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あかいひめとねがいごと

作者: 秋月茉依

『ねぇ、更紗?』

 妖艶な雰囲気をまとった少女が妖しく笑って女の名を呼び、その手を取る。

 細腕から覗く白磁より白い腕には、びっしりと鱗が生えていた。腕よりも更に細々とした指の隙間は水掻きで覆われ、指先にかけて朱色に染まっている。

 女は自分の手よりも小さく、人間のそれとは呼べないような代物に小さく悲鳴をあげそうになりながらも、すんでの所でそれを飲み込んだ。

 人ならざるものと自称するその少女は、若干の怯えと憤怒を滲ませながら退こうとする女を逃すまいと自分に引き寄せて愛しそうに笑う。

 そうして、可愛らしく笑いを含ませた声で女の耳元でささやいた。

『あたしの小さなおひいさま? 約束したでしょ? その力を、私たちに貸してくれるわよね?』



あかいひめとねがいごと



 女は外見はほかの日本人とはほとんど変わらず、艶やかで長い黒髪に、可愛げのないつり目も黒色だった。

――だが、女は物心ついた時から少しみんなと違っていた。

 他の人には何も見えないし何も聞こえない。そんなところに、何かがいるのが見え、話しているのが聞こえる。

 それは害をなさないようなとても可愛らしい姿をしたものだったり、癒される存在もいた。しかし、目を合わせてはいけないものだったり、女をかどわかそうとしたりするものだったり、食べようと目論むものだったり、様々な危険にも同時に曝されてきた。

 女にとって視えるそれらは、ひどく危険なものの方が多かった。女はそういう存在が怖くて怖くてたまらなかった。女はそういった存在から好かれる雰囲気をしていたらしく、食べられるために狙われることが最も多かったからだ。

 それなのにいくらあそこに危険なものがいると、怖いと伝えても、そういう存在を周囲はまるで信じてくれなかった。

 見えないのだ。そこにいて、視え、聴こえ、感じるのは確かだというのに。

 むしろ女を気味が悪い子、不思議な子と言うのはざらだった。嘘つきなんて罵られることも、いわゆるいじめの標的になることさえあった。

 同じ子どもも、その保護者である大人も、女の親であるはずの男女さえも、女の戯言だと、気を引くためにやっていることだと判断した。幼き日の女にとってその否定の重さは心に深い傷を残した。そうして、自分の言う事を信じてくれない者に囲まれて幼少期を育った女は、小学校に上がってしばらくした頃そういう存在が見えてはいけないのだと、その存在を無視するようになっていった。

 知らないほうがいいことも、幸せなこともあるのだ。

 そう信じて、行動してみた。そうすると、どうだろう。

 それに伴ってかなのかはわからないが、あやかしと呼ばれるものの類たちは不思議と襲ってくることも無く、美味しそうと遠くから見ているだけになった。近寄ってきたあやかしたちがいたとしても、目を合わせないようにしていれば問題はなかったのだ。

 目を背けてきたこの15年、女は平穏に暮らせていた。

 自分が見えているものが他の人とは違うということを黙っていれば、友達もできた。今はいないが、恋人もできたりした。

 今は遠くに住む両親が、変なことを言わなくなった女を見てとてつもなく安心していた。あの急に優しくなった両親の歪な笑顔を、今でも忘れられない。

 勉強はそこそこ、少し頭のいい大学で過ごし、無難なところに就職をした。

 本当のことは言えずゆっくり歪に成長していったため、性格は多少歪んでいるが、それ以外は平々凡々。そう形容してもいい平穏な人生。充実はしなくとも、たとえ心根を理解をしてもらえなくとも、女はその平穏を謳歌していたのだ。

 だというのに。

「……最っ悪」

 女――鬼灯更紗は目の前の光景に舌打ちせんばかりの声音で呟きを漏らした。

 目の前には、真っ赤な鳥居に囲まれた階段が奥に続いていた。周りは木々で取り囲まれ、奥深く先までうっそうとしている。その先から聞こえるのは、様々な自然の音だけだ。人工物の音は全く聞こえない。

 街の灯りは見えないのに、星が見えにくくなったはずの空は満天が広がっていた。

 その光景を、美しいなんて思える余裕はない。帰ろうとしていても背後には道がないからだ。まるでそこから世界がぱっつりと切り落とされたかのように後ろの世界は暗闇に包まれている。そこに行ったら一溜りもない。闇に飲まれて消え失せるのがオチだとすぐに分かってしまうような闇。

