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アクロスザおこた

(gaps which they will fill up with You――君が満たすだろう隙間――)


 野木坂の自宅の便所には、すきまクラブのスローガンが貼ってある。便所で瞑想にふけるのが、彼の日課だった。


 野木坂は蓋を閉めた便座の上で座禅を組んでいる。尻を拭いたあとの便所紙を体に巻いていたのなら、本格的な修行者にも見えるだろう。だが、野木坂は糞便にまみれることを喜ばない人種であった。


 玄関のインターフォンが鳴らされた。野木坂の住む部屋はせまいうえに、壁が薄いので、どこにいてもその音が聞こえる。ときには、隣家への来客を、自分の客と勘違いして、玄関を開けてしまうこともあるぐらいだ。


 そういう事情だから、野木坂が手足をバタつかせて便所で暴れていた音を、下衆な隣人が「イヤらしいわねえ……」と耳をそばだてているっていう小話があるのだけど、どうでもいい話だろうから割愛する。


 野木坂は、便座のレバーを引く。渦を巻いて、吸い込まれてゆく溜まり水を見れば、瞑想でも落ちきらなかった煩悩が消失してゆく。


 便所を出ると、洗面所で手を洗い、玄関へ向かう。


 土間に散乱している靴を、備えつけのシューケースに放りこみ、野木坂は扉を開いた。


「……お久しぶりです。○○生命の三田です」


 野木坂は相手を見定めるように、全身をねめつける。今日の三田はスーツではなかった。下は黒のスラックスで、上は柔らかな素材感のライトグレーのジャケットを羽織っている。ジャケットの下に着たブラウスのレース地が以前より女の子らしく、彼女の印象を柔らかに変えていた。


「どうぞ。上がってください」


 煩悩の消えた野木坂は、快く三田を招きいれる。


「おじゃまします……」


 三田が靴を脱ぐあいだに、野木坂はリビングにもどった。パソコンを操作し、音楽ソフトを開く。再生リストのうちから、〈すきまクラブ〉というアイコンをダブルクリックし、こたつの中に入った。


 三田が遅れて部屋に入ってくる。


 部屋には、バッファロー・ソルジャーが流れていた。安物の香を焚いた残り香があった。三田は思わず、妙な部活に入ってしまった大学時代を思い出した。


(壁紙は黄ばんでないけど、ここは、あのときの部屋だ……)


 趣味ではないレゲエミュージックを、半強制的に聞かされる毎日はつらかった。クラブハウスの脇にある室外機の上では、葉がギザギザとした怪しい植物が育てられており、何度もサークルをやめようと思った。


(なんでやめなかったんだっけ?)


 ボブ・マーリーが水牛兵の戦いを歌っている。昨日まで兵隊でなかった男が、外国産の銃をある日渡されて、敵を撃てと言われる。


――ウォイ、ヨイ、ヨイ、ヨ。ウォイ、ヨイ、ヨイ、ヨ


 自然と体が横に揺れる。


「野木坂くん……正直に言ってほしいんだけど、うちの保険に入る気ないでしょ?」

「ないです」

 

 迷いのない返答に、三田はせんべいを喉に詰まらす。


「だよね……大学生に保険は必要ないもんね……」

「まず、必要ないですね」

「どうしようかな……。ボブ・マーリーで踊る?」


――ウォイ、ヨイ、ヨイ、ヨ。ウォイ、ヨイ、ヨイ、ヨ


「いやです」

「じゃあ、話す」


 帰るという選択肢もあった。だが、次の訪問先に向かう気分でもない。目の前の男が、恰好の話し相手とは考えられないが、それでも三田は、誰かと話したい気分だった。


「野木坂くんは、なんで、すきまクラブに入ったの?」

「……小さいころ、布団が敷き詰められた押入れで、よく昼寝をしました。そのせいです」

「えっと……トラウマとかじゃないよね?」

「違います。すきまは、人間の想像力を加速させるんです」

「ああ……わかる気がする。『おしいれの冒険』とか、好きだったでしょ?」

「いえ、嫌いです。『いやいや園』のほうが好きです」

「何それ……あまのじゃくなの? お姉さん、怒るよ」

「おしいれの冒険は、でか過ぎて、本棚に入らなかったから……」

「ああ、なるほど……それならわかる」

「まだ、あるの? あの……訳のわからない意見交換」

「ありますよ」

「今からやろうよ」

「いいですよ」


「一歩、外に出れば、七人の敵がいるのか?」

――いや、もっといるだろ。

「すりガラスの向こうには、戦場が待っているのか?」

――んなこたない。雑踏だけだ。

「キムチは、なぜ腐る?」

――腐りきってないからだ。

「ラッパ型のすきまは、入り口なのか出口なのか?」

――はけ口だよ、妄想の。

「このあいだ、イイ感じの人に、言い寄られたんだけど……」

――うるせえ。クソして寝ろ。

――お前こそ、オナニーして寝ろ。


 その日、すきまに関する意見交換は、遅くまで続いた。

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