音のない誕生
風が、光の粒を運んでいた。
その粒は音も熱も持たず、ただゆっくりと空を流れていた。
目覚めたのは、祝福地と呼ばれる静かな空間だった。
草は揺れ、遠くでは鳥の影が横切ったが――世界には音がなかった。
少年は、耳に蓋をされたような感覚で世界を見ていた。
生まれたばかりのようなその身体は、汚れてもおらず、傷ついてもいなかった。
ただ、胸の奥にだけ、誰かの声が響いていた。
「……ごめんなさい。あなたを、この世界に落としてしまった。」
不思議なことに、その声だけは――聞こえた。
それは言葉というよりも、感情そのもののような響きだった。
少年は立ち上がる。
名前がわからない。
言葉も知らない。
自分が“何”なのか、
“生き物”なのかもはっきりわからない。
だが、目の前に広がる光景――
朽ちかけた石碑、風化した祈りの紋章、枯れかけた神木の幹――
それらすべてが、「かつて何かがあった」ことを伝えていた。
そして彼の視界には、常に淡い“ゆらぎ”が浮かんでいた。
音も色も持たぬ波紋。
空中に、地面に、彼の掌の上にさえ現れては、すぐに消えていく。
それが“残響因子”であることも、
それがかつて“誰かの生きた証”であることも、
この時の彼はまだ、知らなかった。
──最初に彼が出会ったのは、“名前を失った猫”だった。
その猫は、彼にすり寄ってきて、ただ黙って彼の隣に座った。
一緒にいても、何も変わらない。
けれど、孤独ではない。
それを、彼はこのときはじめて知った。
空が落ちてくるような静けさの中、
少年は歩きはじめる。
声に導かれるように。
記憶のない世界で、自分の音を探すように。