 その景色をもって更紗は理解したのだ。どうやら、何かしらにかどわかされたらしいのだと。

 公園の近道である池の近くを通っていただけなのに、強い風が吹いて目を開けたらそこは別世界だったのだ。見ないように、知らぬように生きてきた。そうすれば何もなく過ごせていた。だというのに、この仕打ちはないだろう。

 スマホを開いてみるが当然のように圏外だ。これでは助けを呼べやしない。

 嫌な汗が背筋を伝うのも感じながら、更紗は鳥居の奥にあるであろう境内を睨みつけた。

『おいでなさい』

 その憎悪に近い嫌悪の視線に気がついたのか、声が更紗を呼んだ。頭に響くようなそれに、更紗は今度こそ舌打ちをする。

 池の中に小ぶりの石を投げ入れたような高くて細い声音。それが明らかに誘いをかけている。

 これだけの異界に誘うことの出来る存在ならば、相当更紗を欲しがっている強い存在ということが嫌でもわかる。

 逃げられるものなら逃げ出したい。だが、帰ろうと思っても背後は深い深い闇。後ろの道を行ったところで、帰れるとは思えない。

 かといって己の目を隠し続けて生きてきたのだ。神に隠された状態で身を守るすべなど、知る由もない。

 だから仕方なく、境内に向かって歩いていく。一歩一歩の足取りは重く、酷くためらいがちだ。

「……なんでこうなるのよ、今まで襲われなかったのに……」

 恐怖を打ち消すように悪態をつきながら、いままでの何が悪かったのかと首を捻る。だが理由は何も思いつかず、更紗はそれでも何とか赤い赤い鳥居の街道を昇る。

 耳には、石段を踏みしめるじゃりついた足音と自然のさざめきが聞こえるだけだ。このままつかなければいいのにと願っていても、進んでいれば頂上についてしまう。

 赤の先には、これまた赤い建物が見えてきた。おそらく、あれが社なのだろう。

 朱を基調としたおごそかな社は、想像よりも大きく更紗を出迎えた。その中心には賽銭箱と、その上部を彩る紅白の鈴緒と真鍮製の本坪鈴。

 ここが異界であることをわかっていなければ、その神社は美しく、人の目を引く荘厳な雰囲気をまとっていた。

「……なにか、私にご用ですか?」

 たどり着いたその先でそう小さく呟いた途端に、さざめいていたすべての音がひたりと途絶えた。

 まるで連れてこられた更紗の価値を見定めるように、あるいは、品定めするかのように。

 その視線がたまらなく不快で、更紗は恐怖よりもなによりも苛立ちが勝ってしまった。

「早くしてくれる? 待つのは好きじゃないの」

――かろんかろん!

 苛立ちに任せた言葉と同時に目の前の鈴が揺れる。無音から突然響き渡ったそれに、更紗はびく、と身体を震わせる。

「……礼儀を守れってことね」

 大きな大きなため息をひとつついて、更紗は手水舎を探す。すると、鳥居の下にそれはあった。

 木製の柄杓を手に取り、清らかな水を掬う。手にそれを流してみると、その水は氷でも入れているのではないかと感じるくらいに、酷く冷たかった。その冷たさが異界のものだと証明しているようで、更紗はなんとなく口に入れるのは嫌で、口に含むふりをしてその水を流し、もう一度境内へ向かった。

 自身の財布から五円を取り出し投げ入れて、鈴を若干乱暴にならす。

 二礼、二拍手。 

 神社ならば、礼儀は守るのが筋なのだろう。そう考え、更紗は頭の中に願いを思い浮かべる。

――こんな風に連れ去られても私には何もできません。私をここから現世にお返しいただけると嬉しいです。

 そうして、目をあけ一礼する。これで帰してもらうことはできないだろうかと切に願いながら。

『何言ってるの更紗、なにか、できるわよ?』

 ちゃぷんっ、と水に意思を投げ入れた時のような音とともに、幼い女の子の声がして振り返る。

「なッ……」

 そこに立っていたのは、人ならざるものだった。今ではほとんど見かけることも無い上等な錦を着たその女の子は、異質な存在だとすぐにわかる姿かたちをしていた。

 白と朱がまだらに入るおかっぱの髪に白磁よりも白い肌。瞳は可愛らしくて大きく丸い黒だが、ぎょろりとこちらを見つめるその瞳にも、薄く笑う唇も真っ白に塗られていて生起を感じることができない。だが、更紗はそのバケモノから目を逸らすことができない。

