で二人の背中を追うアルノルドを追いかけるルカ。

 その脳裏に、イタリアを発つ前に交わした上司とのやり取りが過る。



***



 上司は穏やかな口調のままルカへ託された任務の詳細を語る。


「君に任せたいのは、我がラフォレーゼファミリーのボスの娘に当たるレーナ・ラフォレーゼ様の護衛だ」

「護衛……ですか。戦闘要員ではない俺では役不足ではありませんか」


 頭脳に優れたルカが得意とするのは分析や心理戦等、主に頭を使う仕事だ。故に体を張る仕事には不向きではないかという彼の問いに対し、上司は首を横に振った。


「いいや。そもそも日本という国は非常に治安が良い。他国への潜伏に比べれば荒事への心配もそこまで考える必要はない。だからこそレーナ様の生活の場として選ばれている訳だ」

「ならば何故改めて護衛を付ける必要が?」

「君が若いからさ」

「……は?」


 珍しく驚きが顔に出たルカの反応が愉快だとでも言うように、上司は喉の奥で笑う。

 年齢とボスの娘の護衛の話がどう繋がるのかという疑問をルカが形にするよりも先に、彼はその疑問へ答えてみせた。


「君には護衛という名目でレーナ様へ近づき、信用を勝ち取ってもらいたいのさ。彼女はまだ幼い。怪しいおじさんよりも若いお兄さんの方が警戒心も薄れるかもしれない」

「そ、それはつまり……」


 上司の言葉の意図に気付いたルカは顔を引き攣らせる。

 それを細めた目で見据えながら、上司は笑みを深めた。


「これも極めて重要な任務だよ、ルカ・ヴァレンテ」


 だからよろしく頼んだと言う上司の声は良く聞こえなかった。


(要は、単に子守りして来いってことだろ……!)


 自分へ与えられた任務の真の意図に気付いたルカは怒りで叫び出さないよう耐えることで精一杯だったのだ。

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