『ねぇ、更紗?』

 妖艶な雰囲気をまとったが妖しく笑って女の名を呼び、その手を取ったから。

 細腕から覗く白磁より白い腕には、びっしりと鱗が生えていた。腕よりも更に細々とした指の隙間は水掻きで覆われ、指先にかけて朱色に染まっている。

 女は自分の手よりも小さく、人間のそれとは呼べないような代物に小さく悲鳴をあげそうになりながらも、すんでの所でそれを飲み込んだ。

 なぜ名前を知っているのか、や、この存在は何か、という考えが浮かんでは霧散する。うまく思考がまとまらない中更紗は何かを言おうとしたが、はく、と吐息だけが漏れて言葉が出てこない。

 人ならざるものと自称するその少女は、若干の怯えと憤怒を滲ませながら退こうとする女を逃すまいと自分に引き寄せて愛しそうに笑う。

 そうして、可愛らしく笑いを含ませた声で女の耳元でささやいた。

『あたしの小さなおひいさま? 約束したでしょ? その力を、私たちに貸してくれるわよね?』

 こぽこぽと水音が混じるようなその声に、更紗は平静を装って尋ねる。

「……あー、その、キミ、は、何?」

『なにって? 私は――』

「あーいや、いいや言わなくて、どうせあやかしかなにかでしょ? 私をここから逃がしてくれない? 食べても美味しくないから」

 その言葉に、目の前の少女は嫌悪感をあらわにした。

『あやかし? あんなのと一緒にしないでよ、失礼ね!』

「……じゃあ、何者?」

『あたしは神様のつかいよ! すごいでしょ? もっと敬いなさい!』

 堂々と胸を張り、異形は誇らしげに宣言する。更紗は首を振り、有り得ないと言ったように眉をしかめた。

「はー、神様のつかい、ねぇ……」

――これはもう幻覚幻聴の類ではないだろうか。疲れているかもしれない。もしくは死んでしまったんじゃないか?

 呟いた時に更紗はそう感じたが、その思考も読んでいるのか、少女の朱色の眉が吊り上がった。

『あたしを妄想幻覚呼ばわりしないでよ、鬼灯更紗。あたしが見えててあたしの声が聴えるのだから、それは現実でしょう!』

「っ、なんで名前知ってるのッ?」

 頬を膨らませながら不機嫌になる少女の言葉に、更紗は焦ってそう聞く。背中にぶわりと鳥肌が立ち、全身に冷や汗が一気に広がる。

 目の前のこの少女に、自分の真名を握られている。それがどういうことか、更紗は知っている。大学の時に気まぐれに見学に行ったオカルト研究室で聞いたことがあるからだ。

 真名を取られるということは、命を握られているのと同等だと。

 更紗の焦燥とは裏腹に、少女は無垢そうな顔で首をかしげて、こともなげに言葉をはなった。

『だってあなた、あたしの元飼い主じゃないの、忘れたとは言わせないわよ?』

「…………は?」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。元飼い主とはなんの事だ。動物を飼った記憶は生憎さまだがない。飼っていたと言えるのは、実家の池にいた魚くらいだろう。

 怪訝な顔をする更紗に、目の前の異形は肩を竦める。

『……まさか本当に忘れているの? いやね、見ないようにしすぎで自分で記憶を封じすぎじゃないかしら?』

 す、とかの少女の指が更紗の額に触れられる。

 水にダイブした時のような音と共に、無理矢理記憶の海から引きずり出されるような、そんな気持ちの悪さが一気に更紗を襲った。


*


――さらさ! あたし! かみさまのつかいになれたの!

 そう言ったのは、ひとつの琥珀色の光に包まれた金魚だった。

 ジリジリとうるさく蝉が喚く中の一幕だった。

 更紗がまだほんの幼い頃の出来事。蓋をしてまやかしとしたはずのそれを、今呼び起こされている。

 そこは今いる所とよく似た神社で、更紗が埋めたのは、小さな小さな、夏祭りですくった金魚だった。

 祈りを捧げたところにそんな声がかかったから、当時の更紗はとても驚いていた。

『さくら……? ねぇ、しゃべったの?! すごいねぇ!』

 幼い頃の更紗は純粋に、金魚が話しているのを素直に喜んでしまっている。

『さらさ、あたしをかわいがってくれて、ここに埋めてくれて、ありがとう。おかげであたし、かみさまのつかいになれた!』

『かみさまのつかい?』

『すごい人のお付きの者になれたの! すごいよね!』

『……うん! すごい!』

 ふよりと泳いで、金魚は更紗の手元にやってきて嬉しそうにそこに座る。

『さらさ! あなたの手のおかげなの! あなたの手はね、神様をいやす力を持ってるの!』

『かみさまをいやすちから?』

『そう、あなたが祈ってくれたおかげで、神様が元気になれたって、だからあたしは神様の使いになれたの!』

「さくらがうれしいなら、わたしもうれしい!」

『ねぇ――鬼灯更紗! もし困ったら、その手であたしを、あたしの神様を、救ってくれる? それまであたしが、あんたを守ってあげるわ!』

 更紗はその質が変わった問いに、応えてはならなかった。

『……うん!! いーよー! さくらがまもってくれるならうれしい!』

 しかし無垢で何も知らなかったあの時の更紗は、そう答えてしまったのだ。


*


 ぐるりと視界が回って、元の世界に意識を戻された更紗はふらつく足を何とか踏みしめて耐える。

『思い出した?』

 無邪気に、雨水を垂らす時のような、そんな声。奇しくも過去の記憶で喋っていた金魚の声は、目の前のその女の子と重なる声だった。

「……さく、ら……?」

『あたりー』

 目の前の幼き異形は、ニンマリと笑った。

 幼少期に見たまぼろしにしたはずのそれ。

 そんなことは無かったと、封じたはずのそれ。

 それを掘り起こされた更紗は、目眩と動悸で体がグラグラし、今にも倒れそうになっていた。

「……なん、で……どうして……? だって、あなたは、まぼろしのはずでしょ……」

『あたしが埋められたところ、神社だったの思い出したのでしょう? だからあたしはかみさまの眷属になれたって言ったのに』

「ッ」

 倒れ込んだ更紗を、少女の力とは思えないような強さで支えた異形――さくらは、慈悲の籠ったような囁きを更紗へと向ける。

『……今日はね、貴方にお願いがあってつれてきたの。それを聞いてくれるなら、返してあげるわ』

「おねがい……?」

――ダメだ、頭が、ぐらつく。集中したくてもできない。

 この異形の言葉に、惑わされてはならないのに。

『鬼灯更紗、私たちの小さなおひいさま、約束したでしょ? その力を、私たちに貸してほしいの。叶えてもらうわよ』

「……なんの、こと?」

『覚えてないなら思い出させてあげるわ?』

「いい、いいッ! それ、やめてッ! 頭の中かき回されてるみたいで、気持ち悪いのよッ」

 再び触れようとしたさくらの指を跳ね除けて、更紗はその身体を押しのける。

 だが、押しのけたというのにさくらの身体更紗から離れない。絡めとられた腕に力が籠っていく。痛くて、抉れるんじゃないかと思うくらいのそれに眉が歪む。

『ふふ、無駄よ。貴方は、真名に誓ってあたしと契約を交わしたの……この二十年と少し、貴方はあやかしを見て見ぬふりをしていても襲われてこなかったのだから、貸しは十二分に作ってあるはずだわ?』

「理不尽よ。守ってなんて、嬉しいとは言ったけど、頼んだ覚えはないわ」

『あたしがあなたに約束したのだから、関係ないわね?』

 更紗は今の反応で理解した。さくらは、話を聞く気がない。神の眷属からのお願いは、聞くのが当たり前だと考えているのだろう。

「……私は、隠して生きてきた。それでいいと思っているの。だから何もできない。それじゃ、ダメなの?」

 それでも足掻きを諦めない更紗に対して、さくらは即答する。

『ダメ。自分の能力を隠して手に入れた平穏なんて、あたしたちにとっては関係ないわ。貴方の本来の天命は、神の話を聴くことだもの……ふふ、天命に背く生き方をして、つらくはなかったのかしら? 誰にも貴方の本質を理解してもらえないのに』

「……」

 更紗はその言葉に黙り込んだ。綯い交ぜの感情に、何をいえばいいのかわからなかったから。

 自分の天命なんて知らない。そんな運命なんて欲しくなかった。だからこそ叶うことなら、何も知らぬ生活を過ごしたかった。

 例え、誰にも理解されなくとも。それの、何がいけないというのか。

 そんな考えを読んだのか、さくらは嘲笑うように可愛らしい声で含み笑いをしながら聞く。

『それで? あたしのかわいいかわいいおひいさま? 貴方の力を貸してくれるのかしら? ……叶えないというのならあたしは、今後一切貴方を守ることが出来なくなるけれど、それでもいいかしら?』

「……困ってることって、なに?」

 更紗はそこでようやく、諦めることを決めた。

 平穏な生活を送りたくば、願いを叶えろという神の眷属に、更紗ははっと、侮蔑を込めた息を吐き出した。

 こんなの、脅しと一緒ではないか。

『あたしの神様を、貴方が癒して差し上げて欲しいの』

「あなたの神様……?」

『そうすれば、あたしがずっと、神様の力をお借りして貴方を守ってあげられる』

「それは……約束? 契約?」

『契約であり約束よ。貴方が怖がっているもの全てからあなたを守るの。それがあたしがカミサマの御遣いになるときの願いだもの』

「……そう」

 そこでようやく、さくらは更紗の身体を離してくれた。優しく更紗の身体を境内のそばに座らせて、彼女はその頭をゆっくりと撫でる。

 それだけなのに、何故か少し落ち着いてしまった。

『ほら、手を出して』

 言われるがまま差し出した手に握らされたそれは、青空の色を混ぜ込んだような透明な石。

 更紗の目には、それが水晶の欠片に見えた。

「……これ、なに」

『あたしの神様のお力の欠片』

 その言葉に、更紗はぎょっとして欠片を握りしめる。

「かけら……!? そんな大事なもの、渡していいわけ……?」

『だって、そこに更紗が祈りを捧げなきゃダメなんだもの。心配でも貸すしかないじゃない』

「……祈り?」

『実践してみた方が早いわね、が貴方の手を握るわ。そのまま『神様、具合が良くなってください』と念じてご覧』

 向かいに座ったさくらはゆっくり欠片を更紗の両手ごと包み込む。祈りのポーズになり更紗が念じたその時、更紗は何もしていないはずなのに、手の中の水晶があたたかくなるのを感じた。

「……これは」

『出来たわね。こうやって、更紗の力を乗せた祈りが、神様の栄養となるのよ。だから、祈りなさい。鬼灯更紗』

 更紗はその言葉に、少し躊躇ったが頷く。もう承諾してしまったのだから、途中放棄は許されない。だが引き受けるにあたって、少しだけ気になっていたことをさくらに尋ねた。

「その、神様とやらは今はどこにいるの? お会い出来るの?」

『お会いすることは今は難しいわ、まだ、眠っているもの』

「……そう」

『今日のところは返してあげる、だから、その欠片に祈り続けて。……あ、あと、どこかに神棚を作ってもらえる? その方が、回復が早いし』

「……そのうちにまたこちらの世界に呼ぶとか言い出す気?」

『当たり前でしょ、あたしはここからしか力を振るえないのだもの、定期的に見せてもらうわよ』

「……じゃあせめて、一人のときにしてくれない? あと、会社に行っている時間は邪魔しないで」

 さくらはその言葉に瞠目したあと、呆れたように更紗に目を合わせて尋ねる。

『……そんなに今の生活が大切? ヒトの世に馴染む必要なんて、あなたには無いのに』

「あなたには絶対に分からないだろうけど、私は今、平凡な生活が楽しくてしょうがないの……邪魔は、しないで。するなら……この願いは放棄する」

 更紗の確固たる姿に、さくらは理解不能という表情と共に、愛しい娘を見る母親のような視線で微笑んだ。

『……しょうがないわねぇ、じゃあ、それで契約成立』

 さくらが指をパチンと鳴らすと、世界がぐにゃりと歪み、消えていく。

「ちょ、っ」

『じゃあ、またね、更紗』

 困惑する更紗を他所に、さくらというひとつの存在が嬉しそうに微笑んだのを最後に、景色は元の河原に戻った。

 座り込んだまま時間を見るとあれから三時間はたっていて、そろそろ眠るような時間まで来ていた。

 水晶は握ったまま、淡い光を放っている。

「…………はぁ〜厄介なことに、なった……」

 更紗は頭を抱えながら、そう呟いた。

 こうして、更紗は名も知らぬ小さな神に力を貸すことになってしまったのだ。さくらという、御遣いの手を取って。


初投稿です。友人から「女の子」と「金魚」というお題を頂き、執筆したものになります。

pixivに掲載させていただいておりましたものをこちらへ移動させていただきました。

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